神田川――いまさライオン

今日は気が付いている人はもう何十年も前に通過した、とても今更なことを書こうと思います。

秋葉原で万世橋のほうを見るたびに思うのですが、歌の神田川ってありますよね。あれおかしくないですか。

かなり古い曲ですがテレビの懐メロ特集には常連の名曲で、若い人でも聞いたことがあると思います。

ちょっと頭の中で、あの寂しげな曲を流してみてください。今年は例年になく暑くなるのが寂しいので、視界から色が失せたような寒い季節を歌う曲は脳が嫌がるかもしれませんが、どうか流してみてください。

今ならyoutubeとかで聴けるのかもしれませんし、せめて歌詞は見てください。

さて、おかしくないですかね、この曲。サビで優しさが怖かったと歌っているのに、そこで歌われているエピソードから全く優しさを感じないとは思いませんか。

僕はずっとこれが疑問だったのですが、つい先日ふとわかってしまったんです。

「この彼氏がアスペだから怖いんだ!!」ということに。

空気が読める皆さんはもうとっくにわかっていたのかもしれません。でも他人の気持ちが容易にはわからない僕がここに辿り着くには二十数年の歳月を要しました。そしてもう、そこに気が付いた時には確かに衝撃が走ったのです。そりゃそうですよ、今まで「こいつ別に全然優しくないじゃん! なんで優しいとかいってるの? イミワカンナイ!」と思っていたんですもの。

一緒に出ようと約束したのに寒い中待たせておいて、冷えた身体を「冷たいね」と慈しみ、

ヘタクソな似顔絵をわざわざ描いて気分を害しておいて、「悲しいかい」といたわる。

そのズレた優しさが怖かったと、そういう話だったと。いやー、ようやくわかりました。

そういう趣旨の歌詞だったんですね。なるほど!

しかしここで次なる疑問が浮かびます。

変わった同棲相手との思いでを歌った歌なら、なぜタイトルが神田川なのか。

神田川は2番で唐突に歌詞に登場して、そこまで淡々と一滴ずつ絞り出すように歌っていたところを一気に高ぶるようにして歌い上げるんですね。

この歌詞は作詞をした放送作家の実話が元になっていて、高田馬場辺りの神田川下流域に住んでいた頃の記憶から書き起こしたからだと言われていますけど、この内容ならもっとこの酷い男にフィーチャーしたタイトルになるのが自然だと思うのです。「若い頃のほろ苦い思い出」だそうですが、だとすれば余計に。

しかし実際のタイトルは『神田川』になりました。そして多くの人達がその事実を受け入れ、今もなお伝説のフォークソングとして日本の音楽史上に名を残している。そこにはなにか秘密があると思ったんですね。タイトルが2番に1度だけ登場する神田川である秘密が。

そこでふと、再び気が付いてしまったのです。

この歌の主人公である「わたし」は、今歌われているその時その瞬間、神田川にいるのだと。

神田川でなくても、川幅や雰囲気のよく似た別の川かもしれないけれども、とにかくこの歌の女性は川を眺めている。

そしてその川の風景がキーとなり、昔の記憶がぽろぽろと、歌のメロディのように南こうせつの口調のように思い出されているのです。一緒に行った風呂屋の佇まいも、その時の寒さも、下宿宿の薄暗いボロ部屋も、クレパスで描かれた似ていない似顔絵の線の色や質感も、あの頃の生活の諸々が鮮明に蘇ってきている。そういう歌なんですね。

だから変人の彼氏のことを歌いつつも、タイトルが神田川なんだ。ようやくわかりましたよ。

もしかすると、歌の「わたし」は川を見るたびに当時のことを思い出すのかもしれない。

それが神田川でなくても、山道を横切るすんだ小川や田んぼの用水路であっても、川といえば神田川で、彼氏との思い出を呼び起こすのかもしれない。

そうやって「わたし」は若かったあの頃を何度も何度も思い返していて、今でもはっきりと覚えていて、その日も川を見て窓から見ていた神田川とそこでの日々を思い出すことになったから、歌い出しは「あなたはもう忘れたかしら」になるし、この曲にタイトルをつけるなら神田川以外あり得ないんですね。

実体験が元になっているとはいえ、よくできているなあと思わず膝を打ったという話でした。

コミュニケーションと普通の人間について知りたい。それはそうと温帯低気圧は海上に逸れました。よかったですね。