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「スローダウン」とつぜん考察

【7/8 追記】
小見出し「登場した花の詳細」に追記。新たに花を特定できたと思います


MILGRAM考察5曲目です。
美しく落ち着いているように見えてとんでもない価値観を羅列した歌を暴いていきたいです。
優劣と競争の曲。

※移植、猟奇的表現、精神疾患についての話題を扱います。苦手な方やフラッシュバックの可能性がありそうな方はなるべくバックしてください
※「ひぐらしのなく頃に」祟殺し編のネタバレをわずかに含みます
※徹頭徹尾個人の意見!!!!!
※誤字脱字はスパイス(そうか?)
※図解としてYoutube公式動画からスクリーンショットさせていただいていますが、問題があると判断した場合即削除いたします
※先人の方々の考察に影響を受けている箇所があります。自分で見つけた考察・根拠でないときは必ず言及します
※サムネイルは自作です

導入


実早登です。

前回からだいぶ時間が空いちゃいました。ちょっとバタバタとしておりました。

今回はスローダウン、ひいては桐崎獅童の考察をしていきます。
独自考察ルール等については「弱肉共食 とつぜん考察」をご確認ください。

早速始めていきます!

楽曲ステータス


〇推理難易度 ☆☆★★★ 7/10人
〇殺人描写推理難易度 ☆☆☆★★ 患者は楽。恋人はアンダーカバーのせいで物議
〇心情描写推理難易度 ☆☆★★★ かちかんのうたが全部言ってくれた
〇殺人対象推理難易度 ☆☆☆★★ 解読やボイスドラマのタイトルチェックなどが要る?
〇時系列推理難易度 ☆★★★★ MVから変動なし
〇反省度推理難易度 ☆☆★★★ わからないようでわかるようでちょっとわからない
〇周囲環境推理難易度 ☆★★★★ 考えることほぼ無し
〇必要リアル知識難易度 ☆☆☆☆★ 花の名前言えるかな
〇歌詞難易度 ☆☆☆★★ 価値観は楽、心情の言い回しに少し苦しむ
〇ホラー度 ☆☆☆★★ ずっと美しかったのに最後の花人間でみんな変な声出たやろ
〇胸糞度 ☆☆☆★★ いや何人死んだんだ…

はじめに

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

初めてミルグラムのリアタイ供給を受け気を失いそうになりました
ふう~~~~~~~~ん(腹痛)

二審…二審きますね…(最初から来るって言ってたじゃん)7月8日…絶対とつぜん考察一巡しません。間に合わずとも気長にやっていきたいと思います…。
それにトレーラーのほかにもタイムラインにも供給が来ましたね… せっかく題材をプラスされたんだからこれらも考察に組み込むよなあ!?

という前フリでした。
力さえ続けば二審の曲の考察記事も作るつもりなので、もし可能ならよろしくお願いいたします。

というわけで。
ついに大人キャラの考察にも入っていくことになりました。

「とつぜん考察」は心理構造重視で考察をしているシリーズになっていて、キャラクターの心理が何故そう形成されたのかという背景についても考えることが多かったです。たとえば周囲を取り巻く環境とか過去に起こった出来事とか、家族関係とか…。
ただ大人を相手にするとちょっと変わってくることもあります。特に家族関係。
全く関係ないということはないのですが、その環境から離れてある程度自分の中で価値観を再構築した年齢でもあるので、それが完全に関係あるとも限りません。特にシドウは今までの囚人と比較すると、家族関係についてびっくりするほど言及が足りません。つまり今回の考察ではほとんど根拠に使えないということです。
でも同じルールで全員を推理できるというのはちょっとつまらなくもあるので、こういうのは個人的には全然ありです。

大人キャラというだけで「うわっ考察むずそう…」と気が引けがちですが(実際私もそうだった)、シドウはわりとわかりやすいです。ドラマCDで自ら言っていたように、話し合いをする分には言いたくないことは言わなくても嘘はそんなにつかないキャラだったりします。なおカズイ
お言葉に甘えてがんばっていくかんじにしたいです。

花の正体


スローダウンのMVは婉曲表現が多い。というか8割くらい婉曲表現。
なぜかというと婉曲表現やめるとグロすぎて表示不可能だから。アンビリカルと同じ原理。
しかし数自体は少ない。

主な婉曲表現は。更にあるとしてもそれを取り巻くシドウの服装や背景、道具などどれも花に近いものが多い。花の正体さえ解明すればMV全体の示すものがほぼ読み解けるともいえる。

MV内では、医者のシドウフラワーデザイナーのシドウという二種類のシドウが現れる。

医者のシドウ
フラワーデザイナーのシドウ

実際にシドウが二つの職を掛け持ちしているわけではおそらくない。根拠は幾つかある。
まず、シドウの囚人服が白衣を強くモチーフにしている。様々な囚人服のキャラがいたが、シドウほど楽曲公開前に職業を予想され当てられていた囚人はあまりいなさそう。

また職についての言及も珍しくされているが、医者と言えばまさに社会の役に立つ仕事。フラワーデザイナーは医者ほど「社会の役」とは言いにくい(もちろんとても素敵な職ですが、役割という意味で)。
医者とフラワーデザイナーの掛け持ちという説も薄い。そもそもMVを見る限りシドウは常勤で医者をしている様子で、それも立ち会った患者が泣いたりこちらに怒鳴りつけて来るシーンなどもあって人間の死にも近いところで仕事をしているように感じる。それほどの医者が副業をすると言うのは、本業としての意見ではないが厳しそう。
さらに、MVでフラワーデザイナーのシドウがしていた事は花人間の製作。あくまで囚人の周囲を取り巻く出来事はリアリティを保ち続けているミルグラムというコンテンツ。いきなり花人間というファンタジー的存在を実際に出すわけが無い。

Twitterでは「シドウの大義の塊」とされる花人間

最後に、本当に医者なのかについても念の為根拠を挙げる。公式四コマ「ミニグラム」の言及。

職業医者って言っちゃった。
一応考察させたい部分はぼかしていくと思ったけど医者って言及しちゃってた。これで確定となった。

つまりフラワーデザイナーのシドウ、そしてその彼が扱う花はすべて婉曲表現となると思われる。
MVにおいて医者のシドウはあまり人殺しに関係のありそうなインパクトのある行動はしていない。ということは、このフラワーデザイナーのシドウが何をしていたかが彼の罪を表している可能性が上がる。

ということでまずはMVに登場する花をチェックして花言葉でも確認してみたい。花特定は大の苦手だが…

とり

ファッ!?

なん これ?

こんな花知らん。ていうか存在するわけが無い。
他の花もチェック。

ちょう
はち

上から順に鳥のような赤い花、蝶のような緑色の花、蜂のような茶色い花。
全ての花とまでは言いきれないが、私が確認した限りこの三つの花(さらにいえば特に赤い花と緑の花)については露骨に生き物を模した架空の花であると言えそうだ。
となると花一つ一つを純粋に花として分析していては今のところ埒があかなくなりそう。一旦切り上げ、シドウが花に対してしていたことを確認する。

ずばり花を切っている。切った花は病室に置かれるものと酷似したベッドの上に飾り付け、やがては花人間に変化する。切られた方の花はやがて枯れている。
花人間が起き上がった時のシドウの顔がほぼ同様せず笑顔になっていることから、花人かつ間が生まれることは想定済み意図的(Twitterでは大義の塊とすら言われる)。シドウは花人間を作るために大量の花を切っていた。
しかし、ここで花が飾られる場所が病室用のベッドであること、フラワーアレンジメント用の鋏の並べ方が手術器具を彷彿とさせていることが気になる。ここで医者要素が再登場するのである。

この並べ方は手術器具特有

ということは、これら一連の行為は本来医学的行動を指している可能性がある。
ベッドに向かって切り取った生命の一部を与え、その際に手術器具を使い、その結果切り取られた側の生命はその命を終えるが与えられた方は立ち上がる。
この描写に最も合致する医学的行動は移植ではないだろうか。

