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存在感の輪郭は 〈田園 #6〉

現状の責任を自身に認めないまま矢鱈提示するだけの自省や前向きさは、単なる羽飾りでしかない。すぐに抜けおちる。他者に言及すれば自己にたどりつき、自己に言及すれば他者にたどりつく。言及可能な手のとどく範囲には、ほとんど似た者どうししかいないのだろうか。個性とは幻なのかもしれない。あるのは氏素姓と関係性。受動態や他動詞で己れを語りすぎたときほど、稲穂は被害妄想の泥沼に落ちこんで脱け出せなくなった。

「能動かつ自動たれ。それが解放の鍵なワケ。生き永らえること以上に切実に必要な自由なんぞあるモンか。そのために被る不自由を犠牲と呼んで厭えるのは、むせかえるほどの余剰に囲まれて生きているからダロゥ。本当の強さってのは、生きてゆくためにその他のあらゆる自由を放棄できることなンだ」

こうした稲穂の言及は、あくまで仮説にすぎなかった。しかしひとまず借定するということから始めなければ、稲穂には思考を積み立てることがかなわなかった。

「今はまだ何処かへ向かう途なかばだと思いこむことも、ときには必要なンだ。世界のすべては自己捏造でできている。温めるか冷やすか、どちらかを選ぶだけダロゥ。綺麗事に苛まれるな。醜悪たらんとする意志を忘れちゃいけナイ」

できない理由をかぞえあげ、できないことに安住する。稲穂は自身にそうした生きかたを許すにはまだ早いと感じていた。存在感の輪郭は常に外界との接線の積分でしかありえないのだと、何より身に沁みていたのであろう。

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