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解釈:愛城華恋、めちゃめちゃ演技下手説(少女☆歌劇レヴュースタァライト)

(本記事のポスター以外の画像はYouTube上で公開されている『第一話』及び『劇ス』予告編から引用しています)

https://youtu.be/z5hfWlnhTqk



こんにちは。深夜区トウカと申します。
今回は周囲の有識者達からも反論が多い自論、「愛城華恋めちゃめちゃ演技下手説」を紹介します。記事の性質上ネタバレ全開になりますので、未視聴の方はご注意ください。テレビシリーズ、劇場版どちらの内容も含みます。

なお、本記事は声優さんの演技は全く関係なくアニメ内(テレビシリーズ&劇場版)の描写を省みての記事となります。そこだけご了承ください!



愛城華恋はなぜ"舞台"が上手いのか

まず、愛城華恋が作中で披露した舞台上でのパフォーマンスは非常に質の高いものだと私は考えています。
その上でこんな説を唱えているのは、「それは本当に華恋の演技力によるものなのか?」という疑問が私の中にあるからです。

単刀直入に結論を言いますが、私は華恋は"演技をする事"自体はめちゃめちゃ下手だと思っています。
それでもパフォーマンスが素晴らしいものになっているのは、華恋の持つ類稀なる個性、「自分の感情を演技に乗せる能力」によるものだと考えています。

「私たちはもう、舞台の上」

一番分かりやすい例は、『劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト(以下、劇ス)』の冒頭、純那との舞台練習のシーン。劇中劇、「遥かなるエルドラド」を模していると思われるシーンですね。
より詳しく説明します。冒頭、99期生各位の進路が示され、舞台練習で外国へ行く王子役を演じている純那は自分の進路である大学進学と紐付けて晴れやかな顔でこう言います。

「すまない友よ。私は行かねばならないのだ、あの大海原に!」

(にこにこ星見)


それに対し、華恋の進路は白紙。
そして、ひかりは高校を中退していることが示されます。王子を引き留めようとしている側を演じている華恋は、(順番が多少前後しますが)それに伴い印象的な台詞を発します。

「友よ、なぜ行ってしまうのだ」

勿論、これは劇の台詞でもあり、華恋の本音でもある言葉です。そして、この台詞を発する華恋の演技は真に迫るものであり、その後舞台練習を見ていた生徒達から万雷の拍手を受けることになるのです。

この場面からわかる事は、「純那と華恋どちらも感情を込めた演技をしているものの、舞台上での演技の質には差があった」という事実です。

それがイコールで演技下手に繋がるわけでは勿論ありません。しかし、この場面は思いの丈に少し違ったとしても演技に自分自身の感情を込めることが上手である、という描写に違いありません。

次に、愛城華恋の演技がそんなに上手くないという部分についての考察を行なっていきます。

華恋が魅せたパフォーマンスの源流

これは作中での描写がないのでハッキリ言って想像の余地を出ないものではあるのですが、テレビシリーズの大場ななが示唆した「華恋は過去の再演ではずっと最下位だった」という点から、特別に演技力が秀でていたわけではない、と考えます。

しかし、そもそも華恋は超難関校である聖翔に入学しているわけです。さらに、『劇ス』では華恋の過去として小学校高学年〜中学時代にかけて主演女優を何度も演じている姿が描かれています。

それらをどう説明するか。強引なようですが、私はこれらで華恋が発揮したパフォーマンスも「ひかりとの約束を守るため」という強い感情に起因するものだと考えます。

約束の象徴、手紙

華恋は過去編で「虹の向こう(化け物を退治する劇中劇)」を演じ終え帰宅してから、真っ先にひかりへの手紙を書いています。この事から、華恋にとってひかり宛ての手紙を書くという事はパフォーマンスを終えたあとに行うルーティーンの一環であると言えるでしょう。

華恋にとっての"演技"は"ルーティーン"

