絵画のように『背景十首』鑑賞
今回は、つる様の短歌作品『背景十首』を鑑賞します。(作品はこちら)
つる様には、先日拙句を紹介いただいております。(記事はこちら)
つる様の文章は、とても丁寧に言葉や句の意味へ気を配られて読み、また詠まれてるといった印象です。短歌は、まるで絵画のように景色や心情が描かれています。今回は、絵画のように構図や色、息づかいを読みとろうと思います。
✳︎
つゆの田をななめにとびし鳥消へて
苗そよと立つ雲のなびくに
(つゆのたをななめにとびしとりきえて
なえそよとたつくものなびくに)
雲は横たわり、鳥はななめに、苗は垂直に描かれています。作者の理想は、地に近いところに力強く立つ若々しい稲の苗なのでしょう。この歌を読んだとき、鳥が「消えて」ゆくという句に驚きました。飛びゆく軌跡をどこまでも延長したようなこの表現は、浮世の儚さを暗示しているようでもあります。
背かがめうしろに風の流るるを
感じつつ見る花しやうぶかな
(せなかがめうしろにかぜのながるるを
かんじつつみるはなしょうぶかな)
梅雨の風が波のような曲線で描かれることで、花菖蒲の色合いが引き立てられています。作者は、風と菖蒲に挟まれて鑑賞者の立場にいます。化学の世界では、触媒という言葉がありますが、歌の中では、作者が自然を媒介する触媒の役割を果たしているようです。
てきぱきと茎の分かれて花いくつ
みなみな小さきかすみ草咲く
(てきぱきとくきのわかれてはないくつ
みなみなちさきかすみそうさく)
茎の表現にてきぱきという言葉を用いたことでその描写にうごきが生まれています。小さくも機敏に動くかすみ草への愛情が感じられます。擬人化せずここまで気持ちを表現できるということに驚かされます。
散らばりし落ち葉の向きの色々と
空の高さに秋は深まり
(ちらばりしおちばのむきのいろいろと
そらのたかさにあきはふかまり)
敷き詰めたようなおちばは平面に描かれています。目眩のするような空の高さが上の句から下の句へと一気に視点を動かして、空間を描いています。丁寧に面を描くことで、結句のおおらかな表現が成功しました。
いつせいに木の枝葉よりさはぎだす
鳥の声して秋風そ吹く
(いっせいにきのえだはよりさわぎだす
とりのこえしてあきかぜぞふく)
明け方か、日中か、はたまた夕暮れか、なぜだかわかりませんが確かな現実味があります。鳴声にまじる微かな秋風の音がそれを裏づけています。平素な表現ながら趣のある写生の境地です。
ひとときとふたときと数ふ心より
目の前に咲き満つる桜見
(ひとときとふたときとかぞうこころより
めのまえにさきみつるさくらみ)
心の中で数える時間から眼前の桜へと景色が開かれていきます。花と意識がひとつになっているようで、恋する者の心情を感じさせます。十首の中で一番好きな歌です。
葉桜の葉の様々な黄色して
ゐて一様に哀しみの色
(はざくらのはのさまざまなきいろして
いていちようにかなしみのいろ)
葉桜の黄を輪郭なしで塗ったのち、哀しみの筆で二往復、三往復と塗りつぶしてしまったようです。哀しみは、透明なのでしょう。
秋雲のまだ明るみの残れども
街灯は点る夜と知らせて
(あきぐものまだあかるみののこれども
がいとうはともるよるとしらせて)
遠くの雲を描きつつ、ほとんど暗くなった路地に街灯が灯っています。だんだんと空は広く、地上は狭く、つるべのように深い井戸の底へと降りていくかのようです。
ひよいと出て葉につかまりぬ蛙の目
雨に当たりてやや身じろぎぬ
(ひょいとでてはにつかまりぬかえるのめ
あめにあたりてややみじろぎぬ)
雨と蛙の目の大きさ、雨と蛙の動きが調和しています。一瞬の動きを見逃さない心の目の働きを感じます。
花しやうぶ立つ葉かさぬるあひだより
高くもぬけて花びらの垂る
(はなしょうぶたつはかさぬるあいだより
たかくもぬけてはなびらのたる)
花菖蒲は、葉より突き抜けて立ち、見事な花弁を垂らしています。やはり、作者の理想は、地面から空へと貫く一本の稲であり、花菖蒲なのだと思います。
✳︎
鑑賞は、以上です。10首を通して、日常を心の画布に描きだすつる様の姿勢が垣間見えました。実際の絵画と異なり、想像の世界では、どこまでも続く直線を描き、透明な感情を塗ることができます。
今回、鑑賞記事の掲載を快諾してくださったつる様にあらためて感謝申し上げます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?