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”のんびり島暮らし”、なんて幻想的すぎる?

「南の島でのんびり暮らしたいな〜」なんて思ったことはないだろうか。私の周りだけで数人がこの言葉を発しているのを聞いたことがあるので、ふと考えたことがある人は少なくないのかもしれない。

そして今、私は鹿児島県の離島・種子島に住んでいる。ここが私の生まれた場所であり、高校まで過ごした故郷だ。この島も、沖縄県ほど南ではないが、本土最南端の県に位置しているので、南の島と言えるのだろう。

今日はこの種子島から、実際の南の島暮らしのリアルをお伝えしようと思う。ただ、私の主観が多く含まれているので、一意見として読んでいただけたら嬉しい。

そもそも、地域に溶け込んで生きていきたいか、それとも島内の繋がりはそこまで求めず、自分たちが満足できる生活ができればいいのか、それによっても問いに対する答えは変わってくる。

もし、地域に住む人たちとの関係性も大事にしていきたいというのであれば、南の島暮らしは想像以上に”のんびり”していないかもしれない。

まず私自身のことを少しお話しさせていただくと、高校卒業後は島を出て、宮崎の大学へ進学し、名古屋と東京で働いたのち、Uターンしてきたのが2年前。

島に帰ろうと思ったきっかけはいくつかあるが、都会の生活に疲れてしまったということも大きな理由の一つだったように思う。「島に帰って、ちょっとマイペースに過ごしてみるか」そんなことを考えながら帰ってきた。

しかし、実際のところ、島暮らしは忙しかった。

子どもの頃は種子島しか知らなかったので、島以外の働き方・生き方を知らなかったが、都会での生活を経て帰ってきてみると、島民はマイペースではあるが、のんびりはしていないし、むしろチャキチャキしているように感じる。

島の朝は早い。思い返せば、会社員だった私の父母も毎日8時前には家を出ていたし、農家の祖父母も8時には畑に出ていた。

いくつかの仕事を掛け持ちする働き方も、「複業」という言葉が流行るずっと前から当たり前のようにあったのだと、帰ってきてから知った。

仕事以外にも、家の手入れや地域行事への参加、子育てや趣味の畑仕事やスポーツの練習など、みんな常に動き回っている。

独身の一人暮らしなら別だが、家族がいると地域や小学校の行事への参加もある。強制参加というわけではないし、老若男女が集って地域や子どもたちのために活動することは楽しくもあるが、頻繁にあると土日の休みは行事で潰れてしまう。

それがストレスに感じてしまうのであれば、自分と地域との間にしっかり境界線を引き、自分を守りながら地域と関わることをオススメする。その境界線はあえて口外する必要はなく、自分の中で把握できていればよい

お誘いや行事への参加を断るときに大事なことは、周りの人を嫌な気持ちにさせないことだ。「あまりそういうの参加したくないので」と露骨には断らず(時折、はっきりと拒否反応を示す人をお見かけする)、何かしらの理由を見繕うか、「ちょっと疲れてて…」なんて本心をぽろっと吐露してみるのも、関係性によってはありかもしれない。

上記に加え、島暮らしで忘れてはならないのが、自然との戦いだ。主に台風の時だが、事前に暴風と雷雨を凌ぐための頑丈な雨戸を引いたり、吹き飛ばされそうなものを中に入れたり。それだけでも結構な力仕事であるが、通過後の後片付けも残っている。

台風が来ない平常時でも、草払いなど地域の清掃は日常的にある。暮らしていくためには必要な作業だ。

「南の島でのんびり、なんて幻想だ」というのは言葉が強すぎるけれど、捉え方によっては事実ではある。周りとの関係性など無視して、自由気ままに生きることを決めたのであればそう生きればいいが、自分以外にも地域に住む人がいる以上、資源を共有しながら暮らしていくためにやらなければならないことがある。

その”やらなければならない”ことに対して、いかに自分や周りとの折り合いをつけながら生きていくかが重要な気がする。

そして最後に。
南の島ぐらいは楽しいことや穏やかなことばかりではないが、青い空と海、燃えるような夕焼けは、嫌なことすべて忘れさせてくれるほどの浄化作用がある。この美しい瞬間を見るたびに、明日も頑張ろう、そう思える。

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