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より不確かさの少ない

あなたは、どう生きますか?
あるいは
あなたは、どう死にますか?

当人の意志が自己の命を脅かすおそれのあるとき、且つ意志の遂行が当人以外の関係者に委ねられているとき、高く堅牢な壁のごとき《尊厳》が関係者の眼前に立ちはだかります。

「尊厳は、守られて然るべきものである」という言説が命題となりコモンセンスとなることはあっても、「尊厳は、意志を守ることと命を守ることのどちらに根ざしているのか」という問いには、誰も正確には答えられないでしょう。

わかりようがないのなら、わかっていないということさえ言えないのじゃないか? わかりようのないものについては、「わかっている」とも「わかっていない」とも言えないのじゃないか? もしくは《わかりようがないもの》だとわかっているのなら、そのものはわかりようがないとは言えないのじゃないか? わかっていないかもしれないけれど、わかっているかもしれない。

要するに《わかっていないかもしれない》と《わかっているかもしれない》のオッズ比に自覚的であれということなのかしら。そうやって、誤謬を──不確かさを前提に置くと、何が正しいのかわからないという迷いに陥ったまま前に進めずにいる状況を打破できるのかもしれません。正しいかどうかではなく、より不確かさの少ない選択肢を選ぶ。

『答えられない』の根底には、関係者それぞれの思惑と倫理観が相補的に絡みあった、別の意志が鎮座しています。また各々の意志には過去があり、感情があり、関係がある。そうしてこれまでに為された幾重もの選択が、ゲマインシャフトの箱船を築きあげてもいます。

乗れば救われる。時には、否応なしに救われる。ひとりでは生きてはゆけない以上、肉体は、命は、当人だけに所有されうるものではないのだと、痛感する毎日です。

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