アニメとアニソンのふか~い関係 /おたくGさんの覚書:アニメ編その6
段1 アニソンという言葉
アニメのオープニングやエンディング、または挿入された歌及び曲を総じてアニメソング、略称でアニソンという。ただ、このアニソンという言葉、使われだしたのは意外と新しく、2000年頃からと言われている。以前アニメという言葉が社会に浸透したのが、『宇宙戦艦ヤマト』の再放送から劇場版公開、アニメージュが創刊された1978年頃と書いたが、その時から20年以上も経っているのだ。
段2 “ソノシート”って何だ?
「空を超えて~ラララ星のかなた~ゆくぞアトム」の歌を聴いて、わからない方は少ないだろう。アニソン(※言葉のない時代も便宜上使用)は遡れば、テレビアニメ初となる『鉄腕アトム』から、オープニングとエンディングというフォーマットが成立し、作品をイメージして作られるスタイルが基本形となった。黎明期(1968年頃まで)のアニソンの作詞にはタイトルや主人公の名前がほとんど入っていて、曲調も非常に覚えやすいものが多い。
では当時アニソンをテレビ以外で聴くにはどうしたかと言えば、それはレコードなのだが、創造する黒盤のレコードと違い、“ソノシート”と呼ばれる色付きのヒニャヒニャしたビニール製のレコードだった。購入する場合もあるが、よく雑誌などの付録にも入っていた。プレーヤーもおもちゃみたいな見た目で、手軽に購入できたのだろう、何故か家には2台あったことを覚えている。どうもソノシートが黒番レコードと一緒に、実家の物置の奥深くに眠っていると聞いた。対面するのが楽しみだ。ただ、聴くためのソノシートプレーヤーはもちろん、通常のレコードプレーヤーも無いのだが。
段3 アニソン四天王
黎明期が過ぎた頃、日本コロンビアが主要アニメ制作会社と関係を構築したことにより、アニメの主題歌等を活動基盤にするアニメソング歌手が登場してくる。この時代もっとも活躍したのが、水木一郎・ささきいさお・堀江美都子・大杉久美子のアニソン四天王だ。
と言っても、アニソンという言葉が誕生していないので、アニソン四天王と呼ばれるのはもっと先になるのだが。確かに、この頃ヒットしたアニメのほとんどは、この4人が歌っているのではないかと思うほど多い。個人的にだが、この4人が歌うアニソンの中で好きな曲を3曲上げてみた。
◆水木一郎
『バビル二世』
♪砂の嵐に隠された バビルの塔にすんでいる 超能力少年バビル二世
『宇宙海賊キャプテンハーロック』
♪宇宙の海は俺の海 俺の果てしないあこがれさ 地球の歌は俺の歌~
『原始少年リュウ』
♪リュウが走る はてしなき原野を リュウが叫ぶ 太陽に向かって~
◆ささきいさお
『銀河鉄道999』のエンディング曲「青い地球」
♪目を閉じて思い出す 母さんの面影 遠く離れた青い地球よ~
『ゲッターロボ』
♪若い命が真っ赤に燃えて ゲッタースパーク空高く 見たか合体~
『宇宙戦艦ヤマト』※これは外せない。
♪さらば地球よ 旅立つ船は 宇宙戦艦ヤマト 銀河を離れ~
◆堀江美都子
『紅三四郎』※デビュー曲とのこと
♪赤い太陽それより赤い 胸に正義の 血潮がおどる 行くぞけん坊~
『ハクション大魔王』のエンディング曲「あくび姫の歌」
♪かわい顔して色白で 知恵がまわって明るくて 笑い上戸は~
『超電磁マシーン ボルテスⅤ』
♪たとえ嵐が吹こうとも たとえ大波あれるとも 漕ぎだそう闘いの~
◆大杉久美子
『アタックNo.1』
♪苦しくたって 悲しくったって コートの中では平気なの~
『エースをねらえ!』
♪コートでは誰でもひとり ひとりきり 私の愛も 私の苦しみも~
『母を訪ねて三千里』
♪はるか草原を ひとつかみの雲が あてもなくさまよい とんでゆく
主題歌となるオープニングの曲が取り上げられることが多いが、エンディングにも名曲が数多ある。四天王が歌った以外にも『キューティーハニー』『あしたのジョー2』『タイガーマスク』『元祖天才バカボン』などのエンディングは一聴の価値はあるだろう。
