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僕の原初の記憶の話をしよう

とても貧しい一家があった。母子家庭で子供は男の子が二人。今日の食事もままならない状況だった。年末を控えた時分、母親の家賃滞納が続いたことを見かねた大家は強制的に家族を家から追い出した。外ははらはらと雪が振り、ボロ靴では心もとない程度に雪が積もっていた。凍えながらも母親は子供を飢えさせないようにと、なけなしのお金で買っていたビスケットを子供に与えた。「おいしいね」と兄弟は言った。母親の心はジクジクと痛んだが、我が子の健気さに心を打たれ、寒さを凌げるところを必死に探し回った。

その日はクリスマスイヴと呼ばれる日だった。楽しそうにはしゃぐ子どもたち、それを笑顔で見つめる親たち、幸せそうなカップル。母親は心がはちきれそうだった。情けないような切ないような悲しいような、それでもなんとか自分を律しているような、そんな母親を兄弟は不思議そうに見つめていたが、なぜかなんとも声をかけることができず、母親の服の裾をギュッと握るのだった。

無情にも薄汚れた無一文の親子を受け入れてくれる場所はなく、辺りは暗闇を帯びてきた。雪は一層降り積もり、子供たちは完全に凍えていた。その時母親の目に止まったのは、街の広場の大きなクリスマスツリーだった。そのもみの木の下は、幸いにも降雪が少なかった。母親は子供たちを連れ、そのツリーの根本に腰を下ろし身を寄せ合った。「おなかすいたね」「うん」兄弟の言葉に「ごめんね、これしかないんだ」と母親は最後のビスケットを二つに割って差し出した。「おいしいね」「うん」兄と弟は母親に笑顔を向けた。母親は涙を流しながら二人を抱きしめた。三人はいつの間にか疲れ果てて眠っていた。

クリスマスの朝。舞い落ちる雪は柔らかく、粒の大きなものに変わり、静かに銀世界を彩っていた。とある街の広場に彩られたクリスマスツリー、その根本に幸せそうな笑顔で眠る女性と二人の幼い男の子がいた。そして三人は二度と息をすることはなく、つまりは息を引き取っていた。家々の窓からは、子供たちがプレゼントに歓喜する声が漏れ聞こえている。今年もクリスマスがやってきた。

つまり。

これが嘘偽りない僕の原初の記憶である。これは幼稚園生の頃、僕が弟と二人でとある冬の日に母親に聞かされた物語だ。原作があるのか、母の創作なのかは不明である。もっと幼い頃の記憶をお持ちの諸君もいるだろうが、僕はこれが最もはっきりと記憶している最初の記憶で、そして今でも克服できていないトラウマであることを強調しておきたい。幼稚園に通う子供が知るのはアンパンマンの世界である。勧善懲悪で、弱き者には助けの手が差し伸べられ、誰も死なない純粋なハッピーエンドの世界だ。幼いながらに心が絞め付けられる感覚を覚え、一時は何故母がこんな話を僕に聞かせたのか恨んだときも一度や二度じゃない。今日に至るまでこの話を忘れたこともない。

そんなのがトラウマかと鼻で笑うようないい歳こいて人徳の欠片もないお前らはお呼びじゃないのでさっさとブラウザバックしろ。幼稚園生の僕がどうにも足掻けない死の恐怖と家族の温もりとお金がないとどうにもならないんだと知った絶望とやるせなさとやり切れなさを想像できないバカに聞いてほしい話じゃないんだ。

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