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フラクタル 〈8〉

命を存えることや他者との関わりを通じて芽生える、何千何万ともつかない自問自答の繰り返しの中で、私は「わたし」としての記憶と存在とを形成してゆく。それは期限付きの人生をかけて成される私的な一大プロジェクトであり、極めてとりとめのない、戯曲そのものなのであろう。

こうして人生を舞台になぞらえるとき、壇上は自問自答の数だけ拡がりを増す。あるいは数多の人物を巻きこみながら膨張する。そこでの「わたし」は、相対の産物として“ちっぽけ”な存在へと極小化する。点描画に置く一筆のように、自ら描きつつも描かれている。畢竟どれだけ喪失に喘えごうとも、事切れるその瞬間まで人は決して独りきりにはなれない。“ちっぽけ”がゆえに。

11月22日、遠い昔に沼地だった町へ移り住む。雨あがりの下見の日には、町全体が日陰のように湿っていた。空から降りそそいだ水が一切合切の空気を濯いだ後とはとうてい思えない。地面から立ちのぼる湿気のためか、雨の乾きが遅い。

反面、新居は築浅の最上階で、陽が射すと馬鹿に白光りする。湿った町をよそに随分とまあ、あっけらかんとした部屋だ。つきぬけた先の“たった今”らしくもあり、早くも気に入っている。今日はカーテンを新調した。10年間にピリオドを置き、ひとりの部屋に私は新しいカーテンを引く。

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〜おしまい〜

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