人のつながり、きょうだいの絆

生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。

必ず、訪れる死から目を背けず、それまでの時間を大切に生きて欲しい。
人生の幕引きには色んな形があっていいと教えてくれた在宅で出会った方たちと看護師のお話。

六十代女性の夫であるAさんが訪問看護の事業所に来所した。
Aさんによると、彼女は胃癌末期の診断で入院中。病気がわかってからは、実兄の勧めで別の病院も受診した。ところが、結果は同じ。
すでに治るための治療法はなくて、症状を軽くすることが、今できることと伝えられた。

「家に帰したいです」とAさんは話した。

私たち看護師は、病院からの連絡で退院前のカンファレンスに参加して、情報をなるべく沢山得ようとした。病状の説明を受けて、どう感じているのかを知ることは、これから関係を築くのに重要だから。

胃に管を入れることは苦痛に感じているけれど、家に帰ってからも吐き気の対応は、鼻から胃に管を入れること。
Aさんは、彼女に痛みがないこと、気持ちが悪くならないことを希望した。息子さんは、自分たち素人は悪くなった判断が難しいから、在宅支援メンバーに相談して、状態を知りたいと言った。

 

カンファレンスが終わり、私達は自宅に向かった。

Aさんと息子さんに支えられて彼女はベッドに横になった。
これからのサポート体制の確認をする。在宅支援者である私たちは短期間で、できる限りの準備をした。

病院で点滴をしていたのに、家で食事が摂れないことが不安になったのは夫のAさんで、彼女の点滴を希望した。かかりつけ医の指示で皮下輸液が始まる。

Aさんは、午後仕事に出かける時間以外を、彼女のために使った。体を支えて家の中を移動して、何か症状が出るとすぐ連絡をくれた。

仕事帰りに相談に寄ってくれた時は、同じ場所で、数週間前に会った時よりAさんの頬はこけていた。二十四時間気を張って過ごしていることだろうと感じて、頑張りすぎないことが、本人にとっても良いことだと伝えた。
 

希望通り、家では胃管を入れることはなかった。吐き気がない時は、Aさんが用意したシャーベットを口にしたと嬉しそうに話した。

        *

半月が過ぎたころ、痛みが出るようになった。眠っている時間が増えて話をすることが少なくなった。

本人の意向も汲んで家族は「家で過ごすこと」を選んだ。

そこで家族には、病状が変わった時の一時対応や連絡方法の確認と、「家族ができること」を伝えた。
痛みには、薬をのみこむことが難しくなっていたので、貼る薬が出された。薬の量を調整すると痛みは軽くなった。

むくみが出たら点滴を加減するとむくみは減った。

Aさんたち家族は手や足をさすっては、彼女に話しかけた。


数日後の深夜に息子さんから「息を肩でしている。時々止まる」と連絡をもらう。
それまで、病状の変化を看護師と一緒に確認していた息子さんは「ここ数日だと自分は思う。おやじのことも含めて自分がフォローします」と言った。

翌朝、連絡を受けた親族が続々と集まって彼女を囲む。
前日から血圧は下がったままで、いつその時を迎えても不思議ではない状態で荒い呼吸が続く。
Aさんはベッドのそばを離れず右手を握り、十人近くの人たちが次々に声をかけている。
実兄だけに連絡がつかない。
午後になって、かけつけた兄を待っていたかのように、彼女は呼吸を止めた。
Aさんは「これからどうすればいいんだ」と泣いた。

      

頑張りすぎるAさんを支えてきた彼女は、自分のことよりも残されるAさんを想っていた。
彼女が抱いた複雑な感情をわかりあえる信頼関係が兄との間にあった。
妹を想う兄もAさんを支えた。セカンドオピニオンを勧めたエピソードから想像する。 

Aさんを支えた彼女は、最後に兄に感謝を伝えた。

 

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