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泣き笑いが生まれる理由

オリンピック北京大会パシュートが金メダルに一歩届かず、惜しくも銀メダルとなった。
その授与式で選手三人が泣き笑いした素敵な写真がテレビに映し出された。目の前にいる日本のカメラマンが、選手以上に号泣していて、三人は涙しながら大笑いしたのだそう。


このカメラマンに共感してしまう。

私がnoteを始めたのも、この共感する思いが根底にあった。

人の数だけ、考え方はあるけれど、そこに少しでも重なる部分が認識できると「自分は、これでいいのかな」と思える。私自身も、色々な場面で迷う時に、人から受け入れられて力をもらった。

違って当たり前の他人から共感を得ることで、その人は自信が持てる。
共感した人からすると、接点を見つけることで、相手の心を軽くしている。全てはわからなくても、一か所でも重なる気持ちがあれば「わかってもらえた」と安心できることってあると思う。

看護師という仕事で関わった方たち。
病気と共に生きる生活を、どう送るか、正解は1つではないし、1つであってはいけない。

「こんなこと思ってはいけない」と自分の考えを否定して欲しくない。

どんな形も間違いではないと思って欲しい。前に進める方法が見つからなかったら、頼る人が欲しいと声を上げて、見つけて欲しい。
一人一人違う考えに、少しでも共感する部分があれば、それは力になるのだと思う。

結果が不本意であっても、一緒に悩んだ仲間や、その苦労をわかってくれる人がいれば、涙しながらも笑える瞬間がある。

このカメラマンは、選手に寄り添う想いが沸き上がって涙が出たのだろう。だから素敵な写真が生まれたのだと感じる。


仕事は違うけれど、家で暮らす人やその家族が「元の体に戻りたい」と願い、ゴールを目指して頑張ることを知っている私たち看護師。
その想いと同じ気がする。

頑張っても届かないゴール、不条理な結末を受け入れる経験を共にしたからこそ、泣き笑いが生まれる。

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