段4 垣根を超えて
アニソンは多くの人の耳に届きながら、子供向けテレビマンガの主題歌というレッテルで表舞台に出ることは無かった。だが、1977年ささきいさおが歌う『宇宙戦艦ヤマト』と堀江美都子が歌う『キャンディキャンディ』がミリオンセラーとなったことから、多くの大手レーベルがアニソンに注力するようになる。この頃から歌手も顔を出すようになり、堀江美都子がテレビに出た時などは、アイドル並みにかわいかったので驚いたものだ。ただ、これをきっかけに四天王に頼り切っていた時代は終わってしまう。アニメと言う言葉の誕生と共に、アニメブームが到来し、アニソンの制作も増え、多くの大手レーベルが本格的に参入してきたことで、アニソンは商業ベースでも、曲調でも、ポピュラー音楽(歌謡曲)との垣根が薄れていったのだ。この頃から歌謡曲で活躍する人気歌手がアニソンを歌うことも多くなってくる。
そして、1983年アニソンで初のオリコン週刊1位、月間1位、年間6位という大ヒット曲、杏里が歌う『キャッツ・アイ』が誕生。ついにポピュラー音楽(歌謡曲)との垣根は無くなったのである。
段5 新たな名曲
大ヒット曲を生み出した1983年だったが、アニメの大きなブームは陰り始め、翌年には終わりを告げる。『機動戦士ガンダム』の後にアニメファンを引き付ける作品が出てこなかったこともあるが、私が思うにファミコンの登場がアニメ離れに拍車をかけたのではないかと思う。とは言え、翌年には今でもアニメやアニソンに大きな影響を与える、シリーズ化のきっかけとなる『機動戦士Zガンダム』や、『ドラゴンボール』の放送が始まるのだから、やはりアニメの制作スタッフのこだわりは、大きなブームが去っても緩むことはなかったのだろう。
音楽業界はこの時期第一の転換期を迎える。レコードからCDへの世代交代である。
アニソンはCDを売るためのプロモーションとして、ポピュラー音楽(歌謡曲)と同化し、J-POP志向の楽曲へ変化を進める一方、昭和の流れからくるアニメの主題歌らしいアニソンへと突き進む歌手やレーベルもあった。やがて後者から1995年に普及の名曲『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌「残酷な天使のテーゼ」が生まれる。そして2000年頃から声優が大舞台に立ち、声優自身がアニメの主題歌を歌う流れが生まれ、声優がアーティストとして頭角を表わせ始めるのである。また声優と同様にアニソンを歌う歌手も表舞台での活躍が活発になり、この頃から多様化するアニメの楽曲を総称して、アニソンと言うようになったのである。
段6 日本のコンテンツとして
アニソンという言葉が生まれた時期に合わせ、音楽業界には第二の転換期がくる。音楽配信サイトや動画サイトの登場である。これをきっかけにアニメ全体のコンテンツパワーの一部として、アニソンも世界に広がり、日本の音楽における主要ジャンルの一つとして注目を集めるようになった。海外のヤングジェネレーションがアニソンを口ずさむのが多いのはその表れであろう。おっと忘れてはいけない。アニソンという言葉が生まれた頃から、アニソン歌手のレジェンドであるアニソン四天王への注目度は再びあがり、配信や動画で大きな脚光を浴びるようになった。惜しくもつい先日、四天王の一人である水木一郎が亡くなったが、他の3人は今でもアニソンを元気に歌っている。
最後になるが、水木一郎がアニソンに対する解釈を次のように語っていた。
「アニソンは、色々なジャンルの音楽的要素は含まれているが、何かの真似かとわれればそうではない、アニソン的な音というものが確実にありオリジナルなものである」
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