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こだわりを捨てない

生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。
穏やかで気持ちよく過ごして、それまでの時間を大切に生きて欲しい。
人生の幕引きには色んな形があっていいと教えてくれた、在宅で出会った方たちと訪問看護師のお話です。

Aさんは80代男性で、慢性膵炎で入退院を繰り返していました。
強い腹痛で入院して、痛みが治まると病院からこっそり抜け出して帰ってきていました。
入院の度に食事と服薬指導を受けましたが、Aさんは生活を変えることはありません。
食生活が原因の膵炎悪化で、入退院は繰り返えされていました。

Aさんは建築系の職人さんをしていて、現役時代から拘りが強かったそうです。
奥さんと二人暮らしで、奥さんは頑固な性格のAさんが世間に迷惑をかけてはいけないと、怒らせないように接していました。娘さんと息子さんは近くに住んでいますが、Aさんと関わることは必要最低限になっていました。

何度目かの退院になった時に、病院の退院支援室から訪問看護の依頼がありました。
入院中の様子を聞いた私たち訪問看護師は、家に入れてくれるか心配しましたが、Aさんは、客間にケアマネと私たちを招き入れて話をしてくれました。

普段の生活の様子を聞くと、台所と続間にあるリビングに布団を敷いて寝ていて、料理も自らしているようです。食材の調達は車を運転して「魚なら〇〇、天ぷらは〇〇がうまいぞ。団子は〇〇で買うな」と決まった店に出向いていました。
表情は硬いままでしたが話しは続きました。

病気を忘れているかのような食生活。
なかなかの拘りです。
80数年そうして生きてきたのですから、Aさんの歴史が作り上げた考え方を そう簡単に変えることはないでしょう。

覚悟を決めた私たち看護師は、否定せずAさんの大切にしていることを受け止めようと話しを聞き続けました。

奥さんから「下着も結婚して60年、ずっと同じ形のものでないと駄目で、苦労して探して買っている」というエピソードを聞き、私たち看護師はAさんへの理解を深めたのです。


訪問の度に、一通りAさんの話を聞いてから、膵臓の働き、食事が引き金で腹痛が起こることや、症状を抑える薬を処方通りに飲むと膵臓を助けることになると伝えました。

Aさんは話し終わると台所にある自分の部屋に戻ります。
次は奥さんから心配な様子がないかを聞く時間です。

奥さんの話は「子供たちにも言えない」という愚痴が主でしたが、その話の中に、Aさんに関わるヒントがあって、奥さんが介護を続けるためにも必要な時間でした。

        *

週1回の訪問を続けるうちに、みんなが心配していたことが起こりました。車が凹んでいて、Aさんは どこでぶつけた覚えがないと・・・。
車は処分されました。

それからのAさんは、自転車で近くのコンビニに行くようになって、今度はコンビニで調達できる好みの物を探し始めました。

それでも・・・少し歩み寄ってくれているような言葉を聞くようになりました。
「アイスは駄目だな。腹が痛くなる」「腹が痛くなったのは、団子が良くなかったなぁ」と。

その言葉が聞けた時は、私たち看護師の伝えたいことが届いたと感じることができました。
Aさんは限界がきている膵臓に負担をかける食生活をして、自分で自分の体を痛めつけていたので、そこが変われば不快な時間が減ることになります。
嬉しいことです。

趣味で作った家庭菜園の野菜は、朝早く収穫して、私たち看護師が訪問すると「沢山取れたぞ」と見せてくれるようになりました。調理方法を話す表情は穏やかで、笑顔を見ることもありました。

食生活が少し改善して薬が上手く使えるようになって、昼間は畑を楽しむ生活が数ヶ月続きました。

ところが、今度は奥さんが外で転んで、娘さんの手を借りて受診しました。娘さんは「お母さんのことなら手伝う」と車を出しました。Aさんだったら別だと。

奥さんは腰椎圧迫骨折でコルセットを付けて生活することになりました。Aさんの口から、奥さんの横で寝て、夜中のトイレに付き添っていると聞いて驚きました。

それまでの二人は、別々の部屋で生活していたのですから。

        *

奥さんの生活も元に戻った頃、Aさんの腹痛が悪化して血液検査の結果、入院することになりました。

今回は病院から脱走することがなかったAさんは、治療を終えて薬の調整も済んで退院の話しになりました。

退院前カンファレンスでは、しばらく入院することなく生活できていたこと、Aさんが入院の度に早く家に帰りたがることから、今後は訪問看護に加えて、訪問診療を受けて最期まで在宅療養することが提案されました。

ところが息子さんは「最後は病院で」と考えていて、提案を受け入れることに抵抗がありました。病院スタッフへ何故入院が駄目なのか施設は入れないかと訴えて話が進みません。

話は行ったり来たりしましたが、ケアマネから介護保険のサポート体制の説明を受けて、最後は自分が夜勤の仕事終わりに仮眠のため実家に寄って必要な支援をすると、息子さんは言いました。

退院して訪問診療が始まり、私たち看護師が訪問すると以前のように、一通りAさんの話を聞くことができる時は少なくなり、介護ベッドで眠っている時間が増えました。
状態が変わったので、Aさんの休む部屋は、台所から つい先日まで、奥さんが骨折で動けないときに寝ていた部屋に移されました。

息子さんが心配していたのは母親の介護負担でしたが、奥さんは「勝手な人だから、仕方ないね」と今までのペースで介護しました。

奥さんが部屋を離れた隙に、一人になる時間を選んだかのようにAさんは呼吸を止めました。

拘りを捨てなかったAさんらしさ、それに従った奥さんに見せた優しさを感じたのでした。

在宅(家)療養だったからこそ叶った時間と思えてなりません。

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