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八重山旅行記③
水牛の様なペースの更新で申し訳ございません🐃
旅はまだまだ中盤の三日目。
三日目のスケジュールはこちら。
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朝食
三日目の朝も早い。
この日もブッフェ形式で朝食を頂く。
昨日ちょっと話したママさんが
「コーヒーを部屋に持って行けるの嬉しいよねー。」
と話し掛けてくれた。
さり気ない会話からコミュニケーションを広げるスキル、コミュ力が高過ぎる。
身内に言わせると完全プライベートの私は全く親しみ易いオーラがないらしく、この旅行中も皆んな話し掛けるのを躊躇したと後から聞いた。
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昨日の紅芋天ぷらがなく紅芋コロッケだった。
ホテルの方に紅芋天ぷらが美味しかったと伝えると、1日おきに微妙にメニューを変えているとの事だった。
連泊しているお客さんに飽きさせない工夫の様だ。
ちなみに紅芋天ぷらはマックスバリュー(沖縄の大型スーパー)で冷凍が買えるらしい。
私はコーヒーが飲めないのでココアにホットミルクを足して部屋に持って帰って荷造りをした。
ビーチヨガ
この日の一つ目のイベントはビーチヨガだ。
昨日のクチャナヨガの先生がビーチへ出張してレッスンをしてくれる。
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朝日が昇り、陽が当たり始めると凄く気持ちの良い気温だった。
前日よりもアクティブな動きが多く、少し汗ばむ位だった。
BGMはなく、波の音とカラスの鳴き声だけ。
こうなるとカラスさえも受け入れられる大らかな気持ちになる。
実際に太陽を拝みながら行う太陽礼拝が気持ち良く、この日から1週間くらい太陽礼拝ブームが個人的に来ていた。(今はもうやっていない)
今回も温まった身体をクールダウンする為のシャバーサナ(屍のポーズ)をヨガの後に行った。
今回は誰も寝ていないと思ったが、屋外だったのでもしかしたら遠くで誰かの旦那さんがいびきをかいていたかもしれない。
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西表島へ
ビーチヨガで身体を動かした後は石垣港から高速船に乗って西表島へ向かう。
西表島は石垣島よりも物資や資源が少なく、コンビニやレストランはないですと事前に伝えられていた。
宿泊するホテルのレストランを予約するか、自前で持って行くかの二択であった。
石垣島でコンビニへ行く時間もない為、ツアー参加者の殆どが石垣港の売店で食料を調達していた。
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この日は天気も良く波もなかったので大きな揺れもなく、45分程で無事に西表島に到着した。
私はCAの仕事をしているくせに、乗り物酔いをする。
車酔いだけでなく船酔いや空酔いもする。
ビールがげぼっと出なくて良かった。
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マングローブクルーズ
お土産屋さんをぐるっと回って、その後は大原港からクルーズ船に乗り仲間川という川を上り、サキシマスオウノキを見に行く。
両脇にマングローブが生い茂る川をどんどん上る。
ここ最近では観光客が殺到して川の水が濁るのを防ぐ為に、一日に参加できる人数を限定しているらしい。
マングローブは海水でも生きて行ける植物で、根から吸収した海の塩分は葉っぱに溜めて黄色くなったらはらりと落とすそう。
マングローブの他にも様々な植物や川・森に住む生き物の説明を聞かせてくれた。
何より川の水が本当に綺麗なのには驚いた。
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船着場らしい物はなく、木の板の渡り廊下の様な場所に船を横付けしてサキシマスオウノキを見に行く。
樹齢推定400年とも言われているサキシマスオウノキはとても立派だった。
板根と呼ばれる板状の根が特徴的で、昔は船の舵に使われていたらしい。
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サキシマスオウノキを後に、クルーズ船で来た道を下りながらランチタイムになる。
「エコ弁当」と言う名のお弁当箱に入ったお弁当だ。
私の印象では、「エコ弁当」と言うよりは「誰かのお母さんが作ってくれた弁当」と言う気がした。
プラスチックのお弁当ケースを使わないだけで大分ゴミが減らせる。
貰ったペットボトルのお茶がなんだか申し訳ない気分になり、飲み終わったペットボトルは石垣島で後日破棄した。
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どなたかのお母様、美味しかったです、ご馳走様でした。
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忘勿石(わすれないし)
