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【感想メモ】『パラサイト 半地下の家族』

昨日、『パラサイト 半地下の家族』を鑑賞したので感想メモを書く。ネタバレ全開だし、そもそも本編を鑑賞していない人のことを配慮していない感想メモなので、そこは注意。

**【以下、簡単なあらすじ】 **

キム一家は家族全員が失業中で、その日暮らしの貧しい生活を送っていた。そんなある日、長男ギウがIT企業のCEOであるパク氏の豪邸へ家庭教師の面接を受けに行くことに。そして妹ギジョンも、兄に続いて豪邸に足を踏み入れる。正反対の2つの家族の出会いは、想像を超える悲喜劇へと猛スピードで加速していく……。

**【以下、ネタバレを含む感想メモ】 **

この映画は3つの階層がそれぞれ描かれている。すなわち

A: パク家。「地上」の住人。

B: キム家。「半地下」の住人。

C: グンセ。「地下」の住人。

だ。

映画の前半は、「貧乏だけど知恵のある『半地下』の家族が、裕福だけど愚かな『地上』の家族を手玉に取る」様子がコメディタッチで描かれている。まず、序盤の演出としてうまいのが「半地下」という設定で、彼らはけっして陽のあたらない世界にいるわけではない、ということだ。一日に数時間しか日光の差し込まない「半地下」に住みながらも、そこは必ずしも社会と断絶された世界ではない(実際、息子のギウは友人のつてでパク家の家庭教師のバイトを引き当てることができた) 。

しかし物語はC、すなわち「地下」の住人の登場で一変する。キム家が罠にかけ、追い出したはずの家政婦ムングァン、その夫グンセが、実はパク家の地下室の中で息をひそめて暮らしていたのだ。ムングァンは借金取りからグンセをかくまうために、パク家も存在を知らなかった地下室を利用していたのだった。揉み合いの末、キム家は再度地下室にグンセとムングァンを閉じ込めることに成功するが、その代償は大きかった。なぜなら「地下」の住民は「半地下」の自分たちが将来そうなるかもしれないという可能性を孕んだ存在であり、それまで「地上」の住民を掌で踊らせ、成功に胸躍らせていた自分たちへ「地上」の世界との断絶という壁をつきつけるものであったからだ。

また、ギテク(キム家の夫)が、豪雨のため、キャンプから急遽帰宅することになったパク家の会話を聞いてしまうシーンも、「地上」と「半地下」の間にある壁を浮き彫りにしている。。ドンイク(パク家の夫)が妻に対して、運転手を務めるギテクのことを「一線を越えないところは評価しているが、彼の“におい”だけがその一線を越えてくる」と言うシーン。この“におい”は作品内のひとつのキーワードとして機能している。作品内で描かれる“におい”というのは「半地下」に住まう人間がまとう文字通りの体臭のことだが、これは「富裕層とそうでないものを隔てるもの」のメタファーであることは明らかだ。 ギテクは「地下」の住人との邂逅、そしてドンイクの会話を通じて、「地上」と「半地下」にある絶対に越えられない壁を理解することになる。

この前後に、ギテクが家族への愚痴を漏らすドンイクに対して「でも愛していらっしゃいますよね?」と返すシーンがある。これは「地上」と「半地下」にあるあまりに隔てられた距離を「家族愛」というワードで埋めようとするギテクの必死な追いすがりだ。しかし、このふるまいがドンイクによって「一線を越えた」と判断され切り捨てられたギテクは絶望する。

また、「半地下」の家に逃げ帰った後、ギテクがギウに対して「計画があるから予定外のことが起こる。計画しなければ予定外のこともない」と語るシーンがある。この「計画」というのも作品内のひとつのキーワードとして機能している。「半地下」の住人たちは、「地上」の住人たちにパラサイトすべく綿密な計画を立て、それを実行した。結果、キム家は金を手に入れることはできたものの、その後、「地下」の住人と出会うという想定外のアクシデントが発生し、物語の終盤でキム家は破滅する。どこから「半地下」の住民は誤りを犯したのかというと、これはもう計画をたてそれを実行した時点としか言いようがない。「無計画」こそが「半地下」の住民に与えられた唯一の美徳であり、それを犯した時点で結末はわかっていたのだ。絶対に越えられない階層がここでも表現されている。「地下」にとらわれたギテクを救い出すため、ギウが緻密な計画を立てることを決意するシーンで本作はエンディングを迎えるが、この緻密な計画がどうなるのかは明らかだろう。

**【越えられない階層差】 **

この映画を最初見たときの感想は「理解はできるが実感はできない」というものだった。

ぼく個人はごくごく普通の家庭、つまり劇中で「地上」の住民として描かれている程の金持ちでは全くないが、かといって「半地下」の住民のように生活にはまったく困窮していない家庭で育った(生活に困窮したことのないという意味においては、いちおうは「地上」の住民と名乗っていいのかもしれないが)。

実際こうやってメモを書きなぐった後でもその感想はあまり変わっていない。そもそもの前提となる「格差社会」が自分のことのように感じられないからだ。(同様の理由で、ぼくは『万引き家族』を楽しむことがあまりできなかった)

前段で「あまり」と注釈をつけたのは、まさにこのぼく自身の想像力の欠如、すなわち「半地下」の住民への想像力の欠如こそが、まさに「地上」と「半地下」を隔てる壁なのではないか、とふと気がついたからだ。「地上」の人間が見ようと思わなければ、けっしてそこには存在しない「半地下」の人々。しかし、確実に同じ国に住まう人々。想像力こそが「地上」と「半地下」を隔てる一線なのかもしれない。

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