昔の話

母親曰く、「テレビの前に転がしておくとずっと見てる手のかからない子だった」らしい。

自我が芽生えると、あら不思議。
保育所が嫌いで、毎朝ギャン泣きしては、車の後部座席にしがみつき、抵抗虚しく、母親に引き剥がされ、嫌々保育園に行っていたのが、私の中の1番古い記憶。
なぜ嫌だったのか。嫌いな茹で野菜を、無理やり食べさせられるからだ。
ちなみに、帰る時間になると、てんとう虫の遊具に乗りたいが、我先に行くタイプではなかったので、順番待ちしていたみたい。

母曰く、「迂闊に約束はできない子だった」らしい。
来週ここに行こうね、明日はこれを食べようね。それが叶えられないと、酷く癇癪を起こしていた。
ほんとはもっと曖昧なニュアンスで親たちも言っていたんだろうけど、チビわたしはこの日は絶対ここに行くんだ!と思いきっていた。
今思うと、大人の都合もわかるけど、不確定な約束はしないでほしい。

要するに聞き分けはいいけど、拘りが強い子供だったのだ。

小学校では聞き分けのいい優等生、家でも学校でも普通にいい子。
持ち物も前日に準備する、宿題を終わらせてから遊ぶ、特別頭がいいわけではなかったが、半分より上めくらいだったと思う。塾には通っていない。
強いて言うなら、食が太く、めちゃくちゃ太っていた。中学年くらいまでは、中度肥満。
これも、高学年で背が伸び、標準体重になった。軽くなっても走るのは遅かった。体育は苦手だった。

小学校高学年で幼少期の自我が片鱗する。
イケイケグループに属してる子が、そのグループ内で肌が合わなかったのか、何かをきっかけに、私と仲良くなるようになった。
すると、イケイケグループの仲間から、何とは言わないが、不快な視線を感じた。
いじめられていたわけでもなく、思春期女子特有の被害妄想だったのかもしれない。
すごくストレスで、伸びた親指の爪を曲げすぎて、真ん中からもげはじめるくらいだった。

そんなこんながあって、登校拒否。まあ、これは可愛いもん。序の口。3日くらい休んで、しれっと教室に戻った。

中学に上がると、自我が爆発。
制服を着て、授業を受けること自体が苦痛で。毎朝ギャン泣きして、登校拒否。母親とずいぶん衝突した。

後々思うと、PMDDだったと思う。この世の終わりくらい気分が落ち込み、自責する。生理が始まるとフッと気持ちが軽くなる。
それもコミコミで、余計に家に籠るようになった。

まだ学校にいた時、ちょっと問題児もいたので、割と先生は怒っていた。周りもガヤガヤして、うるさかった。その子に対して怒っているのが、わたしも怒られてるように感じてすごく嫌だった。

毎日提出する日記に、「授業受けるのが辛い」と書いた。縋る思いで。そしたら、「みんなそうだから、大丈夫だよ」とコメントがあった。
そこで、すごく失望感を感じたのを今でも覚えている。大人ってみんなこうなんだ。わたしの気持ちはわからないし、わかろうとしないんだと。

先生は励ましたかったんだと思う。
でもわたしにとっては、すごく辛くて大丈夫じゃないのに、大丈夫で片付けられたとおもってしまった。

それから家に引き篭もるようになる。

最初のうちは本当に体調が悪く、毎日眠い。朝から夕方まで寝て夜も寝てのような毎日だった。
1日休むと、明日、明後日とずるずると休む。個人的には3日以上休むともう教室には戻れないと思う。

グレてしまったけど、好きだったピアノはずっと続けた。3歳から習っていたピアノ。土曜日だけは早起きして、自転車に乗って通った。

ピアノの先生も察したのか、お喋りして、とりあえず一回弾いてレッスン終わりみたいなことが増えた。
あれは非常に助かった。絶対ピアノは続けた方がいい。絶対何かで役立つからと言ってくれた。

そんなこんなで保健室登校、ちょぴっと教室を繰り返し、結局怖くて卒業式には出られなかった。体育館の上から眺めて、中学生活は終わった。

親に晴れ姿を見せられなかったことや、最後なのに足がすくむ自分がやるせなくて、ひどく落ち込んだようなそうでもなかったような。
当時はそれはそれは辛かったけど、今はもう記憶さえも曖昧だ。

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