受け入れる覚悟

生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。
必ず、訪れる死から目を背けず、それまでの時間を大切に生きて欲しい。
人生の幕引きには、色んな形があっていいと教えてくれた、在宅で出会った方たちと訪問看護師のお話です。

50歳代の男性のEさんは胃癌で化学療法をしていましたが、治療が続けられない状態になりました。
痛みがあるので緩和ケア科の医師から訪問看護を利用するよう勧められて退院しました。

お腹から足先にかけて浮腫みがあって移動は車いすで、ベッドから足をおろすことや、車いすに移ることは介助が必要でした。


医師から病状を聞くために私たち訪問看護師は病院に行き、初めてお会いしました。Eさんは落ち着いた雰囲気があって「宜しくお願いします」と真っ直ぐ目を見てくれました。

余命は月単位と言われていて、家に帰ってできることは限られていると誰もが思う状況でしたが、Eさんは違いました。

初めて会った時、病状を受け入れている印象を受けたのは間違いではなかったようです。

        *

奥さんと二人で暮らす家には老犬がいました。Eさんのベッドは家の真ん中の部屋に置かれていて、玄関の方からは来客の声が聞こえて、奥さんのいる居間が見えて、中庭には犬がいます。
ベッドから周りを見れば、誰がどうしているかがわかります。

ベッドの上で、できることをEさんは始めました。

彫刻刀で遠方に住む兄宅の表札を彫り始めたのです。根気のいることですが、痛みが出そうになると痛み止めを使って休憩して続けました。

丁度出来上がる頃に、お兄さんが訪ねてくることになりました。その少し前に私たち看護師とお兄さんと電話で話しをする機会がありました。弟の体を心配する内容で、お互いを思い合っていることがわかりました。

短い時間の来訪だと聞いていましたが、兄弟で話をして自作の表札を渡すことができました。

        *

ある日、私たち看護師が訪問すると、吠えていた老犬の声が聞こえなくなりました。
庭で番犬をしていたEさんの愛犬は老衰でした。

Eさんは、愛犬を亡くした頃から「まだ〇〇さんが来てないね」と看護師全員に会いたい様子でした。

Eさんは背が高く体が大きいので、私たち訪問看護師はなるべく二人で訪問できるように体制を組んでいました。訪問している看護師の人数は多い方です。

眠っている時間が多くなっても、訪問した一人一人の看護師に感謝の言葉を伝えてくれました。病気を受け入れて穏やかに過ごすEさんらしい時間だったのではないでしょうか。

Eさんほど、病気を否定せず、残された時間を上手に過ごした方はいないように思います。


食事が摂れなくなって、口が乾くようになった時に「ガムを噛むと唾液が増えていいって言うから、ガム買ってきてもらったんだよ」と話すEさんの笑顔を思い出します。

食べられない現状を嘆くのが普通だと思うのですが、できる対処があるのだと喜ぶ方でした。

このようなエピソードがたくさんある方で、看護師それぞれが、どんな問題が起こっても、受け入れていた姿を覚えています。

私たち看護師が価値ある経験ができたのは、Eさんの覚悟のお陰です。

出逢えたことに感謝しています。


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