良い音楽と翻訳作業

Tinderの女子に聞きたいことがある。
お前らホントにそんなにクリープパイプが好きなんか?
きみはただ、『死ぬまで一生愛されると思ってたよ』って言いたいだけなんじゃないか。

そのプロフィールで本当に大事なのはクリープパイプを好きなことじゃなく、
きみが望んだ愛され方をしなかったってことじゃないのか。

その思いをプロフィールのクリープパイプの文字に込め、
いいねが1つ増えるごとに、傷口が癒されたことにするためにこしらえたのが、
そのクリープパイプが好きだというプロフィールなんじゃないのか。

改めて聞きたい。
Tinderのプロフィールで真っ先に好きなバンドはクリープパイプだと書く女さん、
/でいくつも羅列したうえで残り2割くらいの所にさり気なくクリープパイプを忍ばせる女さん、
びっしり挙げたメモ帳のスクショのちょうど真ん中あたりにクリープパイプを配置する女さん。

きみが好きなのはクリープパイプなのか、
愛が足りずに生まれた影をチラつかせる明るいようで憂いの滲む自分なのか、どっちなんだい。


勿論、こんなことを思うのは僕に音楽の才能が全くないからである。
曲が作れない楽器を弾けないなんて次元じゃなくて、音楽が聴けないのだ。
僕には良い音楽を聴く受容体がない。良い音楽というやつを解せない。全く分からない。

クリープパイプに次いでTinder女子プロフィール登場率を誇るバンドにナンバーガールがある。
こちらもやはり僕にはよく分からない。よく名前を見かけるからきっと良い音楽なんだろう。

クリープもナンバガも、中学くらいからちょくちょく周囲に絶賛する人間が現われていた。
彼らに勧められて聴き、あるいはネットの口コミを見かけて聴いた。何度かそういう機会があった。
けれどもその都度思う。何度聞いてもよく分からない。
そこでようやく分かったのが、自分には音楽を聴く才能がない、ということだった。


音楽を聴く才能のない人たちは世の中にたくさんいる。
絶大なヒットソングの多くは、彼らにも分かりやすく作られている。
Aメロ・Bメロ・サビという展開は、僕らのために考案されたお決まりのフォーマットなのだ。
メロディの流れを型にはめ、流れと現在地とを認識しやすくし、どこで盛り上がればいいのかを分かりやすく教えてくれる。聴く才能がない凡庸な人々のための洗練された構造だ。

近頃はこの構造が分かりにくい楽曲も出てきたけれど、それでもその楽曲を良いと思えるのは、おそらくそれらの楽曲がニコニコ動画の流れを汲んでいるからだろう。
東方アレンジや初音ミクなどのニコ動発の音楽は、曲は音やメロディにゲーム音楽的な要素が目立つ。個人的には、2000年代のプレステ全盛期の中堅RPGの楽曲に近いように感じる。
その影響を受けた楽曲は、ゲーム音楽を口ずさんで育った人間の受容体にも強く響くというわけだ。

僕は「桜舞う」だの「きみを守る」だの「きみと出会えた」だのといったお決まりのフレーズをバカにしてきたけれど、あれはあれできっと歌詞を受け取る才能のない人に向けて書かれているんだろう。
音も歌詞も、巧みな翻訳を経たうえでないと、受け付けない人々が結構な数いるのだ。


一方で「良い音楽」というやつがある。
大学のユーロロックサークルにいるナルシスティックな音楽好きが愛好していそうな音楽のことだ。それは生成前の原液みたいなもので、その良さを理解できるのは選ばれた者達だけ。彼らの音楽談義は彼らだけに許された世界だ。ゆえに彼らの神はMステには出ない。

彼らの絶賛する音楽を、どうにも掴みどころがなく感じてしまうのは、ハード面から属する世界が違っているからなのだろう。良さを読み解ける彼らとは、仕様からして違うのだ。

Tinderで好みの女の子のプロフィールが、分かりやすく良い音楽の民だった時なんか、写真の時点でどうせマッチなどしないのに、自分だけが彼岸に立っているかのように寂しくなってくる。
実際は、良い音楽を解せない人間も相当数いるというのに。
そして音楽に限らず世の多くのことは、実は翻訳作業なのではないかと、最近は思うのだ。

コミュニケーションと普通の人間について知りたい。それはそうと温帯低気圧は海上に逸れました。よかったですね。