ここからが私の自論です。
このルーティーンは華恋にとって演技へ感情を込めるための行為なのです。ルーティーンとは、何も事前にするものだけではありません。この場合は手紙に自分の近況を書ける、努力している事を示せる、という一種の承認を求める行為なのではないかと私は思います。

舞台で与えられた役を演じ切り、それを手紙で報告する。これが華恋が演技を行う際のモチベーションであり、かつてひかりと交わした「二人でトップスタァになる」という想いを演技に込める為の行動なのです。

「あの日、生まれたんだね。舞台少女・愛城華恋は」


それゆえ、華恋が『劇ス』の回想で披露したパフォーマンスも純粋な演技力ではなく、感情を演技に込める能力が発揮された結果だと言えるわけです。
この説を当てはまるのであれば、聖翔に合格するほどのパフォーマンスを発揮できた理由は明白。ひかりとの約束を守るため、自らの感情をそのまま演技にしたから。ひかりへの想いがあったからこそ、舞台少女・愛城華恋は卓越したパフォーマンスを発揮できていたのです。

すると、ここで新たに疑問が一つ生まれます。
どうしてそれだけのパフォーマンスができる華恋がレヴューでは負け続きだったのでしょうか。

「アタシ、再生産」という言葉の意味

問題解決の鍵となるのは、華恋はひかりへの想いを忘れかけていたという事実です。どうしてそんな事実があるのか、逆説的に説明します。

華恋はひかりへの想いを演技に込めることができて、それが出来たら無敵。
それは、逆説的に無敵でないということはひかりへの想いを忘れているということに他ならないのです。

それでは、想いを忘れていた理由はなんでしょうか。これ完全な推察になりますが、恐らく「ひかりが約束を覚えているか怖かったから」ではないかと思います。回想で叔母さんに指摘されてた奴ですね。
それは、言い換えれば自分の中にある想いを信じることができない状態に陥っていた、ということです。

中学時代は叔母さんに発破をかけられてひかりが演劇の道を歩んでいることも確認できたから、自分を信じて演技に想いを込めることができた。
けれど、時間が経って聖翔に入り、そこで舞台人(B組もあるので)達に実力差を見せつけられて、再び自信を失った。だから、レヴューでもずっと最下位。

そんな折にひかりが現れ、また想いを演技に込めることが出来るようになった。

これって何かにそっくりじゃないですか?

そう、これぞ正に舞台少女・愛城華恋による「アタシ再生産」なのです!

「行こう。あの星の向こうへ」

なんだかんだ言ってもここに帰結するのですね。

愛城華恋は感情を演技に込める能力を持っている。それ故に、聖翔に行けるようなパフォーマンスが可能だった。しかし、その想いを忘れてしまったからレヴューでは最下位続き。だけど、ひかりちゃんがやって来た!だから、無敵!!!

これが本記事の結論です。
ちなみに天堂さんに負けた理由は単純に華恋の中でひかりとの想いよりも絶望感の方が大きくなってしまった結果だと思います。レヴューって精神力なので。理論上は華恋の想いはなによりきらめいているので無敵なはずです。おかしくない…!

「貫いて見せなさいよ、あんたのきらめきで」


あとがき

ということで「愛城華恋、めちゃめちゃ演技下手説」は以上になります。
多分、多くの人に「それも含めて華恋の演技のうまさなんじゃないか」と言われそうですが、私はやっぱり"純粋な演技力"と"想いを演技に乗せる力"とは区別して考えたいのでこのような内容になりました。

ただ、言葉の綾というか、呼び方が違うだけで根底にある概念は皆さんのものと同じだと思います。

間違いなく、舞台で一番きらめいている存在は愛城華恋ですから!


星屑溢れるステージに
可憐に咲かせる愛の華
生まれ変わった私を纏い
キラめく舞台に飛び込み参上!

99期生愛城華恋

みんなをスタァライト、しちゃいます!

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