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現代社会のコミュニケーション

現代社会の私たちは、好むと好まざるとにかかわらず、「地球市民」と呼ばざるを得ない時代にいるのかもしれません。自分や自分の国のことが、自分の国でない人たちにまで影響することを、無視できなくなっているからです。

そうした事実は、社会のあらゆる面に浸透して、心身の健康問題にまで連なっています。生活者としての一人一人が、身の周りのことから地球規模のことまでを、一緒に考えざるを得ない時代になっているのですね。

地球上を行き交う「人・もの・情報の関わり」は、ドライバーを必要としない車の運転や、オンライン国際会議に見るように、専門分野の境界が一層拡大して重なっています。それ故、従来のように学際的知的複合情報を共有し恊働することが困難になっています。

例えば、縦割り行政の弊害によって複合災害の対策が、災害大国の日本においてすら蓄積できないような「認識と実践のギャップ」、あるいは原子力発電のように「精神と物質で対話がもてない状況」なども放置できないでしょう。

国や言語の違いを超えて

地球上には3,000もの異なる言語がある、いや4,500だとも言われる中で、限られた言語だけが国際語として機能する時代は、過去になるのかもしれません。自国語が国際語の人と、自国語が国際語でない人のメリット・デメリットを数値化して、国際社会で発表すべきでしょう。その不平等を少なくするための提案を、各国の全ての人から集めて、国連などが活用するべきでしょう。

多様な話しことばと書き文字だけで、現在、直面している地球規模の問題に対処することは困難だと言わざるを得ません。

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国連大学アニメーション「生存は分かち合いから」(1984年)

国連大学は以前から、11カ国語で出版物と新聞を出版してきたけれど、何年経っても誰も国連大学とは何かをわかってくれない。誰でも見てすぐに国連大学とは何かがわかるものをデザインしてほしいと、太田に依頼がありました。それまでの数年間は、大学の新しい基本方針を図解(ダイアグラム化)して機関誌の表紙にデザインしたり、各国語で発行される新聞の編集デザインを担当してきたけれど、印刷物のデザインで満足が得られる話題ではない、と思うと、お先真っ暗でした。

数日間の暗中模索から抜け出せたのはその5年前の1978年、世界から5人の専門家がハワイ・ホノルルのEast West Center に集められて6ヶ月間、「国際相互依存状況の視覚化」という困難なデザインワークを、太田が中心になって成功裡に完成させていたからです。国際相互依存がいかに重要かを各国の政策決定者に、見て分かってもらう趣旨の手作りのアニメ的なピクトグラムデザイン。ストーリーは、エネルギー、食料、公害、コミュニケーション、人口問題など共通の課題に対処するため、いかに国際協調が重要かを訴える(当初は)ナレーションなしの視覚言語で、試写会はとても成功しました。

実写の映像とピクトグラムを組み合わせたアニメーションのデザインに作業の照準が合いました。世界でコンピュータ・アニメーションが未だ実現していない中で、イギリスの友人が、毎年東京の太田宅に立ち寄って、アメリカのコンピュータ企業の東京ラボを夜間だけ借用して、10年間ほどアニメソフトを個人的に研究していた経過を聞いていたので、ソフトが完成していないことは知りながら、彼と一緒にコンピュータアニメーションを使って、国連大学を見てわかるようにしたい、と申し入れました。

その提案はすぐに受け入れられて、大学側の委員4名と太田は、ビジュアル・シークエンス(視覚的ストーリー)の作成に入り、2ヶ月弱で、ストーリーはできました。彼が来日してから4ヶ月間の彼とパートナーのホテル代は国連大学が出してくれたので、夜中の12時頃からジョイントワークが始まる毎日でした。コンピュータは大型冷蔵庫のように巨大で、常時、完全な空調を必要とする寒い部屋ごと使う環境でした。

音響効果は太田の知り合いのNHKの専門家に協力を依頼。国連大学のNHKへの依頼状も効を奏し、日本一の音響編集ラボも太田の要望に応えてくれました。ナレーションなしにしたかったけれど、結局11か国語で、日本語は石坂浩二氏、米語はピーター・ユスティノフ、フランス語はジャンヌ・モローなど、世界のトップメンバーの協力です。

未完成だったアニメソフトは結果として、国連大学プロジェクトを踏み台にして完成し、実用化しました。アンティックス・システムと呼ぶソフトは、スタイラスペンでタブレット上の一覧表の中から好きな動きを選ぶだけで、誰でも5分で使用できるすぐれものでした。AからBへ連続して形が変わるin betweenの表現効果も、容易に可能でした。

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国連大学アニメーション

「生存は分かち合いから」と題した世界初のコンピュータアニメーションを、東京・青山の国連大学本部で各国記者団100名に試写会で発表したところ、大成功でした。その3週間後、都内の電車で偶然、協力した米国パソコン企業の担当者と出会った折、高額にも関わらず20日間で10セット(1セット1億6千万円)も売れたと喜んでいました。NHKも、国内最大手アニメ会社も、アニメ専門学校も、購入したようです。手塚治虫さんにも見ていただいたところ「よくやっているね。」と褒められましたが、「まだまだ、手で表現できると思うよ。」とのコメントをいただきました。

英語版BGM(バックミュージック)には、ジョン・レノンのイマジンを使いました。国籍や言語や宗教や民族の違いを超えて理解し協力し合える、新しいコミュニケーション(関係・関わり)を、国連大学のコンピュータアニメーションが視覚化し、イマジンの音楽がその”こころ”を表現しているからです。でもそのためにレノンは1980年、ニューヨーク市内で銃弾によって命を絶たれました。2021年2月現在、東京六本木にて長期開催中のヨーコ・オノさんとの二人展が、レノン追悼展と言えるでしょう。

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