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読書感想文 少女を埋める

ネタバレ、あらすじありの読書感想文です。

タイトル 少女を埋める
作者   桜庭一樹
出版社  文藝春秋

うわわわわ、こんな作品だと思わずに借りた。
図書館から新着案内メールが来ると、作者とタイトルで予約をホイホイ入れていくので、内容を知らなかった。
愛らしい美少女を埋めるイヤミスかと思って借りていた。
全然違う。
だが、考えさせられる。

あらすじ

少女を埋める(創作だけど、桜庭一樹さんをモデルとした私小説)
 冬子は鳥取出身で東京に住む直木賞をとったことのある作家だ。もう七年実家には帰っていない。父は肺を悪くしここ二十年程入退院をくりかえし、母が看病していた。だが、父が今回は危ないと聞き、コロナ禍ではあるが鳥取に戻ることにする。病院のはからいで父と対面することも叶い、父は旅立つ。冬子は母と二人で父を見送った。
母との会話や、骨となった父を親族で見送る集まりを通して、田舎町の古い考えに抵抗して生きてきたことを改めて確認する冬子。
異質な人間を疎外しようとする田舎社会で、埋められても、埋められても這いだして生きてきた冬子の叫びは、「共同体は個人の幸福のために!」

キメラ(朝日新聞に掲載された「少女を埋める」の文芸時評に対する論争を描いたドキュメンタリー)
 朝日新聞に掲載された「少女を埋める」の文芸時評に冬子の母が弱弱介護の密室で父を虐待したと書かれていたのだ。私小説であることから、実際に桜庭の母が父を虐待していたと誤解されると懸念した桜庭さんは、朝日新聞に異議を申し立てるが……

夏の終わり(キメラの後日談)
 喫茶店でコーヒーを飲む桜庭さん。子供の頃の記憶を呼び起こしながら、「赤朽葉家の伝説」を書き始めたきっかけを思い出していた。

感想

「少女を埋める」という作品には、災害を防ぐ為に最初に通った人を人柱にするという昔話が出てくる。そして旅の猿回しが人柱にされる。でも、地元の人間は示し合わせて通らないようにしているので、人柱にされるのはよそから来た人間ってことになる。つまり人柱になるのは、よそもの、異質な者ということになる。家長制度、男尊女卑、ムラ意識、そんな古い慣習の残る田舎で暮らす人々と東京暮らしの違いなどが語られる。その中で、父と母、母と自分、祖母と母の関係も語られ、父と母、祖母と母、母と自分の間には、愛情だけではなくトラブルや暴力も存在していた。
全体的には優しい親子の話だ。あまり面白くはないけれど……

「キメラ」で語られるのは、朝日新聞に掲載されたC氏の文芸時評の中で「少女を埋める」が
「家父長制社会で夫の看護を独り背負った母は「怒りの発作」を抱え夫を虐待した。弱弱介護の密室での出来事だ」
と書かれたことを発端にはじまる論争だ。
桜庭さんは「少女を埋める」の中にこのような記述はなく、私小説であるから、「母が亡くなった父を虐待したと誤解される」と懸念するのだ。
そして、それを朝日新聞やC氏に申し入れをする騒動が描かれる。
ツイッターなどを駆使して、桜庭さんは様々な行動をし、その顛末が描かれている。朝日新聞は掲載には問題がないという見解で、桜庭さんは朝日新聞から受けていた仕事をすべてやめるという行動にもでる。
そして、桜庭さんとC氏の文章が並んで掲載されることになるのだが……

私は、どっちもどっちだなあって感じました。

「家父長制社会で夫の看護を独り背負った母は「怒りの発作」を抱え夫を虐待した。弱弱介護の密室での出来事だ」というC氏の解釈は、私も変だなと思います。「少女を埋める」を読んでこう解釈するのは不思議でした。
作品の様々な部分を切り貼りして解釈すればこうなるというC氏の解釈は、全否定されるものではないけれど、書き方が随分乱暴に思えます。
しかし、桜庭さんの反論
私の自伝的な小説「少女を埋める」には、主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれています。
という文章にも違和感を覚えました。
父が亡くなった時に母が夫に対して愛情を持っていたことは作品から読み取れました。が、過去には夫婦の間にトラブルも暴力も(肉体的なものだけではなく精神的のものも含めて)存在したことは描かれていると感じましたし、その感じ方を「間違い」だとは思えません。

あらすじと解釈はわけて書いて欲しい
そういう桜庭さんの考えはわかるし、それは正論だと思います。
私は自分の文章力アップのために、読書をしてその感想をnoteに書くことをしています。あらすじと感想は分けて書いてきました。ですが、感想の中にあらすじが混ざることも多々あります。それは、その小説を読んだ私の体のなかで、理解や誤解が混ざりながら「こんな話だった」と思っているからだと思います。その小説が私の体の中に入ってしまったら完全に区別することなど難しいなと感じます。それが間違った解釈だと作者が思うことでも、読者が感じたことは感じた事だと思うのです。そういう意味でいえば、「あらすじと解釈をわけるのは難しい」と思います。

今年、どこかの大学の入試にある文章が使われて、その問題の正解が、大学の出したものと、有名予備校の出したものに違いがあった。そして、その文章の作者がその正解に異議を唱えていたっていう記事を思いだしました。
「あらすじと解釈をわけるのは難しい」のと同じように、作者が言いたいと思ったことと、出題者が解釈したことと、予備校の先生が解釈したことが全部違ったんじゃんないかなって思います。
あれ? 話がちょっとずれてる?

