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母の秘密道具/田中裕子【連載エッセイ「わたしとラジオと」】

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「大丈夫? そろそろ出ないと倒れるよ?」

南国・鹿児島だというのに、長風呂な子どもだった。いわゆる「風呂好き」なのではない、小学4年生のときに母からもらった防水ラジオに入れあげていたのだ。

「うん、もうすこし」

湯気に浮かぶ箱の中でおしゃべりする都会のおとなたちに、10代のわたしは焦がれていた。話の輪に混ざっているようで誇らしく、だからこそなかなか抜けられず、毎度のように真っ赤な顔で脱衣所にへたり込む。まぬけな娘に、母はいつも「言ったでしょ」と笑って水を持ってきてくれた。

しかし、進学のために上京するとラジオとはすっかり疎遠になる。『木綿のハンカチーフ』の男の子よろしく、愉快な暮らしに夢中だったから。その後社会人になり、東京に慣れきった20代半ばで、ようやく元鞘に戻るかのようにラジオ生活を再開したのだった。

そんな薄情なわたしにとって、ラジオが明らかに娯楽以上の存在になったのは娘を産んだときだ。

出産翌日、娘が別室に連れていかれたタイミング。ちっとも寝ていないのに目が冴え、陣痛がきたときなぜか入院バッグに放り込んだBluetoothスピーカーを取り出した。

よく聴くラジオを流す。なじみの歌手の声が聞こえた。

「ああ、いつもと同じだな」と思った。

後陣痛で死にそうでも、お腹の皮がべろべろになっても、たとえ社会と距離ができても、変わらずこの輪に入れるんだな——。まるでちがう人間になったようで所在なかったわたしの身体に、安心感がふわりと溶けた。

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ラジオは、radikoアプリとスピーカーもしくはイヤホンで聴いている

それから毎日、どっぷりとラジオに入り浸った。授乳しながら。一晩中ぐずる子を抱っこしながら。ようやく寝た、その横で。こそこそとイヤホンを片耳に入れ、radikoのアプリをそっと立ち上げた。

パーソナリティの話芸と好奇心が光る、朝の情報番組。
大好きなコラムニストの、鋭くもやさしいお悩み相談。
人気アナウンサーの、ひとつの話題を掘りまくるフリートーク。

お気に入りリストを片っ端から聴いていく。「あの話の続きが聴ける」は、夜中に起きる支えになった。ひとと会えない日々、耳だけが「外」とつながった。実家の風呂場で、東京のおとなとつながっていたように。

——そんな話を母にした。わかるよと、電話口の彼女はうなずいた。

「お母さんも、ずーっとラジオつけてたから。高校時代にお父さんが急に亡くなったときからね」

ラジオを聴く行為はどこまでも「ひとり」のもののはずなのに、不思議なほど、ひととつながる欲を満たしてくれる。その感覚は、未熟な10代にとっては誇らしく、赤子とふたりきりの母親にとっては必要なものだった——数十年前の、しんどさをひとり抱えていた女子高生にとっても。

小学生への贈り物にそんな深い意味があったかは、定かではない。けれど母にとってラジオとは「これさえあればどうにかなる」という秘密道具だったのかもしれない。

いまやスマホも防水の時代、わたしが娘にラジオを贈ることはないかもしれない。けれどいつか、母がこっそり教えてくれたラジオの力を、同じように伝えられたらと思う。

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田中裕子/ライター。1987年鹿児島生まれ。出版社勤務、フリーランスのライター・編集者を経て株式会社バトンズに参加。書籍制作のほか、ウェブや雑誌でのインタビュー記事執筆、エッセイ執筆、メディア編集等の活動も。

Edit:ツドイ

(こちらはTBSラジオ「オトビヨリ」にて2021年5月7日に公開した記事です)