移植であれば、花人間も移植された部位で構成された存在=移植された側の人間ということになるし、MVでシドウが病院内を移動するシーンの後フラワーアレンジメントのシーンに移行するのも「移植を始めるため」と解釈できる。

この後フラワーアレンジメント開始

つまり花が表すのは臓器…と言いたいが一旦保留したい。
改めて花人間を見てみようと思う。

大量の花々から構成された人型

この人間は無数の花で体を構成されている。そう、無数の
例えば臓器移植をするにあたって、その臓器というのは同時に一つ程度が当たり前ではないだろうか。なぜこんなに同時に花が使われているのか
しかもシドウはMVを見る限り、手持ちの大量の臓器を代わる代わる試していったのではない。花人間は大量の花を一度に身につけて立ち上がっているからだ。ただの臓器移植ならこうはなる気がしない。
このことから、シドウがしたかったことについて二つほど案を提示する。

①一から新しい人間を作った説
②愛する人を作り直した説

①一から新しい人間を作った説

人間の部位を組み合わせて一から人体錬成するというエドもびっくりの説。本当だったらグロすぎる。
この説を考えてくださったのでは私ではなく相互Aさん(久々の登場。考察を時々手伝ってくださっています。詳しくは弱肉共食記事などで)。
シドウは特に尋問において、愛する人・家族がいて今はもういなくなったということを示唆するような発言を何度かしている。

「愛する者」「家族」を失うことを恐れ、しかし失ってしまったという発言に移植という単語を重ねて思いつきやすい行為は「愛する者が死んだので移植を行い蘇生した」があるが、相互Aさんはこんなことを仰っていた。

「愛するものってそもそも最初からいたんですかね?」

オイオイオイオイ オイオイオイオイオイオイオイオイ

つまりAさん曰く、シドウにとってこの世に愛する者と言えるような自分を委ねられる存在がおらず、いないなら一から作ろう!という説だという。
ちびった。しかしこれなら「大量の人間の部位を継ぎ合わせた」という意味には、単なる臓器移植よりもずっと合致する。合致してほしくなかった
そしてこの説に至った理由には、後ほど分析するシドウの思想も関係してくる。その時改めて取り上げようと思う。

②愛する人を作り直した説

こちらはAさんの意見を聞きつつ再検討してみた仮説。
つまり愛する者が亡くなってしまったので愛する者の人体を再構成するという、やっぱり結局エドもびっくりの説。
しかし①と根本的に違うのは、こちらの説は無から人を作り上げているのではなく、かつて存在した人をイメージして作り上げているということ。この発想に至ったのは、シドウに愛する者が確かに存在した可能性を示す根拠を見つけることができたため。それは死体タグである。

2度目のサビ付近のパートからこの死体タグは現れる。死体タグとは、死体安置所においてご遺体の足の指につけて識別するためのタグ。
しかし彼が医者姿になっているとき、このタグは別のものに変化する。

書類である。簡略化されていて明言は難しいが、医者のシドウはMVにおいて泣いたり叫んだりする人々と立ち会っているため、流れを見るに死亡診断書ではないかと考えている。
もちろんどちらも死を証明するためのものだが、このタグはMVの最後、花人間が崩壊するシーンでも花人間から落ちてくるという形で再登場している。

スマホだと読めないんだが

このタグである。この文字が非常に見づらいが、PCで最高画質を利用してなおかつ全画面表示にするとシルエットだけはなんとかぎりぎり分からないでもない。それでも完全な解読は無理だった。
まず下にあるXXとXYの表記。XX、XYといえば性染色体(ヒトの性別を決定させる染色体)。

タグをよく見るとXYの方が斜線で消されている。性染色体においてXYは雄、XXは雌で、うちXYが消されているということはこのタグをつけている人物は女性で確定。
そして一番上にある細い字による書き文字。完全には読めないがイニシャルになっているアルファベットは読める。R,Kではないだろうか。
さらには苗字側の表記だが、一番最後の字の高さが比較的低めで、上に点がついている。そしてその左側の字はかなり高め。kiと読めないだろうか。そして最初のkの後に続く文字も、最後の文字によく似て低めの文字かつ上部に点が見える。ここから逆算すると苗字の読みがKirisakiになっているように見える。シドウの苗字である
しかしシドウ(桐崎獅童)を表すなら名前はSから始まらないといけない。このタグは明らかにRから始まっている。その後に続く文字は解読しにくかったが、Rei、Rin、Renなどの短めの名前に見えた。
この名前は最悪判読できなくてもいいが、タグの持ち主が桐崎姓を持つシドウ以外の女性であることはほぼ間違いなさそうである。だからシドウの尋問発言を見比べても、この花人間はシドウが愛した家族だと考えることができた。
(ちなみにその下の文字は分からなかった。Mから始まっていて三文字目がgだろうか? かなりぐにゃぐにゃしている)

尋問によればシドウにとって愛する者が死ぬことは耐えられないことで、愛する者には全てを捧げることができる。

愛する者が亡くなってしまったことに耐えられず、患者を利用してでも人体を作り直そうとした、というのは動機としては十分だと思う。よって、この記事はこの説を支持して進行していく。
また、ここからはシドウが蘇生していた女性は「元花人間」と仮称する。

MVの流れ


大まかな事件概要を特定できたので、さっそくMVの精査に入りたい。

①シドウの目覚め

何もない病室のベッドに寝転がるシドウだが、突如目を覚ます。

病室のベッドと言えば、この後大量の花を飾られる=花人間を作成する場所=もともと元花人間がいたと思われる場所。ここに誰もいないということは、元花人間が死んでしまったということを示唆しているのでは。愛する者を失ったことで呆然としていたシドウだったが、何か(花人間製作=元花人間の蘇生)に思い立って目を覚まし行動を開始する、といった雰囲気に見える。
シドウが目を覚ます前に花の画像がいくつか挟まることから、花にあたるものについて考えた結果シドウが動き出したと思われる。先の考察から花=人間の体の部位と考えるのが妥当そうだが、訳あって断言はしない。

②親子との会話

医者姿のシドウが母親と娘らしき人間と病院の廊下で話している。流れは心配そうな親子→残念そうな顔で何かを話すシドウ→親が崩れ落ち、娘や驚いたシドウが声をかける といったもの。
移植説に従うなら、患者が脳死などによってもう助からないとご遺族(親子)に宣告したところショックで親子が崩れ落ちたと考えるのが自然。ここまでは医者としては普通のお仕事に感じる…が、そんな話を廊下でするか?というのは少し気になる。(根拠はないです。合っていたらすみません、訂正します)

そもそもシドウは愛する女性のために大量の患者の部位を移植しているわけであるが、そんなに多くの命を私的に利用することが許されるわけがない
ここで、アンダーカバーのシドウパートを確認してみる。

「どちらを選ぶんだ 騙されるほうか騙すほうか」

シドウをイメージして与えられた歌詞は上記のもの。「騙す」がキーワードになっている。まるで人を騙したことがあるかのような歌詞。
またスローダウンそのものの歌詞にもシドウが誰かを騙したことがあるかのようなものがある。

・「戻れない招待を騙している 希望に置き換えて」
「希望」は脳死などをしてしまった患者への「臓器を提供しますか」という投げかけ。代わりに誰かを活かすことができるという希望。一方「戻れない招待」は人体の私的利用。
シドウは臓器提供という名目に「置き換えて」患者の肉体を手に入れた、あるいはそもそも死んでもいない患者を脳死と偽って報告し、臓器提供の名目で肉体を手に入れた
個人的には後者が濃厚と考える。なぜならシドウが手に入れた花々はどこも枯れていない健全な花だったから。また、死の宣告を廊下で行うのも少し妙(間違っていたらすみません)。廊下で行うことで直接死体を遺族に見せて看破されたり、同業者に見抜かれたりすることを防ぐためのものかと考えてもいる。

・「誰がやってきたって また変わらない表情で」
遺族を騙す際のシドウの姿勢。
実際、シドウは遺族と対話する際は遺族に寄り添うような表情や仕草をし続けている。しかし会話が終わったとたん彼の表情は変化している。

笑うな??

