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藤寮の209号室に、今もラジオは流れているだろうか。/Q本かよ【連載エッセイ「わたしとラジオと」】

インフルエンサーや作家、漫画家などさまざまなジャンルで活躍するクリエイターに、ラジオの思い出や印象的なエピソードをしたためてもらうこの企画。今回担当してくださったのは俳優のQ本かよさん。Q本さんがラジオと出会ったのは高校時代、寮生活の思い出とともにつづっていただきました。

ラジオ、というメディアが自分の生活に初めて入り込んだのは、高校二年の春だった。
寮で同部屋だったマナベ先輩が、部屋でラジオを流す人だったのだ。

高校時代、わたしは軍隊に入っていた。というのはちょっとした比喩であるけれども、40年近く生きた今でも、高校時代の三年間が人生においてもっとも過酷でストイックな時間であったことは間違いない。小学校三年生から始めたソフトテニス競技を頑張るために、わたしは弱冠15歳で故郷の石川県を離れ、「日本一をとる!」を目標に掲げる群馬県のスポーツ強豪校に進学。学生寮での生活を送っていた。

「藤寮」という雅な名前を付けられたその女子寮は、実際のところ相当にシビアな環境であったと思う。
朝6時半からの朝掃除に始まり、朝食の用意、朝練、授業(居眠り絶対禁止)、昼食の用意、練習、また練習、そして自主練習、夕食の用意、お風呂、ミーティング、部活ノートの提出、就寝。分刻みに定められたこれら全ての行動において、下級生は上級生への声かけ(許可と報告)が必要だった。すれ違う度の挨拶は勿論、先輩が脱いだスリッパは後輩が向きを揃えて置き直す、各階の電話には2コール以内に出る、などの規則があり、下級生の頃は24時間の緊張状態を強いられていた。田舎町で気ままに育ったわたしは入学当時、藤寮のことを率直に「地獄だ……」と思ったものだ。

寮は、各学年が一人ずつの三人部屋で、下級生は上級生がいる空間での勝手な私語を禁じられていた。自由時間であっても、先輩に話しかけられない限りは雑談することも許されず、ただただ沈黙を守るのが常であった。そして偉いもので、二年生に上がる頃には、そういう生活にもすっかり慣れていた。

そんな、高校二年の春である。進級とともに寮の部屋割りが新しくなり、わたしはマナベ先輩と、新入生のエチゼンと同部屋になった。藤寮の、209号室。その部屋の絶対権力者であるマナベ先輩の采配により、わたしとエチゼンは強制的に、その後の殆どすべての夜をラジオリスナーとして過ごすこととなったのだった。

上下関係が厳しいと言っても、先輩=敵というわけではない。わたしは、マナベ先輩がすきだった。マナベ先輩はその代のエースプレイヤーだったし、人柄も温厚で、とても尊敬している先輩だったからだ。そして埼玉県出身で、喋り方がきれいな人だった。唐突に出身地の話をしたけれども、何が言いたいかと言うと、能登半島の猿同然であったわたしにとって、埼玉県という都心部(!)から来たマナベ先輩の訛りのない喋り方は憧れであり、その洗練されたマナベ先輩が取り入れたラジオというメディアについては、最高にイカした文化として好意的に受け止めていた、という話です。

そうして藤寮の209号室に流れ始めたラジオは、わたしに外の世界の言葉を運んでくれた。
学校とテニスコートと寮だけが世界のすべてであったわたしの高校生活に「ここではない世界」を感じさせてくれるものだった。チームメイトに試合で勝ったとか負けたとか、いつまでも上手くならないバックハンドとか、朝掃除に寝坊して先輩にこっぴどく叱られたとか、そういうことでいっぱいの頭の中に、知らない音楽や、誰かの恋の話や、自分よりもずっと歳上の大人からのお悩み相談なんかが流れ込んでくる。それは紛れもなく、日々の救いだった。

部活のために選んだ高校で、寮生活で、24時間競技のことを考えて生きていると、練習中のたった一本のミスにこの世の終わりくらい落ち込んだりする。大きな試合の前には緊張して震えが止まらなくなったりもする。けれども、毎夜のラジオを聴いていると、自分はまだ16歳の高校生で、テニスなんてものはただの部活で、負けても死にはしないし、外にはもっと、全然ちがう価値観で生きているたくさんの人がいて、その人たちから見ればわたしの悩みやプレッシャーなんて本当にちっぽけなものなんだと感じることができた。その感覚に、わたしは救われていた。視野を広くもつことで自分を見失わずにすむ、という人生のやり口を、わたしはこの頃に培ったのかもしれない。

マナベ先輩が、どんな意図でラジオを流していたのかは分からない。ただ自分が聴きたいから流していたのだと思う。けれども、同じ部屋で同じラジオを聴くという行為は、先輩とわたしとエチゼンの距離を、確実に縮めてくれた。マナベ先輩はそれほど口数の多い人ではなくて、先輩が話さない限りわたしもエチゼンも沈黙を守る。そんな部屋に流れつづけるラジオの音。そして日々の中で、ほんとうに時々だけれども、パーソナリティーのトークが面白くて3人同時に吹き出すことがあった。「スミマセン……!」と慌てて口をつぐむわたしとエチゼンを見て、マナベ先輩がふふふと笑う。その瞬間は、ある種の共犯関係が生まれたような、妙な照れくささと嬉しさがあった。つまるところ、雑談の許されない部屋で、先輩後輩といっしょに聴く夜のラジオが、わたしは大好きだったのだ。

三年生になったわたしは、マナベ先輩から引き継いだ209号室で、先輩が流していた局のラジオを同じように流すようになった。その年のわたしの部屋の後輩も、わたしが卒業した後同じラジオを流していたと言っていた。もう20年も前の話だ。けれども「藤寮」はまだ健在らしい。ソフトテニス部は昔ほど強くはないらしい。当時禁止されていた携帯電話は、保護者からの要望により所持を許されているらしい。時は流れている。今はきっと、過剰な上下関係は解体され、雑談だって許されているだろう。夜は、各々がイヤフォンで耳を塞ぎ、各々のデバイスで各々の時間を過ごしているのかもしれない。それもいいと思う。思うけれども。

だけどもしも、毎晩同じ部屋で同じラジオをいっしょに聴くという、あの密やかなコミュニケーションが、その良さが、209号室でずっと受け継がれていたならば。それは大変にロマンチックであるなあと、夢見たりもするものである。

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Q本さんがstand.fmにて配信中の番組『monotologue RADIO』


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Q本かよ/1982年生。石川県能登半島出身。慶応大学環境情報学部を卒業後、広告業界でデザイナー・コピーライターとして活動。30歳から芝居の道を志し、大阪にて舞台を中心に活動。2016年の上京後も多くの演劇作品に出演し、近年ではTVCMや声優としてアニメーションやオーディオドラマに出演するなど活動の場を広げている。現在はstand.fmにて『monotologue RADIO』を配信中。


llustration:stomachache Edit:ツドイ
(こちらはTBSラジオ「オトビヨリ」にて2022年1月31日に公開した記事です)