はばたいていく

映画『はちどり』

※以下、台詞の引用はうろ覚えです
※明確なネタバレはしていませんが、わかってしまう部分もあるかもしれません

 映画館で観られてよかった。
 少女であったことがなくとも、誰かに軽んじられたことのあるひと――すなわちこの世のほとんど全てのひとの鑑賞に堪える作品だと思う。
 この映画を観たひとが黙って殴られることのないように(そして、誰かを殴りつけることのないように)、そのことに自覚的であるように願っている。

 子どもが主人公の作品で、信頼できる大人が出てくると安心する。
 だから、作品の完成度という点からみれば正しいのだけど、作品内部に感情移入している視点からは辛い結末だった。
(映画のラスト自体は、光が見えたところまで描いていたけど)

 ウニがヨンジ先生に、夜の公園で「自分を好きになれないと思ったことありますか?」(というようなことだっと思う)を聞くシーンの、「良い大学に入ったのに?」という台詞がとても苦しい。
 ウニの日常世界において、提示されている「成功」あるいは「正解」は、「良い大学に入る」しかない。そのくらい狭い世界しか見えない場所にいる。
(Neru「再教育」の「言うこと聞かない奴は先生に言い付けるぞ」の苦しさも、わたしにとって同じくくりに入っている。
自分の感じている孤独や憤りを、自分の感じている深さで表現することができない、つながれている狭い世界のことばしかもたない叫び。)

 それと(たしかこの公園のシーンの最初のほうだったと思うけど)ヨンジ先生の「簡単に同情しないで」という言葉。ウニが先生と出会えて本当に良かったと思う。
 わたしも大学生のとき、自分よりも歳下の子にものを教えるアルバイトをしたことがあるけど、自分の何気ない言葉がその子の考え方に影響を及ぼしうるというのはとてもこわいことだ。冷静な思索と確かなまなざしと繊細な言葉遣いが求められる仕事で、素人にやらせていいことではない……いや、ヨンジ先生も本来は大学生だったけど……。

 「伯父さんにもう会えないってどんな感じ?」と訊かれたウニの母の、「不思議な感じ」という答えを聞いたとき、ああ、本当にそのとおりだなあと思った。
 わたしの身近なひとで亡くなっているのは、現時点では祖父ひとりなのだが、いまだにわたしも「不思議な感じ」がする。カミュ『異邦人』で主人公が言った、「ママンは死ぬべきでなかったと思う」が、この感覚にすごく近い。
 生きていた頃だって、そうそう頻繁に会いに行けていたわけじゃない。だったら、そのうちいつか会いに行けていた頃と、今は、何が違うんだろう。わからない。もう会えないんだと泣いてみても、まだ生きているんだと思い込んでみても、わたしの生活は何も変わらないはずだ。
 でも、あの毎日きっかり同じスケジュールで寝起きしてごはんを食べて植木の世話をして昼寝して散歩してテレビで野球を観ていた祖父も、肺を悪くして酸素を四六時中送り込まなくてはならなくなって全然立ち歩かなくなった祖父も、最後に施設で会ったときの、あんまり会話の成立しない、自販機でジュースを買う小銭が要るんだとくりかえしていた祖父も、実際はもういないし会えないんだなあ、不思議なことに。

 作品全体としては、トリュフォー『大人は判ってくれない』をちょっと思い出した。
 あれは、主人公がもっと幼い少年で、ヨンジ先生のような大人に出会えないまま、あのラストに行きついてしまった話だった。

大人は判ってくれない - 作品情報・映画レビュー -KINENOTE(キネノート)

 観たあとで、公式サイトにパク・チャヌク監督が「早く続編を作ってほしい」というコメントを寄せているのを見て、「これほど完成度の高い作品に続編がいる?」と思ったものの、そういえばトリュフォーも『大人は判ってくれない』のあとアントワーヌ・ドワネルのシリーズを撮っていたのだった(わたしはたぶん『アントワーヌとコレット』だけ一度観たような気がする、くらいだけど……)。
 そういう感じなら、たしかに、ウニのこのあとの姿を見てみたいかもしれない。
 そしてこの映画自体も、また観たいと思う。今度は温かい烏龍茶を用意して。

追記:ラストについて

 たまたまひととこの映画について喋る機会に恵まれてたのだが、ラストシーンの解釈がかなり違っておもしろかったので、わたしの印象を書き留めておく。

 修学旅行に来て、ウニはひとりでいるのだが、まわりで同級生たちはそれぞれ友人と笑いさざめている。そこにヨンジ先生からの手紙のナレーションが重なる。あたりを見渡しているウニは、わたしの記憶が確かなら、微笑んでいたと思う。

 ウニは、いちばん仲良くしている友だちからも「たまにすごく自分勝手」と言われてしまう子だ。それはウニが特別そうだというより、子どもにとって「自分以外の人間も人間であって、それぞれの考えや感情や生きてきた時間がある」というのはほとんど実感のないことだからで、ウニもそれを徐々に知っていく途中にいる。父の浮気に激昂して、卓上ランプで応戦した母の姿が衝撃的だったように。親身になってくれたヨンジ先生がいつの間にかいなくなって、そして知らない間に二度と会えなくなってしまったように。
 そういう、「まわりにいるこの子たちだって、人間なんだ」と気づいて、世界の見え方がちょっと変わった、そういうシーンだったんじゃないかなと思っています。

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