今までの悲しそうな表情はなんだったのかレベルの爽やかっぷり。その後の花カットシーンも終始美しい笑顔。やってることは部位摘出
そりゃ婉曲表現だらけのシーンになるわ。だってほぼグロい不正手術シーンだもん。ユノがエロならシドウはグロってか?

ちなみにシドウが移動する廊下には携帯電話の使用・通話を禁止するポスターが貼られていることから、手術室や集中治療室に近い場所ではあると思われる。

③花をカット

フラワーアレンジメント…でカモフラージュした、実際は遺族を騙して手に入れた患者の体を勝手に解剖して部位を獲得するシーン。
ちなみに舞台は植物園らしい。

花束をカットして花を一輪だけ手に入れ、保存のためにか小さい花瓶に生けている。残りの花束(花が2つついている)は枯れてしまった。今まで生きていた患者が部位摘出されたことで、ここで死ぬ。
枯れた花束は飾られたままだが、一人分ではなくいくつもある。このカットシーンのなかで、あるいはその前の時点で既にもっと患者が犠牲になっていると思われる。これらの花を無視し、シドウは花人間(のなりかけ)に声をかける。彼にとっての命の優劣がよくわかるシーンである。

④夫婦?との会話

移植の後日と思われる。病院の廊下で夫婦らしき人物らに話しかけられる。
男性の方は強く怒鳴っているような様子で、女性の方はハンカチで口を押さえており泣いているように見える。これも身近な人を亡くした遺族の反応としてはあり得るものだと思う。怒鳴る様子は「なぜ救えなかったんだ」という怒りと考えればしっくりくる。
シドウはそれを悲しそうな顔で見ている…と思ったらなんかどっか見てる。

視線の先は窓

窓のむこうとか見てる。
人の心とかないんか?

よく考えると①のシーンでシドウと会話していた親子も、今回の夫婦のように淡い彩色かつ乱雑なシルエットで描かれており人間味がない。なんとなくシドウにまともに見られていないような、ぼやけたような描かれ方

表情も無にスッと変わる。
人の心とか

⑤食事シーン、花をカットその2

ここで妙な食事シーンが入る。シドウが口にしているのはザクロと赤ワイン
ザクロと聞いてイメージされるのは「食べると冥界に留まってしまう」とされるペルセポネの伝説と、「人肉の味に似ていたからザクロを持っていた」という鬼子母神の伝説(しかし俗説とされています)。

ワインで想像できるのはワインを飲んだ女性たちによる狂乱「ディオニュソスの秘儀」と、キリスト教における最後の晩餐。キリストが「自分の血と思って飲みなさい」と伝えた飲み物。

思い当たるものは複数あるが、同時に状況とイメージをマッチさせやすかったのはザクロの「人肉」イメージとワインの「」イメージ。丁度シドウが病院の裏で行っていたのは死体の身勝手な移植でありこれらとは縁が深い。

が、そうなるとシドウは人間を食っていることになるが大丈夫か!?
食う理由としては部位摘出後の死体処理を一応考えられなくもないが、正直人間を食べたことにまつわる根拠が他にあまり見つからないため断言ができない。それにその後枯れた花が再登場するのもあり、説を提唱しつつも断定できていない。

その後はまた花のカット。相変わらず枯れ切った花を放置しての作業。

⑥割れたガラス

シドウが自室のベッドのような場所で起床する、特にリアリティのあるシーン。
しかしこの場面には謎の割れたガラスが二種類現れる。ボウリングピンのような形の丁度人間サイズほどのガラスが上部で二つに割れているものと、布(シーツの端?)の上で板状のガラスが割れているもの。

ここで「アンビリカル」記事の風船の考察の際にふらっと言っていた私の仮説を再度取り出す。
ミルグラムMVにおいて、物が壊れる描写は人死にの暗喩である可能性が高い。これはアンビリカルや愛なんですよ、halfなどを見て掴んだイメージ(全てに通ずるとは限らない)。実際例えとしてもやりやすいとは思う。

このシーンにおいてシドウは珍しく、目の下に隈を作ったような重い表情をして頭を押さえている。
患者を大量に殺してもわりと平然としていたシドウがそれでも嫌なことは愛する者の死。ということは付近に散らばるガラスも愛する者の死に関連している…あるいはこのガラスの正体は愛する者の本物の遺体であるという説もなくはない。

この先が少し憶測を多めに含んでしまうが、なぜこの人型っぽいガラスは首あたりで二分されているのだろうか。
シドウは尋問において恋人に望むことを「健康」と言っている事から元花人間は健康ではいられず病気などで亡くなった可能性がある。しかしこのガラスは首がもげている。もちろん人間は病気で首はもげない。というか人為的でなければ首はほぼもげないのでは
ここで花人間を思い出す。シドウの愛する者の名前を冠しながら、ほぼ全身が他人の部位で出来ていた。この様なほぼほぼ他人で構成されたキメラのようなものをシドウはなぜ愛する者と認識したのか。それは頭部に元花人間本人の脳を入れていたからでは無いだろうか。
人間の意識や記憶の殆どは脳が司り、生物学的に見るなら人間のアイデンティティは確かに脳に集中しているともいえる。ここさえ無事なら、たとえ肉体が完全な別物になってもギリギリ元の本人と認識…できなくもない。一応。そんな簡単に割り切れる人はなかなかいないだろうが。
つまり私の説としては、シドウは花人間として愛する者を蘇らせるため、彼女の脳をもとに残りのパーツを他人から奪った部位で再構成。蘇生を目指した…というものである。これならガラスの頭部が離れていた理由もわかる。どこかの過程で脳を抜くことになるのだから。
生物学的にも医学的にも現実味が無さすぎる説だとは思う。しかしその前に体のほぼ全てを他人の部位で構成された人間が起き上がってちょっと動けるのもだいぶファンタジーでは…
ミルグラムは非常に現実的な心理と事件を扱い続けるコンテンツなのだが、シドウの事件だけこういう点でどうにも突拍子がなく見える。シドウ超天才説で固定できなくもないが、ミルグラムでそんな浅い結論を出していいものか…。
ちなみにヒトの脳移植は某所で実際に実行されそうになって、その後の真偽は不明。

⑦花人間蘇生ならず

花人間登場シーンのリアタイコメントが絶叫だらけでおもろかった

シドウがこうして手間隙かけて製作していた花人間がついに起き上がる。この時のシドウの顔にそこまで驚きはなく、わりとあっさり喜んだ顔になって手を差し伸べる。
しかし花人間はその手を取ることはなく、すぐに崩れ落ちてしまう。まあ当たり前だよな…むしろ一人でようやったという感想。
ここで今までほぼ崩れることのなかったシドウの顔が激変。まさに絶望といってもいい表情を見せる。

さすがに無表情ではいられなくなった

そして最後、シドウは花人間の死体タグを破る。

もう一度先程の仮説を振り返る。
ミルグラムMVにおいて、物が壊れる描写は人死にの暗喩である可能性が高い

ここで再度アンダーカバーについて触れたい。今度は殺人立ち絵を確認してみる。殺人立ち絵はこれまで説明してきた通り、囚人の犯した殺人の瞬間を表した貴重な資料。

シドウは立った状態でエス(被害者代理)の胸元に何らかの攻撃を加えており、エスはその衝撃で前のめりに体を折っている。今までの流れの中でシドウが犯した殺人と言えば手術によるものだが、エスが立っているこのポーズは手術による殺人ではありえない。
となるとシドウはMV内において手術以外で殺人をした可能性が浮上する。それがこの死体タグ破りのシーンである。

