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腹水やむくみと付き合い「家にいたい」

生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。

必ず、訪れる最後の時。それまでの時間の長短は自分では決められない。遠い未来かもしれなくても、今からを大切に生きるため「人生の幕引きには色んな形があっていい」と教えてくれた在宅で出逢った方たちと看護師のこと。


全身のむくみで、ひと月に5㎏の体重増加があって入院した80歳代腎不全の男性。
呼吸が苦しいものの酸素を使うことや、透析や、利尿剤を点滴から使うことを希望しなかった。胸水と腹水が増えたので呼吸が苦しくなって、酸素飽和度は 90%台前半になっていた。食欲はなく体を動かすことが難しくなる。腹水は3L抜いて、食事量は少し増えた。

私たち訪問看護師と出会う前も入退院を繰り返していて、今回の入院を機に訪問看護の利用を勧められた。
退院前のカンファレンスは、本人と奥さん、息子さん夫婦と病棟看護師に加え、在宅(家)の生活を支えるケアマネと訪問看護師が出席した。治療の経過の説明の後、心不全による急変がいつ起こってもおかしくないこと、急変したら救急搬送で病院は受け入れすることも伝えられた。
難聴のある本人は、この話しに表情を変えず「家に帰って草取りをしたい」と言った。


彼は、奥さんと息子さん家族の5人暮らしで、奥さんはパートの仕事を続けながら介護している。


退院日は、かかりつけ医と関わる介護保険のスタッフが家に集まり、近所の空き地に車を停めさせてもらう。駐車場を案内している奥さんに散歩中の女性が「旦那さん、退院したの」と聞いていた。笑顔で応える奥さん。

本人のお気に入りの場所は、玄関横の客間のソファーで、玄関を上がって真っ直ぐそこに座った。そこでは、外を歩く近所の人が見える。
咳が出ていて、聴診器を胸にあてると、肺の雑音が時々聴こえた。動いた後は息切れと肺の空気の入り方に左右差があった。
「息を吐いて。今度は大きく吸って」と一緒に深呼吸をすると、肺の音は少しいい音になった。
家の中はケアマネ、かかりつけ医、福祉用具、訪問看護師が揃い、在宅療養が、このメンバーで始まる。
奥さんは、いつ急変しても不思議ではない状態の不安から、月曜から金曜の訪問看護の利用を希望した。かかりつけ医は週1回訪問診療の予定を入れた。

奥さんは料理が得意で、煮物を何種類も作ってくれる。さっぱりしたものを3~5品と水分は1日に500ml位とった。
口からとる水分は少なめでも、お腹と腰回り、足に皮膚が硬く水を含んだむくみがある。
医師の指示に通り錠剤の利尿剤を調整して使う。
お腹の音が弱い時は、腸が動くようにマッサージをした。
体調に合わせて体を拭いて、足はバケツにくんだお湯に浸けて足湯をして、背中や足はタクティールというリラグゼーションをした。

彼の希望通り、草取りのため外に出ることができたが、10日もすると「動きたくなくなる。」と話すようになった。奥さんも「弱気なこと言うようになった。」と捉えた。
その頃に、歩き始めにふらつくようになって、歩行器や手すりを勧めたが使うことはなかった。

2週間で、これだけの変化が起こって退院後の外来受診日になった。

病院主治医の入院の提案に、本人は「断ってきた。どのくらい生きられるかわからないけど。」と言い、奥さんは「本人が家にいたいって言うから帰ってきた。私は皆が支えてくれるから大丈夫」と話した。

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その翌月は転んで、顔に傷ができた。
転んでいるところを見つけた奥さんが看護師に電話して、状態をみた看護師から、かかりつけ医に報告し往診になった。
連携プレーで、転んだ数時間後には軟膏で手当てが始まった。

奥さんは、体調変化があった時の対応方法がつかめてきたよう。

必要な時は入院して、家で過ごす時間を増やしていけることを目標に、訪問看護は週3回、突発的な変化があったら緊急訪問する体制に変更する。

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ひと月経つと腹水が更に増えて、横になると苦しくて座っているほうが楽になった。夜はベッドの頭を上げれば良く眠れていた。
通院では、腹水を抜くと栄養が抜けてしまうと説明があった。
奥さんは、本人の薬に対する拒否感をわかっているから、対応方法が定まるまで見守った。

腹水からの苦痛にどう対応するのがいいのかを皆で考える。

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更にひと月、腹水を理由に入院したのだが「先生に話しがある。」と主治医に退院希望を伝えて家に戻った。
足のすねの薄い皮膚はジワジワ水が染み出て、水疱と足の指の皮がむけて処置するようになる。
私たち看護師は、体の処理しきれない水が、足から染み出ることはたくさん経験する。
保護して感染しないように手当を続ける。

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その翌月は、お腹の張りからくる息苦しさで、夜も座って過ごすようになる。
深夜に咳が続いて苦しく、38度台の熱も出て、本人や奥さんと、どこで治療することを望むか相談した。
救急搬送を希望して、肺炎と心不全の治療をする。

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最後の入院は腹水抜水のための入院。
数日の入院後、肺の音は弱く、腹水と足のむくみは続き、寝ている時の吐き気がきっかけで、しゃっくりや咳で眠れなかった。
対応方法はソファーに移動すること。そうすれば症状は治まった。

足の痛みで動きがおぼつかない。奥さんは、どう動けば安全かを悩んだ。一緒に解決方法を考えて、据え置き型の手すりと車椅子を用意した。
みんなの心配をよそに、痛みが自然に良くなり、家の中は伝い歩きで移動できるようになる。

食事回数は2回の日もあって、パン、リンゴやアイス、葛湯を摂り、水分は1日500ml、奥さんは「もう好きな事をさせてあげたい。」と毎日のアルコールを咎めず「心配な時は、電話していいよって看護師さんが言ってくれたから」と変化を受け入れた。

自宅のお風呂に入ることは難しくなって、介護保険の訪問入浴の利用を始める。それ以外の日は、体調に合わせて体を拭くか、背中や足のリラグゼーションをした。

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亡くなる数日前のこと、何かを感じたのか「家に居たい。もうだめだ」と本人が言い出す。奥さんは「ここ数日悲観的な言葉が多いけど、眠れるようになったし、家で看るって決めている」と受け止める。
これから起こり得る状態を説明して、緊急時の対応方法を確認する。
2日間尿が出なくなって、ほとんど眠った状態で、声をかけると眼を開ける。
吸引器の使い方を妻に説明した夜に「痰が絡んで苦しそう」と連絡があった。臨時訪問して、看護師が吸引したら苦しそうな痰は取れた。
再び家族へ、これから起こり得る呼吸の変化を説明する。

翌朝、奥さんから連絡がある。

彼の「家にいたい」は叶えられた。


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