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息継ぎをすると最後に苗子は 〈田園 #1〉
なにも言わなくてもいいということに、苗子はずっと甘えていた。そうして答えぬままに棚あげされた質問たちが、いまだもって宿題としてのこりつづけている。いずれ人生を通じてくりかえし問いなおさなければなるまい。
苗子は依然として終わりの来ぬ本を読み耽っている。兆しのような死にみまわれると決まって、「人間関係はときどき、どこまでいっても閉じない螺旋みたい」と独り言ちた。そしてふたたび終わりの来ぬ本にほつれをもとめ、内奥の空隙をコトバでうめては息をふきかえすのだった。
彼方に霞む島影を目指して海峡を泳ぐこと、少しばかり途方に暮れること、それよりもっと貪欲になること、海流に押し戻されること、そして筋肉に乳酸が溜まること。それが苗子の総てであり、巣篭もりであった。
「そこにこめた願いや思いを宛先にうけとめてもらうことを mail の本義と見ると不確実なのは便箋だろうと電子だろうと小瓶につめて海原に放るのと大差ない祈るように返事を待ったらなおさらでしょうわからなければいけないけれどわかりたくないことは都合よく読みかえるか目や耳をふさぐかストレートには頭にとどかないそれに気づいたときにはわかりたくないことをわかってしまったときよりもずっと堪えるのそれはともかくわかりたくないがゆえに誤認してきたことの真実がなにかなんて意外と簡単なヒトコトで露呈してしまうものよ虚ろを突くようにふとした瞬間にさらなる誤認をするまもなく結局わからなければいけないことはどれだけ悪あがきしようとわかってしまうようにできているの」
そう言いきって音もなく、息継ぎをすると最後に苗子は「そういうものじゃなあい?」とつけくわえた。自分のなにをも語らずにおくために、コトバを尽くす。苗子にはときどきそういうことがあった。よほど無言でいるほうが、素直な気持ちがあらわれるのかもしれない。
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