直前の思い詰めるような顔も印象的

例えばシドウが花人間製作に一瞬成功するも様々な部位の拒絶反応や不備によってすぐに崩れ落ちてしまったとする。こんなにあっさりと即死するとは限らない。死んだのではなく、苦しみ悶えていたという可能性もある。
こうなってはもう流石に助かりようがない。愛する者の成れの果てを見てしまったシドウはどうするかというと、せめて苦しまずに早く死なせてあげようとするのでは?例えば胸元を的確に狙った刺殺で。
シドウほど人間の内部構造を理解していれば、拒否反応などでとても立っていられなくなった女性一人の殺害など容易。崩れ落ちたところを抱き起こして手術器具などで刺殺したのなら、アンダーカバーの立ち絵にも構図が合致すると考える。

以上が私の考えるMVの概要である。
正直スローダウンはMVの考察については特定しづらい要素が多く難しかった。ここまで苦戦するとは…。

かちかんのうた


では、なぜシドウはここまで大量の犠牲者を出すような凶行に及んだのか。
普通の人間であれば花人間を作りきる前に精神的に耐えられないはずだ。しかしシドウは余裕そうな顔を長く保っていた。このメカニズムを考えたい。

突然だが、私はスローダウンの歌詞のことをかちかんのうたと呼んでいる。
なぜなら歌詞中で実際にシドウが己の生命への価値観をそのままダイレクトにペラペラ喋ってしまっているから。事実考察の難易度が高いのに私がシドウの難易度順位を比較的下げているのはこのおかげ。全部言ってくれてるもん。
その分析内容と一緒にシドウの中の倫理観を見ていきたい。

身内と他人との優劣

・「誰かは誰かと同じ重さにはなれない」
・「選ぶべき優劣を叶えている」

シドウの価値観の根幹はここ。シドウの中で人間には平等な価値はなく、優先順位が存在している

彼は元花人間の女性を愛している。本当に心から、なんでも捧げることができるほど。しかしその女性以外の他の人間へは一切愛情を抱けないし、共感も抱けない愛する者のために犠牲にしても大して良心が痛まない
シドウにとって、人間とは同じ価値で見れるものではない。どうしても愛する者を優先的に見てしまうものである、ということである。だから「彼にとって」選ぶべき優劣、すなわち特に愛している者とそれ以外の者との間にある優劣に基づき、誰を生かして誰を殺すべきかという彼自身の結論を、絶望(=殺人と移植)を「刺死込んで」「叶えて」いる。

もうすでにヤバい。シドウの倫理観はスタートダッシュの時点でなかなか強烈である。
…が、今までの記事で私は、ミルグラムの囚人は全員現実社会のどこにでもある価値観を持った人間をテーマにしていると論じてきた。つまりシドウもそうだということになる。

シドウについてはもっと簡単な話である。
崖に大事な家族の一員と赤の他人が二人とも今にも落ちそうにぶら下がっていて、一人しか助けられないものとする場合、どちらを助けるか。

もちろん答えられない、どちらも平等だと考える人もいるはず。ただし、悩むにしろ悩まないにしろどうしても身内を優先してしまう気持ちというのは普通にありうる思想ではないだろうか。
シドウの思想というのは、この身内優先心理の究極である。
シドウにとって身内を失うことは決して耐えられない。赤の他人を大量に殺さなければ身内は助からない。シドウにとってどちらかしか生きることはかなわない、あるいはどちらかしか幸せになれない。だからシドウは身内を選択した、というわけである。スローダウンで行われていたのは彼なりのトロッコ問題だった。

現実主義と弱肉強食


しかし、「赤の他人を殺さなければ身内は助からない」というのはかなり野性的な思想である。誰かが犠牲にならないと幸せになれない人間がいるというのは、弱肉強食的ではないだろうか。
ここで確認したい歌詞がある。

「絶対正しいことが命の数あるように もう始まる終わり叶ってやっと救われるんだね」
→「There are so many truths, as there are so many lives」
「The end that has already begun, I will finally be saved once it comes true.」
訳「命の数が多くあるように真実も多くある」
「既に始まっている終わりが実現したら私はついに救われるだろう」

絶対正しいこと」というのは人それぞれが持つ価値観のことではないだろうか。
誰かにとっては道徳が大事で、だからこそ正義に生きる人間こそが価値的に優位で悪を行う人間が劣る。また誰かにとっては自分が大事で、だからこそ自分こそが価値的に優位でそれ以外が劣る。まさに命の数ある。そしてシドウにとってのそれは「大事な人が大事だから大事な人が優位で、それ以外が劣る」。
どれが正しい、どれが間違っているというわけではなく、それぞれが自分の価値観を正しいと思い、それが叶わないと救われない。絶対正しい価値観が命の数ある。シドウは愛する人を重視しているから、愛する人が救われなければ、さらには愛する人のために他者を犠牲にしなければ幸せになりようがないのだ。幸せになるには赤の他人の「終わり」を「始め」なければならなかった。

「モラルなど妄想だ」
この歌詞にも同じ思想が現れる。社会全体に通ずるモラルというものがありそれが維持されることで世の中の平和が保たれる。しかしモラルで全員が幸せになれるわけがない。全員価値観が異なるからだ。
もう少しわかりやすい例えをすると、掲示板でこんな話が流行っていなかっただろうか。

「今こいつ殴ったらどうなるんやろ」

皆で仲良く話しているときに、(そういえばここで急に理不尽な行為に及んだらどうなるのだろう、どうなってしまうのだろう)という発想。考えたことがある人もない人もいると思う。
しかしこの発想は「実際にやってみたいから」起こる発想ではない。今目の前にある平和は全員がおとなしくしているから成り立っているのだ、と気づくから起こる発想である。

もう一つ「ひぐらしのなく頃に」祟殺し編からも例を出す。
完全な引用ではなく大まかな内容の抜粋であるが、前原圭一の台詞の中に「目のまえのお前が生きているのは俺が殺さないでやっているからだ」というニュアンスの台詞があった(はず)。
平和とは何の対価もなく存在するものではない。そんな浮ついた発想はシドウにとって妄想である。実際妄想かもしれない。社会に生きる全員が互いの欲望や衝動、ちょっとした興味などを押し殺して配慮しあうことで生まれるのが平和である。

だがそれでは絶対に幸せになれない人間がいる。シドウのような人間である。それをシドウは理不尽だと思っているから、彼なりに対抗した。
シドウは人間社会の中に埋もれていった本来の人間の本能的部分に気付いた。他の人間たちが自分の「正しい」を全うしようとして自分の「正しい」を犠牲にするのなら、自分も「正しい」を全うするために彼らの「正しい」を犠牲にしてもいいだろう
シドウの中にはそうした弱肉強食的発想が生まれていたのだと考える。

そう考えるとシドウは非常に現実主義者でありながら、また相当動物的でもある。全然お耽美じゃない。世界観がジャングル。相互Aさんは罠張れるチーターって言ってた。草
(シドウの価値観については相互Aさんに多大なる協力を頂きました。誠にありがとうございました)

シドウが人間をに例えているのは、この弱肉強食的価値観のせいではないだろうか?

動物が植物を食べるようでもある

動物や植物も生きていくために互いを食べ合う。そうしないと生きていけないからである。
他人を犠牲にしなければ生きていけない思想・世界のもとに生きているシドウにとって、他人は喰らうべき植物・あるいは動物に見えるのかもしれない。虫や鳥に見える植物があったのもそういうことだろうか。

このように現実主義的なシドウはミルグラムでも常に落ち着いた様子で生活する。ボイスドラマでも状況を医学的に冷静に分析しつつ「理由は分からないが現実逃避していても仕方がない」と受け入れている。どこまでも俯瞰的である。

強者は弱者を手玉に取る

以上の弱肉強食的思想から、シドウのもう一つの行動理念を探りたい。

シドウは勝つために他者を手玉に取る
それは相手を騙したり、上の立場に立ったり、論争で勝ったりするようなことである。

この後の表情を見ればわかるが、本心からくる慰めではない

まず患者の体を手に入れるには、遺族を騙さなければならない。そのために嘘の報告をして遺族に患者を諦めさせ、体裁を取り繕うために当たり障りない優しい医者を演じる。勿論本心ではない。

なにわろてんねん

騙し終わった後のこの素早い表情の切り替え。シドウは話術・処世術に長けている
それはシドウ自体がもともと得意というのもあったかもしれないが、強いリアリストゆえに世界を客観的に見ることができるため、あまり人に肩入れせずするべき会話取るべきリアクションを落ち着いて行うことができるからではないかと考える。

そういえばユノも人と軋轢を産まない天才だったが、シドウもユノも処世術に長けているがジャンルがだいぶ違う。
相互Aさん曰く、例えば接客業をやらせた際のイメージが違うという。ユノは非常に接客の才能があり素晴らしい成績をたたき出すが、途中で疲弊して続けられなくなり辞めるタイプ。一方シドウは無難にしかし長く続けていけるタイプ。
接客業で一人一人に親身になっていたらきりがない。いろんなお客さんのこと全てに真摯に対応し続けていたらストレスが計り知れない。ユノは一人一人に期待してしまうから常に出せる全力を出すが、もたない。一方シドウは人に全く期待していないから必要な力だけを出して淡々と交流を続行できる。シドウの方が良くも悪くも接客業に向いているタイプ、ということだそうだ。
医者としての仕事もそうだ。自分が医者というわけではないが、本気で全ての患者に親身になるというのは、もちろん素晴らしいことだがかなり難しいし精神的に参るのでは。生命にも都度関わるわけだし…。

なお、シドウは自分自身にもそこまで興味がなく空虚に生きている。
自分に似ている動物を聞かれたのに好きな動物をあげ(しかも理由がない)、趣味に絵を描くことと挙げたのに「暇」といい没頭する様子がない。自分すら軽いため、自分さえも俯瞰して見れるのだろうか。
ジャッカローブかわいい

シドウの「強さ」の追求はそれだけではない。彼は言動や地位でも優位に立ちたがる傾向があるように見える。

シドウのプロフィールを確認してみると面白い内容が見つかる。
そもそも主人のプロフィールについて5回の考察記事にわたって考察し続けてきたが、プロフィールに書かれる内容は全て囚人の罪状に関係があると思った。今のところ無関係な記述が一切ない。これもいい判断材料になりそうである。

気になるのは「看守を子ども扱いしている」という点。シドウは29歳で看守は15歳だから当然だろうとも思えるが、ボイスドラマ「Molech」を聞いていると、本当に子供をやたらあやすような扱いだった。具体的には、ミルグラムの比較的過ごしやすい環境について「エスくんの努力の賜物ですね」だったり、刑法について「エスくんも知らないことが多いんですね」だったり。
それだけならまだいい。だが、エスはシドウによる子供扱いに次第に激高し論争を仕掛けてくる。すると意外にもシドウは反論する。売られた口論に必ず反論しているのである。例えばエスがシドウの脛を蹴りあげて「痛みは生きたいと思う証拠だ!」と怒鳴った時。なるほど…と時間を置いた後、「ですが」と反論を始める。
これは死にたいという意志に関係の無いただの侵害受容性疼痛にすぎない、ととても子供に向けるものでは無い論理的で、しかし強気で子供っぽい反論である。エスからも「大人げない」と言われていた。それに対しシドウは「脛を蹴られた仕返しですよ」と返す。マジで大人げないぞ。

無意識下かもしれないが、シドウは他人に主導権を握られることを嫌う素振りが見える。議論も負けたくないし相手を子供扱いするし。
これもまた、相手に勝たないと生きていけないというシドウの倫理観によるものかもしれない。相手に弱みを見せたら負け、だから常に強くあろうという軸。
これは想像だが、山中さんをして口喧嘩が強いと言わしめているユノに討論で任されたらシドウはかなり嫌がるのかもしれない。処世術に長けるから口には出さないかもしれないが…。

こういう喋り方もまさに弱みを見せたくないシドウらしいと思う。

そういえば医者という立場も人の命を言ってしまえば左右できる職である。MVを見る限り愛する者が死んでから医者を志した訳ではなく医者をしている最中に愛する者が死んだのだとは思う。
しかし社会の役に立ちたいという本音のほんの片隅に、ちょっとした強さの追求があったとしたら面白いかもしれない。

誰かに繋ぐならまだ生きている


これで結論に行っても良さそうに見えて、実はまだシドウを語るのに重要な思想が残っている。

「誰かの誰かに繋ぐあなたは生きている」

この思想。
この後の歌詞が「戻れない招待」についてなので、ここでいう「あなた」は患者。そして「誰かの誰か」とは、「シドウの愛する人」と読み解ける。
たとえ死んでも部位が他人を生かしてるから、実質あなたはまだ生きている。

何言ってんの(絶句)

この読み解き方に至った根拠は他にもある。

「トクトク言うの ここにいたっていい理由を 止まったって消えないさ」

トクトクは心臓の鼓動。まさに生きている証拠(=ここにいたっていい理由)だが、シドウは「愛する人に繋げば実質生きてる」理論の提唱者なのでこの心臓の持ち主の生は「止まったって消えない」。

「決めるんだ まさに一度きりのその生き方を」
生き方」という台詞が絶妙。患者は死ぬのではなく、新たな生き方を選ばされる。死ぬのではない。

シドウは殺人そのものに全く抵抗がなかった訳では無い。
彼の価値観の中では彼らはそもそも死んでいなかったのだ。臓器が他人を生かすという言い方はあるが、本人もまだ生きているという発想はなかなか。
しかしリアリズムの中で生きていて生命を俯瞰するように生きているシドウなら、人間が生きると定義される根源を魂などではなく脳や他部位だと考えていた可能性はある。生体に詳しいからこそできる発想でもありそうだ。
この発想で行くとラストのシーンの意味合いも激変する。

花人間も散るが、花も…

最後、花人間は生きることが叶わず散る。
ここで先程の「誰かの誰かに繋ぐあなたは生きている」という歌詞を思い出す。
繋いでいた「誰か」が死んでしまった。それなら「あなた」も生きられなくなったのでは?

花人間を見ているシドウだが、視線の外から何かがシドウを見つめる
視線は揺れている
とっくに枯らした花。ここのカメラワークも揺れている…

枯れた花に見向きもしていなかったシドウだが、ここでようやく「視界が揺れる」という形で花が存在感をあらわにする。シドウに死を認識された瞬間だろうか。

このシーンは愛する者が死んだから悲しんでいた、では終わらない。シドウにとっては、愛する者に繋げていた大勢の患者がこの瞬間全員死んだのだ。

流石に(彼の価値観の上でとはいえ)人を殺すつもりはなかったシドウは、愛する者に今度こそ訪れた死とともに絶望に押しつぶされる。そして囚人としては珍しく、後悔をした。

最初の気持ちから全く変わらなかったなら、決して出てこない回答だと思われる。

シドウのボイストレーラーの最後の台詞は「確かに死んでない」「今更分かったよ…俺が奪ったものの価値を」というものである。
ボイストレーラー最後の台詞は、全員人を殺す直前~殺す直後に発した台詞であると今のところ考えている。全員のボイストレーラーをチェックしてここから外れていそうなセリフがほとんどないというのが個人的根拠。(アマネはちょっと前すぎるかもしれないがなんともいえない)

シドウのこの台詞の花人間が倒れた直後のものではないだろうか。
そう思う理由として、まず「今更分かったよ…俺が奪ったものの価値を」という台詞だが、相手の命を軽んじ続けていたシドウから出る台詞では決してない。花人間が倒れたことによって、彼らがいなければ愛する者は生きることが叶わなかった=それほどの機能・価値をもつ患者たちを利用していたということを現実主義的に、芋づる式に理解してしまったシドウと考えるのが容易だと思う。
「確かに死んでない」というのも、花人間はたしかにほぼ死にかけだが完全な死には至っていない(だからとどめを刺してあげた)様子を見たと考えれば繋がる。