しかし、C氏も桜庭さんも自己主張が強くて、自分の考えに自信を持っておられるということには、感心もしますし、頑固だなあとも思います。
こんな風に物事を考え、相手の意見に反論していたら、どちらもしんどいだろうなあって感じます。

朝日新聞に掲載された文芸時評を読んだ読者が、「少女を埋める」を読むことなくお母様のことを「夫を虐待した妻」と誤解されることを懸念されていることはわかります。
でも、「少女を埋める」を読んだ読者がお母様を「夫を虐待した妻」だと解釈した場合、どうなのでしょう。仮にそれが誤読や誤解であったとしても読者が感じたのなら、作者には何をいうこともできない気がします。

私小説って難しいですよね。トラブルが嫌なら書かなければ良いという意見は、すごくよくわかるし私もそう思います。
私は、趣味で小説書いているだけの人だけれど、絶対に私小説を書くことはないだろうなあと思います。
でも、桜庭さんはそれをわかった上で書きたくて、そして書かずにはいられなくて書いておられるのでしょう。

「少女を埋める」には、妙なタクシー運転手が出てきます。これが創作でないなら、運転手は自分のことだとわかるだろうと思います。彼は自分が小説に登場したことをどう思うのだろう?と感じます。親族にしてもそうです。自分が良い人間に描かれていないと感じた親族はどう思うのだろう。?
逆に、作者は読者からネガティブにとらえられるキャラクターとして描いた実在の人物がどう感じるか?ということに対して、どんな感情を持っているのだろう?

お母様はご自身が登場人物であり、また他の登場人物に近い場所で暮らしておられるわけです。
「少女を埋める」であれ、その文芸時評であれ、それを読んで何かを感じた人が、お母様に対して何らかの負のアクションを起こすなら、それはその個人の資質ではないかと思います。何か言う人は言うだろうし、言わない人は言わない。それこそ、その人の品性ってところだと思うのです。
だから、仮に桜庭さんが納得するような訂正や謝罪が出されたとしても、お母様が置かれている環境にさほどの差はないだろうなって、私は思います。
だって、お母様の意見は、まるででてきませんものね。
いや、お母様が「嫌だ! 困っている!」とおっしゃっている場合は、いくらか話が違ってくるような気がするのですが……

お母様は、桜庭さんの友人に「大丈夫」とおっしゃっているようです。
それなら、お母様の周りには品性の低い人がいないか、いてもお母様が「気にしない」でおられるだけではないのかしらと思います。
お母様は「あなた、今更なに言ってるの」って苦笑しておられたりして……
ま、あくまで想像ですけれど。

それより、私は、朝日新聞の仕事をすべておりたという話を読んだ時、最初「弱者」桜庭さんが、「強者」朝日新聞に挑戦を挑んだように読めたんですね。すごいな、仕事を捨ててまで抗議するのかって。
でも、後で思いました。そうだろうか?
朝日新聞に勤務するサラリーマンが、「お前は作家の機嫌くらいとれないのか?」と上司に責められてはいないか? 何かのドラマの見過ぎかもしれないけれど、それなら「強者」が作家で、「弱者」がサラリーマン編集者になるかなって思ってしまいましたね。サラリーマンの悲哀をイメージしたりして……
抗議したから朝日新聞が桜庭さんに仕事をやめさせたっていうなら、大きな会社が一作家にプレッシャーをかけている気がしますが、自分から辞めるっていうなら作家が一担当者にプレッシャーをかけた感じが否めないんですよね。
ま、あくまで想像ですけれど。

読者としては興味深かったです。様々な意見を言う人がいて、様々な考え方があるということを知る事は面白かったですね。
そして、そのいきさつを感情的に、怒りを隠すことなく、どこか支離滅裂さを見せながら、無様な姿をさらすかのように書いてしまう桜庭さんって人間臭い人だなって思いました。
だって、最近読んだ本で、ここまで長い感想を書いたことなかったので、ある意味すごい本です。

ま、こんな感想でした。解釈違いもいっぱいあると思うんだけどね……
でも、一読者としては、作品を読者がどう解釈しようが、どうとらえようが、何を感じようが、読者の勝手だし自由だと感じますね。
現代国語のテストじゃないんだから。

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