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誇りと敬意

論文のコピペ問題は時代、業種、立場を問わず、
何度も話題にのぼる。

僕が受け持った学生さんのなかにも、
そういったことをやらかした者がいた。

当時、僕は何故そんなことをするのか
理解出来なかった。

そこには、
自らの言葉で文章を書くことに
誇りが全く感じられなかったからだ。

僕が専門学校時代、
同じ事を懸念した教官はある手立てを僕らに施した。

2年生になるまで、
ワープロ(時代を感じるな〜)の使用を禁止したのだ。

しかも、誤字脱字だあれば全て書き直し。
二重線での修正すら禁止だった。

おかげさまで、自分自身が書く文章に対して誇りをもつようになった。
それだけではない。

他人が書いたものに対しても、
敬意を払えるようになった。

僕はこの、敬意こそ大切だと思っている。

僕自身も様々な方の著書から引用したり、
ロジックを使わせてもらうことがある。

一般化していない、特定の誰かの理論なら、
その人から学んだ事実を必ず伝える。

しかも、必ず自分の言葉で表現する。

インストラクターの資格を取ることもそうだ。
理論を開発した人への敬意があるので資格を取る。

さて、安易にコピペをするひとには、
その人なりの都合があることだろう。

ひとまずは、するなとは言わない。
だが、その行為にその人自身の誇りはあるのだろうか?
コピーされる対象に敬意はあるのだろうか?

他の人はどう思っているかは知らないが、
僕は療法士は科学者だと思っている。
作業療法士はそこに詩人と芸術家の要素まで強く入ってくる。

もう一度、その人に尋ねよう。
その行為に、誇りと敬意はあるだろうか?

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