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もやもやした気持ちを上手にしまうために書いた私の宝物のこと

仕事を辞めた理由は1つではない。

2020年の夏、仕事の収支バランスが悪く悩んでいた。
努力しても一向に上向くことができなかった。
光が見えないまま半年経ったころに、
元気だった母が入院して1週間で亡くなった。
何もできなかった。
看護師の経験が生かせない虚しさだけが残った。

解決しない悩みを二重に抱えるという人生初めての大きな壁。

「どうしたら」「何が足りないのか」「ああすれば、こうすれば良かった」夜も頭が冴えて、
寝つけない、寝てもすぐ目が覚める、夜明け前に目が覚める。

眠れないと前向きな考えがさっぱり出てこない。

そのうち怪我や自律神経系の症状と帯状疱疹を次々に経験した。
「休みたい」と思っていることを自分の体が教えてくれた。


仕事を辞めたら時間がたくさんある筈なのに何もやる気が起きない。
溜まりに溜まったもやもやを吐き出さないと・・・少しずつ書き始めた。
 

私の宝物のことから

三十代の母と一緒に写る私は十歳くらい、母は笑顔で、私はカメラの向こうにいると思われる父に手を伸ばして何か話しかけている。
今年の夏に写真を整理していて見つけたセピア色の写真。
それが私の宝物。   

私が子供の頃、父は趣味で家族写真を撮っては暗室で現像していた。
だからたくさんの写真がある。
セピア色の写真を見ると暗室から酸っぱい現像液の匂いがしたことも同時に思い出すから不思議。                

何故この写真が好きなのかというと、
母が私の好きな優しい笑顔で写っている。

小学生の時、私たち家族は父の転勤で引っ越した。
転校先の小学校の参観会で、母が教室を覗くと、物珍しさで同級生がざわざわした。子供だった私は「恥ずかしいから、隠れていて。」と
母に言ったことを覚えている。
身なりを綺麗にした、いつもとちょっと違う母を独り占めしたかったのだと思う。

この写真が好きなもう一つ理由。
五歳くらいまでの私は髪を刈り上げていて、長い髪に憧れていた。
髪を伸ばすには、自分で結わけるようになることが条件で、
この写真の頃には、その条件を満たせるようになっていた。
だから、この写真の私は、肩より長くなった髪を風になびかせている。
その頃の幼い気持ち。ささやかな希望。

母と私、二人とも、お出かけ用の洋服を着て、芝生に敷いたレジャーシートに並んで座り、天気が良いのか眩しそうに目を細めているように見える。
穏やかな休日の記憶が、そこにある。  

この写真は、父と実家を片付けていて見つけた物の一つ。
母が亡くなって1年が経つ。

母の生前、仕事が休みの土日は私の車で、二人で買い物に出かけていた。
父から「お母さんに使っていた週末の時間を片付けに使ってくれないか。」と片付けの手伝い係を仰せつかった。
それから、約八か月間、毎週末は、父の終活を手伝うことになった。
片付けをする中で、父の大切にしていたカメラはケースに入れたまま出てきて、給料の何か月分もする高価な物だったと聞いた。
父の現役時代に楽しみや目標になっていた趣味のカメラを手に入れることの大変さ。
手に入れるための両親の努力や喜びを想像した。
子供の頃の暖かい想い出が残されているありがたさも感じる。            

今では、スマホで簡単に写真を撮ることができて、
持ち歩ける時代になった。
写真の良さの一つに、他人と同じ情報を共有できることがあると思う。
でも私の宝物であるこの写真は、
誰かに見せたいのでは無く一人で見るためにある。

大切な思い出をすぐに見返せる写真。
見ることで、その時の自分と家族のエピソードを思い出す。
写っている景色にその時に見逃していたこと、忘れていたことも思い出す。その瞬間に戻って、ぼんやりとした過去を確認したくなる。 

 

しんどい時や落ち込んだ時、寂しい時に、
力をもらうためにこの写真はある。
母と二人で写る姿を見ることで、
生き生きしていた母との暖かい関係を思い出す。
見ているその時間は、
もう一緒に写ることはないという事実を忘れさせてくれる。       


今はこの写真を、普段使いのカバンに入れて持ち歩いている。

これからも私を支えてくれる宝物だから。

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