クルーズを終えたら後は西表島の観光地を二ヶ所まわる。
まずは「忘勿石」と呼ばれる石がある海岸へ行く。
ここは少し悲しい場所だった。
少し戦争の話をしよう。
第二次世界大戦時、沖縄本島の日本軍はアメリカ軍の侵攻によりかなりの窮地に立たされていた。
一方で、八重山諸島の西表島では戦争とは違う理由で島民は苦しんでいた。
それはマラリア。
湿度が高くジャングルの様な密林地帯ではあっと言う間にマラリアが蔓延してしまったそう。
八重山諸島の一つの波照間島では男性達は戦争に駆り出されており、島には女性・子供・お年寄りが残されていた。
そこへ日本軍からの命令で波照間島の島民は西表島へ強制疎開をさせられた。
日本軍の主張は「米軍がいつ攻めてくるか分からないから。」だったが、それは日本軍の都合の良い言い訳だった。
アメリカ軍の食料にされては困るからと言う理由で家畜は全て殺処分された。
一説には石垣島の日本兵の食料にされたらしい。
西表島ではマラリアがすでに蔓延しており、強制疎開を告げられた波照間島の島民はマラリアに掛かって死んでしまう事が予め分かった上で疎開せざるを得ない状況だった。
疎開してすぐに、次々に島民はマラリアにかかり、薬や食料がないまま亡くなって行くのを待つだけだった。
当時学校教員だった識名信升さんは、そんな過酷な状況でも、教育を止めては行けないと西表島の海辺の岩場で子供達に「青空教室」なるものを開いていた。
1945年6月、ついに沖縄戦が集結し識名信升さんの必死の説得があり、島民は6ヶ月ぶりに波照間島へ帰る事が出来た。
帰島する前夜に識名信升さんは岩場に一人訪れ、この戦争を忘れてはいけないとの思いを込めて「忘勿石」と掘ったそう。
その後波照間島へ帰島はしたもの、家畜もおらず穀物もなく、マラリアで死ぬか餓死するかの日々だったそうだ。
結局、この強制疎開が原因で波照間島の1590人のうち1587人がマラリアに感染し477人が死亡されたとされる。
もうひとつの戦争と呼ばれる戦争マラリアの歴史はあまり知られていないが、忘れてはいけない事実なのだ。
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この歴史の解説を添乗員のMさんは泣きながらしてくれた。
私も泣いた。
見学が終わり15分ほど自由時間があったが私は海岸を歩く気にはなれず、岩場に寝転び遥か遠くに見える波照間島を眺めながら子供達の姿を想像した。
男手が島からいなくなり、ある日突然小さな小舟に母親と乗せられてマラリア地帯に送り込まれ、高熱で苦しむなんて、今の時代であれば考えられない。
けれど、今も遠く離れた国で戦争は再び起こっている。
罪のない子供達が飢えや病気で苦しむ事実が今もなお世界に存在すると思うとやるせない気持ちになる。
この戦争を最後に、私たちは平和な世界を築き上げなくてはいけないのだ。
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西表野生生物保護センター
中々重めの見学をした後は、気持ちを切り替えるのが難しい。
イリオモテヤマネコの事を学びに西表野生生物保護センターへ。
島に来てすぐに知った事なのだが、イリオモテヤマネコはそう簡単に見れるものではないらしい。
なぜならまずは夜行性である事。
そして絶滅危惧種であり島には100頭ほどしか生息していない。
死亡してしまう一番の原因は交通事故だそうだ。
この保護センターでは、そんなイリオモテヤマネコの生態や交通事故を防ぐ為の取り組みなどが紹介・展示されていた。
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自分でもなぜだか分からないが、マーキング時の尿の臭いを再現した香水が「ぷしゅ」っと出る機械があり何度も嗅ぎに戻ってしまった。
私はヤマネコなのか?
ジャングルホテル
16時半には3日目の全てのプログラムが終わり、ジャングルホテルパイヌヤへチェックインした。
このホテルは本当にジャングルホテルだった。
部屋の目の前にはジャングルが広がり、「窓を開けっぱなしにしないでください。」と張り紙が貼ってあった。虫が大量に入ってくるのだろう。
施設の第一印象は「小学校」の様だった。
部屋に向かう途中、前日から話し掛けてくれる親子がジャングル散策に誘ってくれた。
ジャングル散策自体は大したものではなかったが、ママさんと沢山お喋りが出来て楽しかった。
娘ちゃんが蛾のような蝶を見て「まじでキモいんだけど。」とゴミを見る様な目つきで冷たく言い放ったのが私はつぼに入ってしまい、ポーカーフェイスの娘ちゃんもニコリとしてくれたのが嬉しかった。
お夕飯
この日の夕飯は石垣島港のターミナルで買ったお弁当とビールで済ませた。
少し質素だけれども、オリオンビールもあるしのんびり過ごすにはちょうど良い量だった。
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翌日は楽しみにしていたカヤックツアーが待っている。
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