IQの高いバカが増えている?
人類のIQ(知能指数)は過去数十年にわたり一貫して上昇し続けてきた。
フリン効果として知られるこの現象が世界のあらゆる地域で起きているという報告は、当時の心理学界に驚愕をもって受け止められました。
それまで主に遺伝的な要因によって決まるとされていたIQが、比較的短期間のうちに急激な上昇をみせていたからです。
このことはつまり、IQの上昇が環境の変化によってもたらされたことを意味していますが、その具体的な理由としては教育制度改革による基礎教育の普及や、パターン認識や抽象的な概念を扱うような教育内容へのシフトなどが挙げられています。
ではIQが格段に向上した人類は、昔に比べてはるかに賢くなったと言えるのでしょうか。
現実を見れば、今なお世界のいたるところで対立や分断が起き、陰謀論が渦巻き、ネット上はフェイクニュースで溢れかえっています。
人類のIQが向上しているにもかかわらず、一向に争いや諍いが絶える気配がない理由について作家の橘玲氏は、単にネットやSNSによってそれらが目立つようになっただけではないか、としています。
しかし理由は果たして本当にそれだけなのでしょうか。
そもそもIQ、知能指数という概念がこれほどまでに広く普及したのは、IQテストで測られるとされる"一般的知能"が、他のあらゆる知的能力のベースとなると考えられていたからです。
しかし近年になって、その前提を覆すような研究結果が報告されるようになってきました。
たとえば以下の例題を見てみましょう。
バット1本とボール1個は合計1ドル10セントだ。バットはボールより1ドル高い。ボールはいくらか。
湖面をスイレンの葉が覆っている。葉の面積は日々、倍増する。48日目に湖面全体が覆われるとすると、湖面の半分が覆われるのは何日目か。
機械5台を5分間動かすと、製品が5個できる。機械100台で製品を100個つくるには、何分かかるか。
一見簡単に見えますが、2005年にアメリカで行われた研究では、ハーバード大学やプリンストン大学など高いIQを誇る名門大学の学生でも3問正答したのは3割未満という結果でした(※1)。
これらは認知バイアス(直感的な認知のゆがみ)をあぶり出す、認知反射テストとして知られる有名な質問で、IQテストでは測ることのできないメタ認知能力、ある種の合理的な思考力が試されます。
また別の研究では高IQ集団として知られるMENSAの会員のうち、44%が占星術を信じており、56%が地球外生命体が地球を訪れたことがあると考えていると回答するなど(※2)、近年、合理的思考力とIQにはほとんど相関がないということが明らかになってきています。
つまり情報を分析し、冷静に理詰めで物事を考える力とIQはほとんど関係がないということです。
また学者や研究者などの専門家も、同様の認知的なエラーを犯しやすいと言われています。
専門家は特定の分野について豊富な経験や知識を有していますが、その自信から瞬時に直感的な判断を下しやすく、自分の意見に矛盾するような情報から目を逸らす確証バイアスが生じてしまいやすいのです。
このような直感的な判断は、過去の経験の蓄積によるパターン認識に基づいており(※3)、たいていのケースでは有効に機能しますが、一見同じような状況に見えて実は本質が異なっているというような場合には、致命的なミスを誘発してしまう可能性があります。
これらのことからわかるのは、IQの高さや専門分野における習熟は、必ずしも正確性や合理性を担保しないということです。
ではIQや知識量では実質的な賢さ、知性を測ることができないとすると、それらを規定しているのはどのような要素なのでしょうか。
ヨーロッパが文明をリードしてきた理由
中国、韓国、日本、台湾、シンガポールなど、東アジアの国々は世界的にみてIQが高いことが知られています。
しかし歴史を振り返ると、議会制民主主義の確立、新大陸の発見、科学的・学術的な知見の集積、技術革新・産業革命、近代資本主義のシステムなど、文明の発展をリードしてきたのは常にヨーロッパ大陸でした。
これは単なる偶然でしょうか。もし偶然ではないとしたら、ヨーロッパにそれらをもたらしたものとは一体何だったのか。
イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、前近代においてヨーロッパ人だけが持ち得た、ある知的態度にその秘密があると言っています。
この世界には自分たちの知らないことが山ほどある。それらを解き明かし、自らの手で支配したい。
古代ギリシャの哲学者ソクラテスの言う「無知の知」、他の大陸の民族が持ち得なかった貪欲な知的好奇心と征服欲が、まだ見ぬ大陸の制圧へと駆り立てた。
そして自然科学における知見をベースとした技術開発により、知識と技術の双方でのアドバンテージを獲得したヨーロッパは、大航海時代を経て世界の大部分を支配するに至った…
歴史はそのような流れをたどってきたのかもしれません。
時代を切り拓く知性とその二極化
ヨーロッパの世界進出への原動力となった知的な謙虚さ、知的好奇心は、現代においてもイノベーションの鍵となる素養と考えられており、AmazonやGoogleなどのグローバルテック企業は、経歴やスキルよりもこの資質を重視した採用を行っているようです。
新たな時代を切り拓いていく知性、賢さとは、反射的、直感的に答えをアウトプットする頭の回転の早さではなく、一つのことについて考え続けられる知的体力、「無知の知」に目覚め、自身の考えさえも疑える批判的思考力のことを言うのかもしれません。
そしてこのような内省的な思考力は、感情の識別(メタ認知)能力とも関係しており、マインドフルネス瞑想や日記などの習慣によって向上することがわかっています。
一方で、メタ認知や内省的思考を司る前頭前野はストレスや依存症により最もダメージを受けやすい領域でもあり、不安や脅威にさらされると(思考が硬直化して)熟慮ができなくなり、認知バイアスの大きい直感的な思考に切り替わりやすくなることが知られています。
SNSで誹謗中傷(正義中毒)や脊髄反射のクソリプが目立つのも、プラットフォームそれ自体に冷静さ、思慮深さをスポイルする性質があると考えると納得がいきます。
人類の知性が生み出したテクノロジーによって、その知性そのものが危機に瀕しているとは何とも皮肉な話かもしれません。
そのことに自覚的である一部の層(※4)とそれ以外との間で、(マタイ効果によって)ますますその二極化が進んでいくという現実は、未来に何をもたらすのでしょうか。
※1:
※2:
https://www.researchgate.net/publication/14952987_Dysrationalia_A_New_Specific_Learning_Disability
※3:
※4: