見出し画像

人生の苦味も旨味に変えれたら(24/30)

最近、お仕事ではご指摘を受けることが多く、
若干、凹み気味な日々。

こんな記事も書いていた。

職場変わると微妙にそこでの常識みたいなのもの、
「お作法」が違っていて、
その微妙な「お作法」がわからないし、
「これは、だ、大丈夫かしら?!」とおっかなびっくりやっている感じもある。

そもそも、
36歳にしてこんなことをいうのは恥ずかしいけど、
自分のマナーと常識に関する知識が乏しくて。
こういうのって勝手に身につくわけではない。
知らないことは知ろうと行動しなければ、知らないまま。
みずから知識は取りに行き、学んだことを繰り返し行うようにしないと出来るようにならない。

社会人13年目だけど買ったよ。まだ全部読んでないけど。

知るは一時の恥。
知らぬは一生の恥。

「一時の恥」も年齢を重ねるにつれ、ドンドンかきにくくなってくる。
元々プライド高いから「一時の恥」への苦手感も強い。
でも、このまま知らない「一生の恥」はもっと重い。痛い。

何でもかんでも知っている人はいない。
それに「知ろう」と、他者に「聞ける」人の方が
素敵な大人だなって思う。

記事に書いた上司も、
「まだまだ伸びるよ」
「私も40代のときも色々教えて先輩にもらいながらだったよ」とも言ってくれていた。

単純かもしれないけど、
そんな風に言われるとちょっと気持ちが回復する。

心のどっかで、上司に
「こいつ役に立たんなー」とか
「出来ない人、ダメな人」って評価されてるんかなって思っていたけど、
そんなに全否定されているわけではないよな
(そりゃそうだ)。

そういえば、夫に愚痴った時にも、
上司の指摘を大きく捉えすぎてるんじゃないかと言われていたな。

「一部が全部」的に、
あんなふうに言われたから、こう思っているに違いない!と思い込んでいたのかも。

私が相手に対して、「こんなふうに思っているに違いない」って思ったのは、
自分がそう考えるからってことなんかもな。

ありのまま、言われたことを
指摘されたことを改善できればいい。

できれば、凹まずに日々を過ごしたい。
でも、多分、私が仕事をしている限り、
というより、生きている限り、
凹んでり、悲しかったり、情けなく思ったり、
怒ったり、悔しかったり、恥ずかしかったり、
そういう「ネガティブ」な感情を避けることは無理だろう。

そうならば、それと如何に付き合うかなんだろう。

「ネガティブ」な感情になることが悪ではない。
それはそれで、否定せず存分に味わう。
それが生きていく上手での、旨味にはなるように。