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私がダサいと思ったなら、周りがカッコイイと言おうとダサい

私は嫌なことされたら後先考えずに、すぐに感情的になってやり返してしまう。実際に殴ったりはしないけど、思ってたけど言わないほうがいいと思って言ってなかったことのストックを全部丸めてぶつけるので取り返しのつかないことになることも多い。

私はこれをすごくダサいと思っている。ぷろおごとかひろゆきみたく爆発させずにクールにさらっとうまくやれらいいのに、っていつも思っている。前に、ぷろおごが「感情的になるのが下手だから爆発しちゃうんだよ」って言ってたけどまさにそう。

そして下手ってダサいじゃんって思ってる。他の人がダサいのはどうでもいいけど、自分に関してはダサいのはやだなぁと思う。

爆発は、だいたいなりふりかまわず人前でやってしまうのでだいたい観客がいるのだが、その観客に「カッコイイ」とか「エライ」って言われたりするときがある。え?となる。

自己評価と他者評価が食いちがっていてめちゃくちゃ気持ち悪い。ダサいことしてるんだからダサいって言え〜〜〜!!!ダサいと思え〜!と思っていた。

この「やり返した(ダサいことした)のに褒められる気持ち悪さ」がなんなのかずっと気になってたんだけど、さっき気づいた。他者評価に合わせようとしてたから気持ち悪かったんだ。

他者評価に自己評価を合わせないといけないみたいな謎の呪いにかかっていた。いつ、かかったんだろう。

とりあえず、私はダサい。と私が思っていることは否定しなくてもいい。誰がなんと言おうと自分のことをダサいって思ってていい。これはとても気が楽だ。

流れ弾食らうやつや、カッコイイと思うやつは好きにしたらいい。私が私をダサいと思うのは自由であり、その事実を自分の中で歪めて飲み込む必要はない。

またちょっと自由になった気がする。自由であることはカッコイイ。

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