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2021.9.12「その人であるということ」

思考のフェーズに入ってしまったせいか、ついに夢の中でも「バーチャルYoutuberとは何か」ということを考えてしまっていてやばかった。

冷凍した「極もち」のホットケーキは、冷凍でもおいしかった。凄い。

今日はずっと人のVtuber体験を聞かせてもらっていた。膨大なコンテンツなので、それぞれの話で見えてくるものが全然違いそうで面白い。
自分は2018年時点のユリイカを読み続けていて、追っているVtuberも黎明期から活動している数人だけなので、今現在のVtuberがどのような状況になっているのかをほとんど知らない。
こういうところが良くない。自分の興味のある点については研究したいと思えるけれども、網羅的に知ろうという行動力に欠けている。私はあらゆる分野への興味を、常にごく一部に絞ってしまっている。こういうところを直せばもう少しまともな研究が出来るんだろうけど……。

アイドルマスターに浸かった時期を一年経たことで、Vtuberへの興味が出てきたのかもしれない。
アイドルマスターにおける人間ーキャラクターの構造は、Vtuberと相対するものが多い。というか現実の人間のことだけを追いかけている状態だったら、怖くてVtuberから逃げ続けていたかもしれない。

結局Vtuberの在り方を全てひとまとめにすることは絶対にできないのだから、あとはもう自分がどう向き合うかにかかっているのだろうな。自分の中で作り上げられた「或る人」の像を、現実とのやり取りによって組み上げていくしかない。
私は……私はどうするんだろうな、自分のスタンスを決めたいと思ってしまっているが、そんなことはできないし、目の前に流れ続ける巨大な現実に向き合って変化し続けるしかないのだろうが……。Vtuberのことを考えていると最終的に「人間」「社会」「人生」「欲望」みたいな話になってしまう。

それにしても凄いと思うのは、自分が追っているVtuberのことは既に「その像」と「その名前」と「その人格」が不可分に結びついていて、もうそれ以外の何者でもないということだ。
その人自身がコメントを読み、その人自身が動画を作り、その人自身が二次創作を共有し、その人自身が舞台で歌を歌っている。
とっくに当たり前なのかもしれないが、これが「その人自身である」ことにずっと驚いている。これもアイドルマスターを通過したからこそ、改めて驚けている部分かもしれない。
あと3Dで動いている姿を見るとより強くそう思えるな……。本当に人間の動きをしているから。3Dで動いている姿を見ると、それはその人自身であると強く感じる。これはなんか……哲学のあのへんとかあのへんに結びつきそうじゃないですか? なんか、ありますよね……そういう……身体的な話のやつ……。本当に何も知らないな、殺してくれ。

じゃあやっぱりアイドルマスターの全てのアイドルは3Dで動いたほうがいいという結論になってしまうな。頼みます。全てのアイドルの肉体を……。


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