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第13号 芸術のハナシ

おはようございますこんにちはこんばんは。

オタールです。

はい、サボってました。僕のこの空白の数カ月の内訳としては、就活が終わり、ゼミもひと段落ついたので私利私欲のまま生きていた所、完全にnoteを置いてきぼりにしていたというものです。就活中は色々と深く考える時間があったので、書きたいテーマは積もりに積もり、下書きが大量にある状態ではいるものの、そのまま放置していた現状です。毎日今日こそは書こうと考えていたものの、いざパソコンの前に座ると書きたい欲が失せてしまいます。しかし、最近文章や言葉に触れる機会が多く、その度自分の気持ちや思いと向き合ううちに、書きたい欲が復活してきました。なのでそろそろnoteを復旧していきたいと思います。
それにしても、一人称を「僕」としているのに少し違和感を感じます。というのも「僕」という一人称は目上の人か自分と同等の人に対して使うものであるため、面接やエントリーシートでは常に「私」を使用しなければいけません。僕は(私は)今まで「私」という一人称をカラオケでbacknumberを歌う時くらいしか使用したことが無かったので、面接の中で自然に話すことにかなり苦労しました。時には「僕は、、、じゃなくて私は~」という、丁寧に話そうとするあまり丁寧でなくなるというジレンマに陥ることがありました。これ女の人は一般的に男に比べて使う回数が多いと思うので、導入に汗を流しませんが、男のみんなは相当苦労してると思います。ぜひ僕(私)以外の男にもどうであったか聞いてみたいです。ということで、就活中は常に一人称が「私」だったので、今現在「僕」を使うことで悪いことをしている気になります。罪悪感はありますが、noteの方はこれからも僕っ子で頑張らしていただきます。よろしくお願いします。

さて今回のハナシですが芸術のハナシです。芸術と言えばみなさん何を想像するんでしょうか。僕は芸術と言われるとどうしても絵画が先行してしまいます。しかし、「芸術」は意外と汎用的で音楽や文学、映画、舞踊またその他多くのものに対して用いられる言葉でして。まあ現代においてはどんなものでも「芸術的やなあ~。」なんて言っておけば芸術になってしまうくらいには広義ですね。そんな普遍的に用いられている芸術に対して、今更僕が何をうがつのかみなさん気になるでしょう。否、気にならないでしょうか。こんな話より小松菜奈結婚について語る方が興味あるという方もいるでしょうが、今回はほっといて芸術の話を始めたいと思います。

まず初めに、なぜ芸術について話したいかを簡単に申し上げると、単純に最近の僕自身が芸術と向き合う場面が多いからです。絵を描いたり、リリックと向き合ったり、文章を紡いでいく中で、芸術や表現とは何かを僕なりに度々模索しています。そうした中で、芸術や表現に対する悩みや問題点が多く生じます。今この文章読んでる人にはこいつアーティスト気取りかって思われてそうです。まあ僕の芸術への悩みなんてホンモノのアーティストにとってはハナクソにも満たないので今回は省略します。では今回一体全体なんの話をするのかってところですね。

まず結論から言います。結論ファースト主義なんで。就活癖がまだ残ってるんで。
まず1つ目に満たされている人は芸術が伝わりにくいということです。現状に満足している人に芸術って伝わりにくいと思います。なんとなく分かるとは思いますが、まあ理由として満たされている人は物事に対して深く違和感や疑問や悩みを感じないからです。腹一杯の人に焼肉の話題を振ったところで、肉から滴る脂や、タレが付いた時の光沢感を想像する事が無いように、物事に対してそれ以上深掘りしようとする気持ちがありません。逆に現状に不満や渇望、探究心がある人は芸術を深く感じることが出来ると思います。ラブソングがやけにしみる人がいるのは、そういった自分の欠けた部分や共通点に対して歌詞や背景を照らし合わせるからこそ、歌詞やメロディーを深く感じるからこそ染みるし響くんです。
なのでこれは自論なんですが、芸術はネガティブであればある程響くし溢れ出るモノだと思ってます。

また2つ目に芸術自体が広義的になっていることが裏目となって、芸術への姿勢が消費されるものになってしまっていることです。今やどんな分野においても音楽やアートが結びつく時代です。そのため芸術自体の意味や存在が広がり次々に新しいモノが生まれていってると思います。それは良いことだと思うし良い時代に生まれることができたと思います。でも芸術の大量生産大量消費によって、表現の本質や作者の意図といった芸術の本来の形を見失っているとも感じます。t○kt○kのように自分の探究心無しに言わば「トレンド」の音楽を知ることは出来ます。ただそれは自分で探して、見て聞いて判断したモノではないんですよね。なので流行を知っていてもそれ以上は無いし深掘りする事もありません。その音楽について深く触れようとはしません。本来音楽やその他芸術はそうではないと思います。自分でその作品のバックボーンや意味、表現方法などを注視したうえで、自分に合うか否か、好き嫌いを判断し深く感じとることが芸術だと思います。もちろん知る手段としてそういう媒体は優れていますが、その先の意味を知ることに本当の意義があると思います。そういう思いがあって実は絵のアカウントを開設しました。芸術や作品に対してもっと真摯に向き合おうという思いと本当に芸術や絵に興味のある人は僕の絵を見にきてくれると思ったからです。
まあさりげなくアカウントの宣伝が入りましたが、これも結局ここまで読んでくれてないと分からないんですよね。ここまで読むという「深掘り」が僕の宣伝まで辿り着いたんです。めんどくさがって読まなかった人は僕の宣伝どころか、今僕が寒空の下で1人この文を書いてることすら知る由もありません。前述のネガティブを取り入れるためにあえてネガティブな環境に身を置くことで言葉を捻出しています。
しかしそろそろ手が死んできましたので今日はここらへんで終わりたいと思います。

ではまた。

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