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タダイズムという芸術運動

 2023年8月25日、いととと氏がこのようなツイート(私はツイートと言い続ける)と共に、新たな芸術運動"タダイズム"を宣言した。
 私は初めてこれを見たとき「何だこれ芸術か?」と思っていたが、後に改めて考え直したところこれは非常に面白い芸術だという真逆の考えに至った。

タダイズムは芸術である

 そもそも芸術とは絵のようなものだけではない。彫刻であれば立体造形だし、詩であれば言葉、音楽であれば音の波の動きや重なりで、舞踊であれば人や持ち物の動きである。レーザーなどを駆使して空間に作品を展開するものもある。
 芸術とは媒体に囚われるものではないのは明白である。ならばタダイズムも今までにないものを媒体とする芸術と解釈することが可能なのではないか?

 タダイズムがどのようなものなのか、現時点では詳しい説明がないのでわからないが、恐らく誰かに"タダで飯を食わせてもらう"ことを芸術としているのだろう。行動を芸術とするので、演劇や漫談といったパフォーマンス系に近い芸術であると言える。

タダイズムの面白い点

 タダイズムについて面白いのが、一人では"食わせてもらう"ことはできないということ、つまり食わせる側の人が必要なのである。
 この場合、食わせる人は食わせてもらう人側の人間ではいけない。
 例えばアシスタントの様なビジネスな共演者ならば、奢るという行為が当然の条件になってしまい、"タダで食わせてやる"という前提が崩れてしまう。食わせてもらう側の人間には利害なしの意志として奢らなければならない。

 もしタダイズムとして食わせてもらう場合、食わせる人間は「タダイズムに理解がある」「パフォーマー(食わせてもらう人)に自分の意志で関わる」という条件を満たす人物である。「作品のことを知っていて」「興味から作品に近づく」人、つまり食わせる人間はその作品における「観客」という立場を持っているのである。
 つまりタダイズムは、マジックショーの様な、観客参加型の芸術である。観客を含めて作品となっているのである。

タダイズムの構造が持つ美しさ

 さらに観客(食わせる側)はパフォーマー(食わせてもらう側)に、当然のこととして飯を振る舞うわけである。"タダで飯を食わせる"という言葉から、店で奢っても手料理を振る舞うのでも構わないのと思われるが、金銭や労力を作者側に支払うことになる。そして芸術に際し観客がパフォーマーに支払うものと言えば、そう、観覧料である。
 タダイズムは作品を見せてもらうと同時に観覧料を支払うことになるのだ。おまけにパフォーマーに労いをすることも感謝をすることもできる。何という無駄のなさか。
 そしてタダイズムは観客に感謝されることを作品とする図々しい芸術ではない。作品なのは飽くまでも"タダで食わせてもらう"ことまでである。
 感謝・労いと作品が本質的に別のものなので、両者は分立可能である。

まとめ

 タダイズムは"タダで飯を食わせてもらう"ことを作品とする新たな形の芸術運動である。
 それは効率的で、独創的で、刹那的で、そして間違いなく芸術的といえるだろう。
 タダイズムが芸術として世間に認められる日は近いのかもしれない。そんなわけないか。


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