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幽谷霧子は海

私はこれまで幽谷霧子という存在のことを『神 』のように思っていました。

霧子は全てを包み込んでくれる存在で、気持ち悪い事で有名なプロデューサーにすら邪険な扱いはせず愛を持って接します。
しかしその愛は全ての人間に振り撒かれている、いわば『博愛』のようなものです。

ですから、決して恋愛にはなり得ない。みな平等なだけの愛を霧子から受け取り、それに感謝する。
「私のような存在にも分け隔てなく愛を持って接してくれてありがとうございます」、そんな崇めるような感情で接していました。

故に、私はずっと私の中にある霧子とは『神』だと思っていたのです。
ところが、思考を巡らせているうちにもっと適した例えがあることに気が付きました。

実のところ私は、霧子のことを『海』だと思っていたのです。

海は広く、すべてを受け入れてくれる存在であることは疑う余地もない事実でしょう。
そして海とは万物の母であり、古来から人々に受難と恵みをもたらして来ました。

私の中にある幽谷霧子像は、『海』そのものだったのです。

その結論に達した時、私は様々なことに合点が行きました。

霧子は『博愛』を持って万人に接してくれている。勿論、アンティーカは例外で、そこには『友愛』『親愛』と呼ぶべき感情が存在しているでしょう。
しかし、霧子が見せる『愛』のほぼ全ては『博愛』だと思います。
『博愛』とは、平等に、広く人々を愛す気持ちのこと。

その愛は深く、広く、とても誰かが独占できるものではありません。そして、独占しようと考えてもいけません。
海はみんなのものです。誰かが個人的な理由で海を汚してしまえば海からもたらされる恵みを失い、多くの人々が困窮することでしょう。

故に、霧子を独占するようなことがあってはいけません。少なくとも、霧子Pの私に言わせると独占したいという気持ちは全くありません。

しかし、誰かが海を汚し、独占しようとした時でも、霧子は変わらず愛を振り撒くでしょう。それについては確信を持っています。
それはなぜか。霧子は特定の存在に強く肩入れしないからです。
繰り返しますが、アンティーカは別です。それでも、霧子は全てを平等に考えており、誰かを贔屓することはありません。

それは、一種人間に対する『呆れ』にも似た感情があるからであることを私は知っています。
人間はそんなに完璧な存在ではありません。アイドル、偶像ではなく個人としては霧子を見た時(難しいことですが)、霧子は様々な嫌なことを経験して来たと思います。

決して何の苦労もせず育って来た少女ではありません。
当然W.I.N.G.で負けてしまえば落ち込みますし、悲しかったり辛かったりはするわけです。

それでも尚、霧子が愛を振りまいてくれるのは、「人間は完璧な存在じゃなくてミスもする」ということを知っているからだと思います。
つまるところ、霧子は人間に対して呆れの感情を持っているからこそ平等にその恵みを施してくれるのです。

海は何度産業廃棄物で汚染されても我々に恵みを与えてくれます。当然、時には試練を与えることもあります。
その試練について「人間が〜をしたから…因果応報が…」などということは全く無意味で、それは単なる不運以外の何物でもありません。
海とは、時々気まぐれに試練を与えるのです。
霧子も同じです。

私達霧子Pは、言うまでもなく霧子を愛しています。それ故に、霧子から恋愛という名前の愛を受けたいと思ってしまうこともあるでしょう。
それが試練です。
その一線を超えた瞬間に、霧子はあなたのことを特別視していないということに否が応でも気が付いてしまうでしょう。

霧子は、あくまでも『博愛』だけを振り撒いているのです。

霧子は、人間の醜さを知っている。常に正解できるわけではないと知っている。
にも関わらず、『博愛』だけは平等に、欠かさずに与えてくれている。愛というなの恵みを私たちに向けてくれている。

なんて尊い行いなのでしょうか。
醜く、愚かな私達に呆れている。それなのに、その恵みだけは享受することができるのです。
これは、全てを超越した赦しです。どんな存在でも、決して差別されることなく、決まった量の愛を得ることが出来る。
彼女の笑顔を見ることができる。歌声を聴くことができる。
いつでも、誰でも、変わらずに。

これを赦しと、救いと呼ばずに何と呼びましょう。
我々は皆霧子に一度失望され、その上で赦され、『博愛』という名の救いの手が差し伸べられているのです。
まるでどれだけ人類に汚されても全てを浄化して恵みを届ける母なる海のような、深い包容。
こんな存在を私は他に知りません。

だから、私にできる精一杯の気持ちで感謝するのです。
祈りなんていう仰々しい仕草は必要ないと思います。ただ、ただ、幽谷霧子という存在に感謝し、そして包まれるのです。

それ以上は望まず、だけどそれを欠かす事はない。
それ以上無いほど強く想いながら、万人に向けられるものと同じ愛に胸をいっぱいにする。最大限の感謝をする。

それが、私なりの幽谷霧子への愛です。


あとがき

今回の記事は突発的に書き始めた少しイレギュラーなもので、普段はアニメや漫画についてのレビューや解釈の記事を執筆しています。
よければそちらも覗いてみてください。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

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