サイコパスは必ずしも凶悪思考ではない


折角なので今まで同様、ここまで取り上げてきたシドウの精神行動を心理学用語に当てはめてみたい。
※あくまで考察であり、実際の人間の心理全てに適用されるわけではない

「共感性の欠如」「他者を騙し上位に立とうとする」などの要素を含めて考えると、サイコパスがあるのではないだろうか。

映画や物語などで一躍有名となり凶悪犯罪者の思考として印象付けられそうなサイコパスだが、先に言っておくとサイコパスは必ずしも犯罪を犯す傾向ではない
心理学専門家ケヴィン・ダットンが定義するサイコパスの主な特徴は以下のもの。

  • 極端な冷酷さ・無慈悲

  • エゴイズム

  • 感情の欠如

  • 結果至上主義

自らが貶めた遺族に対して表面的に共感してもすぐ切り替えられてしまう無慈悲さ、自己の利益(愛する人の救済)の圧倒的重視、患者や遺族に対する理解はできても共感はしない共感性欠如、成果を手に入れるため手段を選ばない結果至上主義性。どれもシドウらしいのではないだろうか。
他の心理学者によるサイコパス定義を見てもかなりの一致が見られる。特に「口達者で表面が魅力的」というのもシドウらしい。共感性が欠如していて俯瞰的だからこそできることといえる。

歌詞にもシドウがサイコパスっぽいと思えた部分がある。
「どんどん薄まって 噛んだって味がしないんだ 不要なら興味ないね」という歌詞。該当シーンでザクロを食べているがいつも通りミスリードだと思う(考察ルールを参照)。どちらかというと患者や遺族を傷つけた際の良心の呵責の希薄化。あるいは他者への興味・共感の希薄化

しかし、シドウは愛する者が亡くなるまで足を踏み外すことはなかったということが重要である。
世の中には共感性があまりない人や自己中心的な思考を持つ人はいくらでもいる。しかし彼ら全員が犯罪を犯すわけではない。むしろトラブルを起こしつつもなんとか社会に混じる人や、そんな自分と葛藤しながらも調和していく人のほうがずっといるのでは。

そもそも共感性欠如は必ずしも悪いものではない。物事に動じなかったり俯瞰して見ることができたりする傾向は社会の役に立つことだってある。
サイコパス的傾向を持つ人が向く職業はいくつかあるだろうが、そのなかに外科医もある。

※この職業に就く人たちが一概にサイコパスとは決して言えない

例えば手術中、患者にあまりに強い共感を抱いていて執刀ができるだろうかというとできない。いちいち相手を切ることや血が出ることを恐れていてはスピード感や緊張感を要する手術をするのは厳しい。そういったことを深く考えない性格の方がずっと集中して繊細な作業をできると思う。
いちいち困惑しない、落ち着いて状況を把握できるからこそ向いている仕事はたくさんあるし、そういった人間が人を救うことだってたくさんある。シドウの性質は外科医に非常に向いていたのだ。
シドウは医者を志望した理由に「社会の役に立ちたかったので」とある。全てが本心ではなく弱肉強食的思考もあったかもしれないが、私は全くの嘘とは考えていない。あまり理解されていないかもしれないが、共感性が足りなくても他者に優しくすることはできるし、心からしようと思うことだってできるというのは正直もっと知られてほしい。
シドウがそうだったかは断言できないが、共感性がないとやはり冷たいと思われたり、周囲になじめなかったりすることもあると思う。それでもいい人もいるが、それを嫌がって・あるいは自覚して自分なりに人間らしくあろうとする人だっていると思う。どちらにしてもシドウが他者に共感できないなりにも社会に貢献しようと思っていたのは、本心だと思っている。それに良心がまったくないわけではない。良心がなかったら、最後花人間が崩れ落ちたとき「他の人々も死んでしまった」とはならないし、そもそも反省しない。

個人的な話になるが「サイコパス」という単語が冷酷無慈悲な人間へ適当に使われる別称になっているのは正直嫌だったので、シドウを考察してこのような記事を書けて良かったと思う。
ただし断片的な話でしかないので、サイコパスについて知りたければしっかり専門書を読むなどしてください。また一義的な断定もしないようにお願いいたします。

本当に赦さないでほしいのか


シドウの思想については大体以上となる。
しかしシドウには他の囚人と決定的に違う要素である「断罪要求」がある。ミルグラムはすごく適当に言うと自分勝手とわたしわるくないのアソートボックスであり、ほとんど誰も反省していないという約10種の地獄展示
だがその中でもシドウだけが強烈に「赦さないでくれ」と主張している。本当に珍しい。私が見る限り、ファン間の中では反省の意を信じている人と、シドウがミステリアスすぎて疑っている人が見えた。ここを突き詰めてみたいと思う。

シドウは人間とは周囲を蹴落として自分の「正しい」を通すものだと考えていた。
しかし今、シドウは「負けている」。自分の大義であった花人間は崩壊し、自分なりに全員を生かし愛する人も生かそうとしたという大義もなくなった。そしてミルグラムに呼ばれ、エスという若者=弱者に裁かれる側になった。まさに敗者である。

さらに突き詰めるのには、ボイスドラマが一番適していると考える。
この9分以上あるボイスドラマだが、その大半でシドウは殺してくれ殺してくれとエスに懇願している。
殺してくれはまあ分からないでもないが、このシドウやたら粘る。エスが死刑に対して「だめだ」「決める権利を有しているのは僕だ」というと「だから権利を有しているエスくんにお願いしているんです」。エスが「しつこい!立場を弁えろ」というと「聞いてくださいエスくん(間髪入れず)(強い口調)」。めっちゃ粘る。
挙句の果てにはなんか声が恍惚としてきて、「俺をちゃんと赦さないでくださいね」。ただの「赦さないでくれ」ではない。

ボイスドラマからまず感じ取れるのは死に急ぎ。ただ死にたいというより、今すぐ死にたいという急ぎを感じる。
歌を取り出すというシステムに対しては「まどろっこしい」「さっさと俺を殺せば済む話」と言い、三審制については「長すぎますね」「早く逝かせてもらいたいものなのですが」。
赦さないでほしいといっても、自分の罪をちゃんと見て、すべてに向き合って赦さないでほしいという考え方だってあるはずである。しかしシドウは急ぎ続けている。急がなくてはならない理由がある。
それは死んだ愛する人に今すぐ会うためではないだろうか。

シドウはリアリストだが、輪廻転生の考えはあってほしいと願っている。現実を見すぎているのと少しの夢を持ってしまうことは両立しうる。特定の人を愛してやまないシドウならそう考えなければやっていられないだろうし、それに多くの人間を殺してしまったという自覚も持ってしまったならせめて救いがあってほしいと願ってしまうのも無理はないだろう。
でもシドウは愛する人から離れられない人間である。もし輪廻転生があるなら自分だって追いかけたいのではないか。だから無駄な時間を使っている場合ではなく、今すぐ死にたいのではないだろうか。

また、もう一つ死を望む可能性を考えた。弱肉強食の世界で負けたなら、それに則り相応の報いを受けて死ぬべきだという発想である。
シドウはミルグラムのことを気に入っており、その理由に「俺に似合いの終わり方をくれる」というものを挙げている。似合いの終わり方というのは勿論エスに裁かれるということについて言っているのだが、さらにシドウは「できるなら法律に赦さないと言われるよりもエスくんみたいな子に赦さないと言われたかった」とも言っている。めっちゃ恍惚とした声

少し難しいのでここからは若干憶測が入ってしまうが、大人が子供というずっと弱い立場の人間に否定され、命を絶たれることを言っているのではと考えた。
強者としてずっと弱者を食い物にして殺し続けてきたうえに、犠牲だけ生んで何も成せなかったシドウ。似合いの終わりというのは、自分が散々弱者として扱ってきた彼らから今度は否定され、踏みにじられることを言うのかもしれない。
それは似合いの終わりと言えばそうだし、他には弱肉強食の価値観に則り、今度は自分が食われる側になったのだと粛々と受け入れたということともいえる。

「どちらを選ぶんだ 騙されるほうか騙すほうか」

アンダーカバーのシドウパートの台詞を思い出してみる。
この台詞はシドウがやってきた罪を指しているともいえるが、シドウのそもそもの価値観も指しているのではないだろうか。
言い換えれば「食われるほうか食うほうか」。今までずっと食う側だったシドウは、ミルグラムにおいて食われる側になった…と「シドウは思っている」。
心から後悔はしていても、根本的な価値観に変化はない。

