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良質な情報を得ることの意義

調べたい事があったり、知りたい事がある時、即時にスマホに聞けば情報を得られます。Googleのアルゴリズムによって人が欲しがる情報が優先的に表記されることにより、本当に役に立つツールが現れたと思います。

今日はその逆を考えたいのです。インターネットを使って調べ物をするとき、そのほとんどは無料で得られる情報になります。全てを否定する訳では無いものの、やはり上記のように大衆が好む情報が検索に引っかかりやすく、時にそれは真実をも包み隠してしまう恐れを感じます。誤った情報も大衆からの求めが多く、一般化されてしまい、それが結果正しいこととして認識されてしまうのです。

どうしても広告収入に頼ったビジネスモデルですと、見てもらって、聞いてもらって、なんぼの世界になので、そうなる事がこのスタイルのコストとも考えられます。いわゆるオールドメディア(テレビや大資本の新聞など)にはこの風潮を感じます。また一定の意図を持ったスポンサーが広告主としてついてしまうと、どうしてもそこへの配慮が発生してしまい、真実からは遠のいた情報発信をしてしまうこともあり得ます。

では、どうやって良質な情報に触れるようにするのか。一番確実なやり方は、自分が勉強して、直接それが起こっている現場に行き当事者に話を聞くとこだと思いますが、普段の生活の中で、僕ら主権者にそんな時間はありません。

それを踏まえた上での僕の答えは、自分の感覚でいいと思った発信者に対価を支払い、その他人の観点を交えた情報を得るようにします。信用がある他人の情報に絞ると言い換えてもいいかも知れません。そういうものを出来れば複数持つ事で、自ら考える力を養うのです。ちなみに僕は青山繁晴さんの東京コンフィデンシャルレポートと、

西野亮廣さんのオンラインサロンに対価をお支払いして勉強しています。

共に忙しい僕らの生活の中でも、インプットしがいある有益な考えや情報をもたらしてくれます。

よく青山さんがこのような趣旨のことをおっしゃいます。情報の値打ちを理解すると国が変わると。これは国規模の話ですが、大東亜戦争、アメリカ側から言えば太平洋戦争の当時、日本は情報の価値を理解していなかったので、技術はあったもののそれを情報として活用する事ができず敗戦に至り、基本的にその原因は今も温存されたままであると。

西野さんもこのようにおっしゃいます。人は知らないことを嫌う生き物である。例えばクラウドファンディングの仕組みを勉強する機会がなかった人に、それを使った企画があることをを解いたところで、理解されずに、一方的に悪者扱いされてしいます。つまり無知である事を認められない事が、一つの可能性を殺してしますのです。これも人の性質なのです。

やはり良質な情報に触れることは、個人として賢くなるうえに、国や社会を豊なものにする一つの手がかりのように思います。余談ですが最近、手作りの家具を造る個人工房を持った知り合いがこのような趣旨のことを呟いていました。

「この机にこの値段は高すぎるというなら、一体、いくらが適正な価値なんだい?」
机を作るためにこれまでに腕を磨き、材料を仕入れ、家賃を払い、職人さんの生活費も掛かるのです。情報も同じで、発信するまでの間にどれだけの情報の仕入れ、水面化の努力があったかを思うと、そこに値段が付くのはむしろ健全なあり方に思うのです。

その他にも読書もいい方法にお思います。基本的に上記のビジネススタイルのものと同じ理由で、情報を仕入れる方法の一つとして有益に感じます。

よく野球選手の例えで、ライバル選手と同じポジションでノックを受けると、相手の技量がすぐに分かると聞きます。よき知識と知恵を持った人はこれと同じで、見る人によればそれが伝わり、社会からも重宝されるものだと思います。

その結果よき人材が増える事を期待します。自分もそうありたいものです。

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