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それは確かに語られた 〈田園 #last part〉

田圃のソレは滅私のようでありながら、非意識のうちに感情的な対価を求めている。おそらくそういうことなのであろう。行きやすさ/生きやすさを得ることと、道義を貫くことと、は、信義誠実の原則に則れば本来相容れないはずだ。田圃のように前者を目的として並立させてしまえば、その瞬間に信義誠実は嘘になってしまう。おそらくそういうことなのであろう。

自らの行いを正しいと信ずるならば、己れの行いにのみ意識を集中しなければならない。あの占い師のように。外的要素や評価は問題とはならない。あの禿頭のように。反対に、信義誠実を一貫するならば、望まぬ応報を己れの過ちが故と結論づけるのはあまりにも性急であろう。

ようやく108回目の「茹で玉子」を唱え終えると田圃は、手近な壁のスイッチに手を伸ばし電灯を三度明滅させた。

『自分を信じることができないうちは、他者の反応によって態度がぶれ続けます。信義誠実とは、あなた自身があなたを強く信じてはじめて筋が通るものなのです。まずは自分を、一心に信じましょう。あなたの思う正しさを、強く信じて茹で玉子』

それは確かに語られた。田圃の声で、決然と。指先に宇宙が宿ったものか、自身の意識が迷い出たものか、田圃にもわからなかった。田圃の中心で苗子と稲穂とが一糸まとわぬ交歓に耽っていた、丁度その時のことである。

~おしまい~

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