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旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

このところ俳句のことが好きでいじめている。だから、俳句好きな人は、そのような彼のことをあまり好きではないと思っている。もう俳句依存症といってよい。よくいえば、風狂である。しかし、浮気にも小説を書いた。以下は、彼が書いた小説と俳句である。鑑賞に耐えるかは、読者の意見を待ちたい。

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 周りの人を無意識のうちに傷つけていたはずだ。そして、その分彼らに依存していた。そのことに気づき、距離をとろうとしている内に知人の紹介で俳句というものを知った。

 しばらくは、朝起きてから寝るまで痴呆になって俳句ばかり作っていた。あるとき枕を濡らして目が覚め、夢の中で見た風景を俳句にした。それからしばらくして、結社誌に俳句を投稿するようになった。その間に留年して卒業し、通院して退院し、入社して退社した。そして、なんとか食い繋いでいる。

 短歌は、俳句の親友であり、姉妹のようなものであるから、良き友であり相談相手である。ここで、寺山修司のように俳句を捨て、短歌を始めたら、死ぬとき俳句に魂を持っていかれてしまうはずだ。三角関係ではない。たぶん恋愛でもない。

 この関係を進展させるのならば、俳句に対して誠実であることと心得ている。そのために、学生時代の恋愛を白状する。美化された牧歌的で平穏な少年時代、科学という舶来の女神に憧れて、16 歳のときから彼女の住む街へ長いときは片道1 時間以上をかけて通った。彼女は、正真正銘の女神であった。20 歳を前にして彼は、彼女がこの世のものでないと悟った。10 年以上もの間、彼女の影に想いを寄せていたのであった。そのとき、既に幻影は崩れ、現実は手に負えないものとなっていたのだ。そう思ったとき、現実の友人や想い人を失うまいと思い、そう思えば思うほど距離ができた。この時でさえ、再び幻影を見ていたということだ。そして、今でも科学のことが忘れられない。

 芭蕉は、虚にいて実を行うというようなことを言ったそうだ。ロックが好きな人ならば、ジョン・レノンがイマジンを歌ったと思ってよい。芭蕉がジョンで俳諧七部集はビートルズ。旅に病んで夢は枯野をかけ廻る。これは、辞世の句か。科学や俳句は、虚であるべきなのだ。現実を問うときに科学と俳句が立ち上がる。たとえ非現実的であったとしてもだ。

足袋買ひ置く部屋の垣なす箱の上

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 今日書いた短歌

このところ俳句が好きでいじめてる俳句書くほかない依存症

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