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フラクタル 〈7〉

嬉々として迷路に彷徨い遊ぶ子供たちが、はぐれた友人に声をかけ互いに居場所を確認しあっている。そうして行き会って、おおいたいたと更に嬉々として彷徨い出る。あれは人間の根源的な姿であり、初歩的な理性の顕れだ。

直情の選択肢はひとつだけれど、理性の選択肢はいくつもある。いくつもあるうちからひとつを選んだところで、その先にはまたいくつもの選択肢が待ちかまえている。その繰り返し。理性の道は迷路だ。ゆえに別個の道から同じゴールを目指すときには、あの子らのようにあなたは独りじゃないと伝え続けなければならないのだろう。

しかし修復の叶わない、一方的な別れの憂き目に交わす「さよなら」は、他でもない自分のために必要な言葉なのだと、つくづく思う。口にするしないにかかわらず、たいていは内に向かって呟いている。そして離れざまに心をもぎとられたまま、「さよなら」を掴みそこねた人は泣いていた。遠まわりをして掴んだ人は、笑っていた。

泣いたとて、遠まわりの途上。大切なものはいつも、変わらないものと変わりゆくもののはざまで浮き彫りになる。やわらかな陽射しと風、いつかの雨の匂い、緩徐に流れる時間。これ以上、いったい私たちに何が必要であろうか。

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