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明日にでも忘れてくれ/品田遊【連載エッセイ「わたしとラジオと」】

インフルエンサーや作家、漫画家などさまざまなジャンルで活躍するクリエイターに、ラジオの思い出や印象的なエピソードをしたためてもらうこの企画。今回は、作家であり、「ダ・ヴィンチ・恐山」名義で株式会社バーグハンバーグバーグのライター兼編集者としても活動されている品田遊さんにラジオとの程よい関係性をうかがいました。

 小学校高学年か、中学1年くらいだったと思う。「好きなもの選んでいいよ」と親が冊子をよこした。お歳暮でもらったカタログギフトだ。肉や加工食品、ちょっとした家具や調理道具など、いろいろなグッズが載っている。

 せっかくタダでもらえるのだから……と悩んだあげく、私は「携帯ラジオ」を選んだ。深い理由はなかったと思う。食べ物は食べたらそれっきりだ。どうせなら長く楽しめそうなものを、くらいの考えだろう。

 その携帯ラジオは最低限の機能しか持っていなかった。薄っぺらい電池式で、自立させてもすぐ後ろに倒れてしまう。放送局のチューニングは小さなダイヤルを回して行う。数字が表示されるディスプレイもないから、雑音に耳を澄ませながら、何か言葉らしき音が聴こえてくる位置を探っていた。あの金庫破りのような感覚はいまだに指先に残っている気がする。

 とはいえ今も昔も、私はあまり熱心なラジオリスナーではなかった。

 当時、基本的に夜は眠かったので寝ていた。だから深夜ラジオカルチャーとも縁が遠い。気が向いた時に聴く、くらいの付き合いだった。それでも数少ないラジオ聴取は私にとって特別な体験だったと思う。

 布団に入るとき、よくラジオを流しながら眠りに落ちた。眠気でボーッとした頭に、パーソナリティの話や笑い声が染み込んできて、気づいたら朝になっている。具体的な内容はぜんぜん覚えていないことがほとんどだ。

 このような距離感で接するメディアは私にとってラジオが最初だった。中心ではなく傍らにあって、聴くともなしに聴いている。話しているパーソナリティにもそんな意識があるような感じがしていた。いつもテレビに出ているタレントは、ラジオだと少し雰囲気が違う。

 放った言葉は音の波となり、つかの間に消える。あとはリスナーの記憶に残るだけ。あるいは、夜が明けたら忘れてしまう。すぐ失われると分かっているからできる、踏み込んだ表現があるのだろう。

 わずかに体重を預け合うことで成立する発信者と受け手の微妙なバランス。それは「信頼」と言い換えてもよいのかもしれない。カタログギフトでもらった携帯ラジオで、私はその微妙な感覚を知った。

 いまの私はネットでラジオのようなことをやったりしている。そして何か余計なことを口走ってしまうたびに「わかってくれ。そして、明日にでも忘れてくれ」と念じている。

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品田遊さんのラジオ機器は、iPhoneとイヤフォンのセット

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品田遊(しなだゆう)/作家。ダ・ヴィンチ・恐山名義で、株式会社バーグハンバーグバーグのライター兼編集者としても活動。著作に『止まりだしたら走らない』『名称未設定ファイル』『ただしい人類滅亡計画』などがある。


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(こちらはTBSラジオ「オトビヨリ」にて2021年9月27日に公開した記事です)