見出し画像

白紙ズム

 白紙ズムとは、無の表現である。


概要

 白紙ズムとは、白紙を白紙のまま作品とする芸術技法である。
 ただし、ただ白紙を作品とするのではなく、十分な理由をつけたり題名などで情報を付け足す場合が多く、実際には「いかに白紙を作品とするか」に重点をおいたパフォーマンス的芸術になることも多い。

作品抜粋

側溝のフタ

 私の作品の中で恐らく最初の白紙ズム(=無を作品としたもの)である。

 私は以前いととと氏の現代4コマ作品『側溝のフタ』をめぐる論争の際、「タイトルが側溝のフタである以上注目すべきは側溝のフタであり、フタが4つある写真は4コマとして認められる」という旨の意見を述べた。これについては現代4コマwikiの側溝のフタの記事が詳しい。

 この作品は先述の意見を発展させ、
【タイトルは側溝のフタだが、写真に側溝のフタがない→0コマ作品である】
 という発想の元、制作したものである。

 白紙ではなく空の写真を使用しているが、何も映っていない画像を作品とする点においては白紙ズムの原初といえる作品である。

馬鹿には見えない4コマ

 記憶ではこれが私の中で最も古い白紙作品である。

 ただの白紙に「馬鹿には見えない4コマ」という題名をつけることで「ここには見えないだけで4コマがあるのです」と無い情報を与えている。
 典型的な白紙ズム作品と言えるだろう。

無のパフェ

 これが直接的に無を題材とした最初の作品である。

 様々な概念を題材としてパフェを作る芸術技法「パフェズム」の題材に無を使用したもの。この作品の白紙ズムとしての最大の特徴は恐らく「材料」の配置にある。

 この無のパフェについて、容器や配置についての設定がある。全部白紙なのに。

 「無に情報を与える」という白紙ズムの特徴を最も強く持つ作品であり、初めて無を取り扱ったという点においても特筆すべき作品といえるだろう。

登場人物が透明人間

 ただの4コマ枠だが、「登場人物が透明人間だから」という理由で白紙を正当化している。

 このように、作品としての最低限のフォーマットだけを満たしその他の描き込みを行わないのも白紙ズムといえるだろう。

理論は4コマ(理論は忘れた)

 白紙ではないが、乱雑な線の集合に「理論上は4コマ」と付け足すことで4コマを成立させている。

これが白紙ズムかは意見の分かれるところであろうが、無意味な画像に「理論上は成立している」と言うことで成立させる手法は、無に情報を与える白紙ズムに通ずるものがあるだろう。

その他の作品

 白紙ズムを命名したのは私だが、私の作品に限らず白紙ズムに当てはまりそうな作品は数多くある。

4分33秒 / ジョン・ケージ

 4分33秒間全く楽器を奏でない、言わずと知れた名曲である。
 これは「自然の音に注目させる」という意図あっての無音であり、音における白紙ズムといえる。

Take the Money and Run / イェンス・ハーニング

 イェンス・ハーニング氏は労働をモチーフに作品を作るため、デンマークのKunsten美術館から53万4000クローネ(約940万円)を貸与された。

 美術館は本物の紙幣を使用したハーニング氏の過去作、「デンマークの平均年収」と「オーストラリアの平均年収」の様な作品を作る依頼をした。
 が、ハーニング氏が送りつけた作品は白紙のキャンバス2つであり、題名は『Take the Money and Run(金の持ち逃げ)』。

 ハーニング氏は「金を返すつもりはない。これは盗難ではなく『契約違反』であり、契約違反も仕事の一部だ」と述べている。美術館館長はハーニング氏に返金の請求を下したが、「興味深い作品を作成した」と考え、白紙のキャンバスをそのまま展覧している。


4コマ / いととと

 これも(一応右下にサインはあるが)ただの白紙を使用した4コマ作品である。

 しかし、これは先ほどの『馬鹿には見えない4コマ』とは違い、無いものが無い理由を説明するだけでなく、それを説明するに至った架空の物語までもが展開されている。
 無を正当化するだけでなく、元々無いものにまで情報を付け足す様は、白紙ズムを一歩進めた形と言えるだろう。

マジの余談

 白紙ズムを馬鹿にして白い目で見ることを「白眼視ズム」と命名します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?