ここまでの考えは私が仮説を立ててきたシドウの価値観から外れていない。少々憶測も含んでしまったが、以上の理由によってシドウの「極刑を望む」は、この記事の中では本当のことと捉えている。

もう一つ考察がある。シドウはエスが自身の脛を蹴って「痛いのは生きている証拠だ」と発したことについて間違いだと断じた。しかし「素敵な間違い」と称し、「眩しくて目を背けたくなるほど君は子供」「でもそれが俺はとても嬉しい」と、エスが理想を語ることを喜んでいるような雰囲気がある。またエスという子供が自身の死を判断すること、それを押し付けられることへの申し訳なさについても語り、まるでエスを案じているようだ。
シドウが強烈な現実主義者であったことはずっと語ってきたが、それを生きづらそうにしている可能性もなくはなかった。

「色のない感情を残したままどこかへ逝けるかな」
→「emotions with no color」
 「I wonder if I can die with it still left」
訳「私は色のない感情を残したまま死ぬことができるだろうか」

「残す」のままだと「シドウの中に残したまま」と「シドウの外に置き去りにする」の二通りの解釈があるが、leftの元であるleaveの意味がそもそも「置いていく」というニュアンスを持つ。そのためこの歌詞の意味は「色のない感情を置き去りにして死ねるだろうか」とここでは解釈したい。
更に解釈すると、シドウはこんな空虚な価値観を持った自分ではなくなりたいと思っていたのではないだろうか。
少し難しい解釈ではあるが、こう解釈するとエスに感心したり大切にしたりする気持ちも分かる。シドウはエスのように、また無垢な子供のようなりたかったのかもしれない
シドウのしたことは身勝手で赦されるべきことではないが、しかし彼のような人間だからこそできた天職だってある
私としては彼のような感情を根こそぎ否定したくはないだけに、こう思わざるを得なかったシドウを考えると悲しいものがある。

さらに、もう一つ考察がある。
シドウが殺してきた患者たちが子供だったという可能性だ。
シドウはエスを子ども扱いしているとあるが、エスが努力していることに感心したり、苦しんでいれば心配をしたり、エスが「お前は生きたいと思っている」という(シドウからすれば)理想を語っているエスのことを「素敵な間違い」をしていて「眩しい」と言ったりする。子供という存在そのものに対する眩しさを感じているのが少し気になり、もしかしてシドウは今まで殺してきた子供に対して申し訳なさと、改めて尊敬を感じているのでは…などと考えていた。
根拠は一つしかないが、しかしかなり決定的なものがある。ボイスドラマのタイトルが「Molech」であることだ。

モレクとは、新生児の人身御供の対象となった神
マジかよ、シドウ新生児ばっか殺してたんじゃないの!?

確かにMVに登場した遺族はみな親のような雰囲気があった。一組目は母親と娘だし、二組目はまさに夫婦のようだった。そういった人たちがめでたく出産した子供に対し死産と偽って取り上げ、その部位を活用したとしていたら…うわーーーーーー……
たしかにそれなら後悔の果てに子供を愛おしく思う気持ちも分かる。自分が殺してきたような存在が生きていたらこうなっていたかもしれない、というのがエスだ

となるとこの尋問もニュアンスが変わる。シドウはアマネのことを知っているからこの発言をしたのではなく、自分が子供殺しだから苦手なのではないかと思っている可能性がある。

歌詞を振り返る


「夢の中でまた泣かれている 責められている」
犠牲者や遺族に責められる様だろうか。少し解釈が難しいが、あえていうと「夢の中」というのが他人事っぽさを感じる。

「殺した迷いが息を潜めて嘘を嗅いでいる」
殺した際のシドウの良心の呵責はそのまま表出しない。シドウはそれを外に出さず、どう感じたにせよ抱えたまま次の嘘をつきに行く。

「どうしたって離れない どうか赦さないでくれ だから終わりが欲しいよ」
→「Can't stay away」
 「Please don't forgive me」
 「That's why I want this to end」
訳「離れることができない(無主語)」「どうか赦さないでほしい」「これが私がこれを終わらせたい理由だ」
非常に難しかった。花人間とその犠牲者が死んでしまったことで生まれてしまった罪悪感が離れてくれないということだろうか。だから罪悪感としても価値観としても赦さないでほしい、だから死ぬという形で終わりが欲しいのだという解釈をなんとかしてみた。

「刺した言葉 返り血になり白を染めていく」
「どんな感じだっけ 与えるために奪う気持ちは」
文字通り、愛する者を生かすために他者の命を奪う時の感情が湧いてこない。また遺族などに対して傷つけてしまうような言葉を言っても、自分は共感できずどこか他人事。

「意味なんてどこに アリもナシもそう言い方で」
→「There's no meaning in it, yes and no, it doesn't matter. It's all how you say」
訳「意味はない。はいかいいえか、それは大した問題ではない。どのように言うか(が問題だ)」
これも難しい。人間の命の意義についてだろうか。
命そのものに絶対的な意味はなく、どう活かすかで価値などいくらでも変わる、ということか。

赦したことで何が起こる?

これだけ赦さないでくれといっていたシドウだが、判決で赦されてしまった。まあシドウはミステリアスなので、言われた通りにしたらまずいのでは?という心理がファン間に働いた気はする。
赦されてしまうと彼はどうなるのか?とあまりイメージがわかなかったので、また相互Aさんと相談をしてみた。こんな回答を頂けた。

「無差別に人を殺し始めるかもしれない」

なんで?????となるとは思うので、流れを説明する。

シドウとしてはどうしても赦さないでもらいたい。それは死にたいからでもあるし、自分の価値観に沿うなら黙って食われるのが正しいからである。
もしシドウがどうしても死にたいのに周囲が「許す」といって死なせてくれない・殺してこようとしないなら、絶対に許せなくなるように仕向けるかもしれないという事だ。
この発想はかなり面白かった。個人的には、シドウには同時に後悔も生まれているのでそこまではできないのでは?という考えも同時にあるので、どちらも一応考えられうる。

そしてもうひとつ。シドウは自分の根幹を成してきた価値観を判決で否定された
勝ったら食える、負けたら食われるで生きてきたシドウにとって、ただの大量殺人者になってしまった自分は当然許されず、裁かれる被食者に成り下がっている「はず」なのだ。
しかし赦されてしまった。シドウにとっては意味がわからないのでは
これも憶測にはなるが、もしそうだとしたらシドウは困惑するし、その違和感を是正しようとするかもしれない。そのためにはやはり、赦されないように理不尽な行為に走るという選択も考えられないことは無い。

シドウにはそういった危険性もありつつ、しかし少し形が歪んでいるとはいえ新たな愛情のようなものも生まれているように見える。最近更新されたタイムラインでは、アマネのために何か動こうとしている様子も伺える。
恐ろしくもあり切なくもあり、どこか理解できるのが私にとってのシドウだ、というのを結論にしたい。

その他考察

登場した花の詳細

MV中に大量に出てきた花について、念のため分析できるだけしてみようと思う。
とはいっても私自身花に詳しくなく、ある花を見て「もんすてらっぽいな」以外何の知識も取り出せなかったクソザコである。そのため、花に詳しい相互Bさんに代わりに分析をしていただいた。Bさん、誠にありがとうございます…。

ストレリチア。ただし本物と違い、花の一番外の苞に棘が生えて少し食虫植物のように見える。
花色も実際のものとは違う(リンク参照)。ルリゴクラクチョウカも存在するが、やはりこのような水色はしていない。

中心がハスの花托、その周りの白い花弁が菊、さらに周りの赤い花弁が皇帝ダリア(八重咲き)かエキナセアの八重咲きに似ている。
ただしダリア・エキナセアの場合、萼(緑の部分)も花びらであるはず。またエキナセアの場合は花びらの先がフォークの用に裂けているはず。月下美人も近いが白色であるところや横から下を向くように咲くところ、開き切った時は中に花弁の塊が中央に残らないところが異なるとのこと。

