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穴のかたち。

誰にも知られていないこのブログ。すっかり疎遠になっていましたが、相変わらず私は呑気に暮らしています。

まったく仕事に関係のない話になりますが
去年の今頃、愛猫が調子を崩しました。去年のお盆もやっぱり台風がきていて、それでも診察してくれる病院へ
道路が冠水するんじゃない?横転するんじゃない?と怯えながら向かいました。
藁をつかむ思いとはこの事。

今では人間と同じでどうぶつの診察も病理検査はつきものです。
特に深刻な病気ほど、おおよそ検討がついていても
確定できる数値や細胞が見つからなければ次の治療に進めません。
夏から冬まで、それは長い長い病気との闘い。
半年といえば早いですが、探り探りの一進一退は支える側の精神力を確実に擦り減らす。

その間、私はだんだんとお店が軌道に乗り始めて
【今、営業しないとお客さんを逃がす】というのがはっきり分かるタイミング。
電車での通院と仕込みと…な毎日。

でもなかなか上手くことは運ばず、今年の冬短い私たちの暮らしは終わってしまいました。
今でもその日を思い出すとまだまだ涙が溢れます。

私は泣きながら味の分からないご飯を食べ、翌日にはのり弁を大量に作りました。

なんとなく覚悟を決めていたものの、
やはり心に空いた穴はブラックホールのように深くて暗い。
何かしていないと気が狂いそうで一気に沢山の仕事を詰め込みました。

何かしようにも今までのように楽しめずどこかうわの空で
一枚ガラスを挟まれたように世界が1つ遠くなりました。

とは言え、生きることは食べる事で
食べることは稼ぐ事でもある。
騙し騙し、そんな虚無の日々を過ごして来ました。

失った穴は他の代わりなどなく一生埋まらないもの。
人は穴ぼこになりながら手負いで生きていくのだと思う。

大切なものを失った時、私は他の心配ごと悩みごとがつまらなく思えて
そっと手放した。正しくは丸めて捨てた。

自分を大切にしてくれない人を必死に追いかけなくてよい、と自分を許してやれた。

そしてお盆の最後の日、夢の中でかつての日常のように愛猫が現れた。
それはとても穏やかな日常。なんの変哲もない、普段の生活。

これからも日常は繰り返す。
ドラマのような映画のようなことは起こらない。
ただ、ただその日を暮らす。

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