見出し画像

精神疾患の話/Ⅲ.ADH(D)

普段は音楽を作っていることが多いのですが、こうして文章を書いているのも楽しいなと思うようになってきました。アウトプットの選択肢が多いのっていいですね。

さてこれは有名ですね、ADHDです。正確には僕の場合グレーゾーンというやつで、最近では非定型発達(ADH)と呼ばれることもあるようです。社会生活はおくれるけど、定型発達の皆さんに合わせて生活するのに非常に苦労したり、障害と断言されないことで「単に自分は能力が低いんだ」と自己肯定感ダダ下がりで鬱病になったりします。

ダイバーシティがビジネス用語になって久しいですが、こういったグラデーションの中で生きている人はたくさんいます。きっとあなたの近くにもいます。メンヘラアピールよろしく、自称ADHDがやたら目につくのには辟易していますが、世間の認知度の割に正しく自己開示する人やそれにフラットに向き合える人は少ないです。昔ブラマヨのどっちかが言っていたのですが「ハゲも茶髪と同じくらい普通になればいい、みんな茶髪見てもふ~んって感じなのにハゲ見るとうわっハゲとるってなるやん」ってうこれ、ADHDに限らずあらゆる障害に対してそう向き合えればいいのになと思うのです。メガネ掛けてる人見てうわっとはならないでしょ。杖ついてる高齢者見て引いたりしないでしょ。社会全体が色眼鏡を外して「障害(と今は呼ばれるもの)」と共存できればファッションメンヘラもいなくなって快適なのになあと常々考えています。

僕の敬愛する落合陽一さんの言葉に「みんな違ってみんなどうでもいい」というものがあります。なぜ彼がわざわざこんな事を繰り返し語るのか、それこそが「みんなどうでもいい」がコモディティ化していないこと、今の世の中に父性が足りていないことを物語っています。

ADHDは治すものではありません。やがて全てのADHDがADHになればいいなと思いながらも、部屋の隅でただ傍観している僕はなんて役立たずなんだろうと謎の自己卑下で閉めさせていただきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?