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フラクタル 〈6〉
特別なこととは至極、個人的なもの。他者と共有するのは計測可能な時間にすぎず、それすらも幻想なのではないかと訝しく思われるほどに、個人的な体験のなかで「特別」は織り成される。
秒針がすすむごとに、ひと織り、ふた織り… ときおり絡む誰かの糸は、またねと言って別れしなに引き抜かれ、あとに残る「特別」はだいたいいつも穴ぽこだらけなのだ。個人的なものであるがゆえに不完全にならざるをえない、そうした「特別」にひとりくるまるとき私は、思う。
生きるも死ぬもあなたの自由だと、言いきる無関心の感触が温く優しくあるのは、対峙しているのが究極的には不必要な他者だから。 そうして世界から自分を切り離してしまえば、傷つけあうこともなくなるんだろう。自由は孤独のうちにある。それでも。
この「それでも」に賭けて、人は誰かを抱擁する。他者を渇望するかのように。 孤独から自分を切り離し、必ずしも易しくはない関心を注ぎ注がれた先で、混じりあい、手にする、あの途方もない自由以上の解放感を求めて。
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