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枯れていくこと

生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。
必ず、訪れる死から目を背けず、それまでの時間を大切に生きて欲しい。
人生の幕引きには色んな形があっていいと教えてくれた、在宅で出会った方たちと訪問看護師のお話です。

Hさんは90代女性。慢性心不全があって、介護保険でデイサービスとショートステイを利用しながら過ごしていました。

老衰がすすんで、食事が減って体力が落ちて、かかりつけ医から総合病院の受診を勧められました。老衰と脱水の診断で入院して、点滴治療終えて退院しました。

いずれは施設で看取りと家族は考えていましたが、今回の経緯から在宅看取りを希望しました。
ケアマネは介護サービス組み換えて、退院後は訪問介護と訪問看護とが予定されました。

Hさんは、この家で生まれて、婿取りをして、親から引継いだ農業を続けました。広い土地に家が建っていて、玄関を出たら農地があります。今は娘さん夫婦に代替わりして、草取りを自分の役割としていたそうです。話好きで社交的ですが、家族の助言を聞き入れない頑固な一面もある方です。

農業という生き物相手の仕事をする方は、歳をとることを受け止めることが上手だと私たち訪問看護師は感じます。
Hさん家族もそうでした。
入院したことで、食べることが難しくなって点滴をしても、一時しか改善されない事実を目の当たりにして、生き物が枯れていくことを、自然なことだと実感したそうです。
(言葉は悪いかも知れませんが、人間も自然の中で生きる木や草花と同じで、寿命を迎え枯れていくのだと私たち看護師も思うのです)

それならば、生まれ育った家で最期まで過ごすことが一番の望みで、家族が最後にできることだと考えたのだそうです。

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ケアマネは、在宅看取りの意向を叶えられるようサポートするため、かかりつけ医に第一に相談に向かいました。

医師が「最後まで診療する」と言ってくれて初めて在宅看取りが成立します。外来患者さんの数や、休診日が続く年末年始、医師の年齢などの理由で在宅看取りをしていないクリニックもあります。
Hさんの場合、かかりつけ医は在宅看取りを受け入れてくれました。


そこで、私たち訪問看護師は、クリニックの看護師と面談しました。
「クリニックで初めての在宅看取りになる」とのこと。
私たち訪問看護師が行うケアについて説明しました。
状態変化した時や、呼吸停止時の医師の連絡方法など確認したいことを伝えました。

そして、クリニックの看護師から「医師に伝える」と返事をもらいました。

その情報をケアマネに伝え、ケアマネはサービス担当者会議をすぐに開きました。
娘さん、ヘルパー、訪問入浴、福祉用具担当者、私たち訪問看護師が同じ方向に向かって、どの時間に何をサポートしていくか決めました。

Hさんは耳が遠いのですが、声をかけると返事をしてYES.NOの意思表示をします。気持ちに寄り添うように、何をするか耳元で聞いてからケアを行うことも確認しました。

娘さんは、「おじいさんの時のように病院じゃなくて、家で最期まで看てやりたい。農業をしながら十分なことはできないけれど、皆さんの力を借りていきたい」と話しました。

それを受けて、私たち訪問看護師は、クリニックの看護師と先日話した内容を伝えました。
各担当者は何を異常として連絡するかを確認しました。

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数日後にクリニックの医師と面談して欲しい旨の連絡が、訪問看護ステーションにありました。
往診前に時間をとって頂き、医師の考えや予測できる状況下での対応を直接聞くことができました。

家で最期まで過ごすための準備が整いました。

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朝、家族は仕事があるので、訪問介護がHさんの体を拭いて食事を手伝いました。
食事量は減り、体力低下は進んでいて、アイスやOS-1ゼリーを少し食べる程度になっていました。
家族は慌てず受け入れて、仕事が一段落するとHさんに食べたい気持ちを確認して、YESの返事があれば口に運んでいました。

私たち訪問看護師は、午後に訪問して、昼食後で家にいる娘さんと一緒にHさんの様子を看ました。
食べる量が減って、体の動きも少なくなったので腰骨の皮膚に赤みが出ましたが、体圧分散マットを使って、他のスキントラブルはありませんでした。

介護保険の各担当者は別々の時間にHさんに関わるので、在宅支援ノートを通じて訪問介護が入った時のHさんの様子を知り、スキントラブルは訪問入浴の看護師とも情報共有できました。

2回目の訪問看護の時、玄関を入るなり「目を開けなくなって、看護師さんに色々聞いておこうと思って」と娘さんは話しました。

娘さんは、Hさんの様子が変わったことを感じて覚悟していました。

部屋へ行くと、肩を使って努力呼吸をしていて、手足が蒼白く皮膚色の変化も出ていました。

私たち訪問看護師は、これから起こり得る体の変化について説明しました。
それを聞いて「このまま、最期まで家で看てあげたい」と娘さんは話しました。


その日の夜「様子がちょっと違うみたい」と電話があり、臨時訪問しました。

娘さん夫婦と心音を聞いて、心臓がお休みしていることを聴診器で一緒に確認しました。
この時、私たち訪問看護師は、聴診器で心音がないことだけでなく、瞳孔(黒目)が光に反応していないことも、家族と見させてもらう場合があります。

生きているサインを止めたことを耳や目で見届けることになるので、生き抜いたことを受け入れている家族には声をかけます。もちろん辛くてできない家族もありますので、すべての方に声をかけることはしません。

生き物を育てる仕事をしている方は、役目を終えた生き物が枯れて水や栄養を吸収しなくなることを知っています。

Hさん自身も家族も、それを知っています。

知っているから、栄養を吸収できなくて元気になれない時がきても、抗ったり、うろたえたりせず、受け止めてくれたのだと思います。

初めて伺った日、Hさんの部屋から見える畑から作業を終えた娘さんが帰ってきて、仕事の進み具合をHさんに話していました。大切にしてきた畑を、娘さん家族が同じように大切にしていることは、Hさんにとって何よりの安心だと思います。
私たち訪問看護師は、家族しかできない声のかけ方に心が温かくなりました。

やり直しのできない最期の時に、抵抗することにエネルギーを使わず、遺された者が何をしていくのかを選んで、前に進むためにエネルギーを向ける。


これができると、逝ってしまう方の人生を肯定することなのだと教えてもらいました。


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