クジャクサボテンや花サボテンを横から見たものが一番近いかもしれないとのこと(萼や花弁が鱗状に重なった花という条件で似ているもの)。
他には観賞用パイナップル、グズマニア、クルクマが花や葉の形状で近いそう。ただこの三つは色のついた部分がぴったりつきすぎていたり、雄しべの形や場所が違ったりするらしい。

鳥。これをお聞きする勇気はわかなかった。だって鳥じゃん…
と思ったらあとで鳥っぽい花が見つかった。サギソウ。鳥の足みたいなところがものすごく似ていてびっくりした。色全然違うけど。

Bさんに挙げていただいたのはドリティス・プルケリマとドリテノプシスの融合の可能性。さらに「ラン 原種 青」で調べるとそれっぽい形の花がたくさん出来ると聞いたので調べたら本当にいっぱい出てきた。すごい…。
私はムウについて調べているときに出てきたロベリアくらいしか思い浮かばなかったのに…。(中央のあの、おしべなのかめしべなのかみたいな形が違うから多分違う)(知識の圧倒的敗北)
ランはめちゃくちゃ種類が多くきりがないらしい。

蝶。とてもきれいな蝶。これもとても聞けなかった。
強いて言うならブルーエルフィンとか似てるかなと思ったが、別にそんなでもなかった。

【7/8 追記】
色味や詳細な形は違いますが、花弁の構造が胡蝶蘭だと思います。

たぶん蜂だなあと思ったが念のためBさんにもお伺いした。やはり分からないとのこと。たぶん蜂。
似ている花としてはブラッシアやシンビジウムを挙げて下さった。蜂っぽくブラッシアを描いたのだろうか?

フランネルフラワーやアストランティアが似ているとのこと。やばいアストランティア激似…。
ただ実物は茎に棘はないとのこと。また食虫植物みがある。葉や雄しべっぽいところはディルやフェンネル、長い雄しべが付いた花の形だけならギンバイカも近いとのこと。

アンスリウム+モンステラ+コリウスの融合体。色味がコリウス、他がアンスリウムとモンステラ。

個人的にキングプロテアを思い出した。
またBさんはタチアザミやノリクラアザミが花が似ている上に葉も楕円から披針形で鋸刃縁になると挙げてくださった。ただこれらは萼の部分が固くしまっていて、花もくびれたポンポンのような形状であることが多いらしい。
トゲが多いものとしてはトゲアザミやアメリカオニアザミ、花だけ似ている種にはプロテアのほかオオアザミやアーティチョークを挙げていただいた。

花言葉については全て調べたが脈絡がなく、また花そのものも色を変えたりいくつかの花のデザインを掛け合わせたり動物・食虫植物の要素を加えたりしたオリジナルのものが多かったため、そういった花の花言葉を考えてもキリがないという理由から、花言葉についてはほぼ無関係と推定しておく。
ただし⑨と⑩はサビ終わりに意味深に登場した花で、⑨のモンステラは「壮大な計画」「献身」、⑩のプロテアは「王者の風格」といった花言葉を持ち、少しシドウの犯した罪や当時の状況に似ているかもしれない。関与の断定まではしない。

既存の花に動物や食虫植物のニュアンスを取り入れ、花にも他者を喰らおうとするニュアンスが含まれているように感じた、というのがここまで考察しての感想。シドウには他人もこう見えているのだろうか。

青い花、よく見るとストレリチアっぽいな

そういえばシドウも植物モチーフのアウターを着ていた。シドウもまた彼らと競争し合う植物だということを示したかったのかもしれない。

とにかく相互Bさんがすごすぎるということはお伝えしたい。

「スローダウン」とは

英語版タイトルの綴りはまさかの「throw down」。「slow down」じゃなかった…!!

戦いを挑む、反抗するといったかなり攻撃的な意味だった。
しかし今までを踏まえれば全くおかしくない。シドウは自分以外の価値観が優先される世界に反抗したのだから、むしろこれが相応しい。

花言葉

シドウの誕生日:10月24日
誕生花:アゲラタム
アゲラタムの花言葉:「安楽」

終わりが欲しいというシドウらしい花言葉。
個人的には同じ誕生花である栗の「私に対して公平であれ」もなかなかシドウみがあって好きだったが…

とおもったらあれ?モンブラン!? 栗!?!?

断言はできませんが、もし意図的だったらちょっと感動しますね…

苗字・名前

シドウの本名は桐崎獅童。
一応やるだけやるが、この項についてはもうそろそろギブアップしたい…。

桐をあしらった桐紋は、天下を取った武人…たとえば足利尊氏や豊臣秀吉、皇室などが使ってきた紋。豊臣秀吉もまた人たらし・狡猾で有名である。

そして獅子といえば百獣の王。現実世界でサバンナやってるシドウにはかなりふさわしい苗字と名前だとは思う。
意図しているとはまだ言えないが…。神話を挙げられず申し訳ない…。もう出てこないんや……

疑問点

・移植の実現性

シドウの作った花人間はほんの一瞬とはいえ立ち上がっている。
今までも一応触れてきたが、一度でも立たせることのできるような技術が現実に存在するのだろうか。いやミルグラムはファンタジーなのだが、だとしても囚人を取り巻く出来事は限りなく現実に即したものだった。そのなかでもシドウのしたことは飛びぬけて実現性が低そうに見える。これはよいものなのか…と少し不安が残る。

・ザクロとワイン
仮考察はしたが、あのザクロとワインが決定的にこれを示すと言い切れるほどの根拠はまだ見つかっていない。
もしかしたらペルセポネの伝説になぞらえ、ザクロを食べたことで愛する者に会えなくなってしまったという婉曲表現も用いているかもしれない。どちらにせよ突拍子もなく登場したザクロとワインは本物ではなく婉曲表現だと思っているが……

・ガラス
こちらも断定までは不可能。大きなガラスについてはなんとなく見当がついたが、シドウのベッドの右側にあった小さいガラスの説明ができていない。愛する者が亡くなった際の血痕だったりするだろうか。

まとめ


「はじめに」でも語りましたが、シドウは今までの囚人とは違いかなり成長した大人です。家族環境だけが性格を形成するとは限りません。
代わりに原点のちょっとした思考の傾向や、医者として生きてきて得た軸や思想などがシドウを形成していると思っており、それを詰められていたなら良かったと思います。

思ったより難しかったですが、思ったより簡単でした。
シドウはMVの情報がかなり少なく事件概要の事実考察に手間取りますが、かわりに思想は歌の中でほぼ喋ってくれているのでわかりやすいです。記事前半にはかなり時間を食いましたが後半はスムーズに行けたと思います。

シドウはとんでもない数の人間を殺害した人間です。そうそう共感できるものではありません。
ですが、シドウの「それぞれの人間にそれぞれの価値観がある」「自分が黙っていないと平和にならないなんておかしい」という考えなら、共感したことがある人はいると思います。
そうなると他の囚人は「こうすれば幸せになったんじゃないか」と想像ができるのに対し、シドウはちょっと難しい…。なぜならシドウが妥協しないといけないからです。人が死ぬのは当然嫌だけど、シドウが割を食って終わり、それもちょっとなあ。
でもシドウが我慢までしなくとも、凝り固まった一つの思想ではなくいろんな考え方を許容できるようになれば、その理不尽さを解消してくれるような環境があれば、ひょっとしたら何か変わるのかな…と漠然と考えてはいます。もっと考えてはみたいです。

えっ…

約27000字??????(絶句)

過去最高です。なんかやけに書いたと思った。こんなん誰も読まんやろ
嘘です。ここまでずっと読んでくださった方々、誠にありがとうございました!!

ここまでお付き合い誠にありがとうございました!
次はマヒルの楽曲・愛なんですよです。とうとう後半戦だー!!!

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【MILGRAMとつぜん考察】


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