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ガンダム完全講義22:第11話「イセリナ、恋のあと」解説Part1

 岡田斗司夫です。

 今日は、ニコ生「岡田斗司夫マンガ・アニメ夜話」2019/09/03配信分のテキスト全文をお届けします。

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ザビ家側の人間ドラマに注目

 ほい、こんばんは。岡田斗司夫です。

 今夜は久しぶり、もう1週分飛んじゃっていたガンダム講座です。

 今日はね、ガンダム講座の録画分が長いんですよ。40分くらいあるから、ここではあんまり喋らないようにしようと思います。

 これから見せるのは、『機動戦士ガンダム』第11話「イセリナ、恋のあと」の講座なんですけど。ガンダム講座の第22回ということになります。

 「イセリナ、恋のあと」はね、もう、あまりにも語りたいから3回で語ってるんですね。前編、中編、後編という構造になってます。よろしくお願いします。

 今回の講義は、久しぶりに、イベント会場で講演形式でやってるんですね。DMMの本社にあった、大き目の会議室が借りれたので「結構デカいスクリーンに、画像をポンと映して喋る」ということをやってます。

 今回の前編では、冒頭のナレーションを徹底的に解説しているんですけど。やっぱり、『ガンダム』の11話は、この冒頭のナレーションと映像が上手すぎるんですよね。

 この中で、初めてザビ家側が描かれるんです。一応、「ガルマ散る」の回で「その時、デギン・ザビ法王は杖を落としたという」ということで、ちょっとだけ出てきたんですけど。初めて、ジオン側の家族像というのが描かれるんです。

 もちろん、ドズルにしても、シャアに命令するシーンとしてこれまでにも出てきたんですけど。今回はそういう役割ではなくて、末息子を失ってしまった年老いた父親と家族の話という、かなりドラマ的なことをやってるんですね。

 「悲しみに沈む老家長」ですか。まあ、父親がすごく年老いてしまっていて、そんな中、自分の弟が死んだことをチャンスにしようと意気込む長男ギレン。こういう家族間のギャップを描いたものです。

 今日は本当に本編が長いので、説明はこれくらいにしたいと思います。

 それでは、ガンダム講座、『機動戦士ガンダム』第11話「イセリナ、恋のあと」をお楽しみください。それではどうぞ。

ガルマ、マチルダ、ランバ・ラルの三人に共通する要素とは

(本編再生開始)

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【画像】タイトル ©創通・サンライズ

 ガンダム講座も、ようやっと11話になりまして、「イセリナ、恋のあと」ですね。

 とにかく、タイトルのセンスが抜群です。

 1979年のアニメで、こんなタイトル思いつかないですよ。普通は「狙われたアムロ!」とか「悲しきリベンジャー」とか、たぶん、そういうタイトルにしているはずなんですよ。イセリナの復讐の部分をメインにするか、アムロが狙われているということをメインにしてタイトルが付けられるはずなんです。

 『機動戦士ガンダム』の放映時期というのは、『マジンガーZ』とかそういう時代と、そんなに変わらないんですよ。例えば、当時「画期的だ」と言われたタイトルが、どんなのだったかと言うと……まあ、本当に画期的なんですけど。『宇宙戦艦ヤマト』でドメル艦隊とついに雌雄を決するという話のサブタイトルが「決戦!!七色星団の攻防戦!!」とか。あとは「地球よ、ヤマトは帰ってきた!!」とか。なんか、そういうタイトルなんですよ。

 それが当たり前の時代に「イセリナ、恋のあと」というサブタイトルを付けることで、物語の主役としての目線をイセリナの方に持って行っちゃっているんですね。

 それは別に、イセリナだけじゃなく、今回、シーン自体の秒数は少ないんですけど、ジオン側の人間関係の描写もすごく深いところまで行ってます。

 「恋のあと」というのは、もちろん「恋愛の後始末」ということでもあるんでしょうけども。

 注目すべきところは、前回の「ガルマ散る」の時に初めて出てきたイセリナ・エッシェンバッハという地球の良家のお嬢さま。

 ニューヨークみたいな街の市長の娘、それも「エッシェンバッハ家」と言ってるんだから、おそらく、ドイツ系の移民の末裔なんでしょう。ということは、地球でも、そこそこお金持ちの家で、何不自由なく暮らしてたような、とりあえず父親に逆らっても、顔を一発殴られただけで、地面に伏せて泣いてたような虫も殺せない女の子が、ジオンの兵隊を道連れにすることもためらわない殺人者になるという話です。

 それが「恋のあと」の「あと」に含まれているニュアンスなんです。

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 まず、冒頭のナレーションです。

 「イセリナ、恋のあと」というサブタイトルのテロップが出て……まあ、その前に、「宇宙世紀0079、地球から最も遠い~」という、いつものナレーションが入るんですけど。それを軽く言った後、サブタイトルが出て、この後にさらにナレーションが入ります。

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> ナレーション:月の向こう、地球から最も離れた宇宙空間に数十の宇宙都市が浮かぶ。これこそ、地球をみずからの独裁によって治めようとするザビ家の支配する宇宙都市国家、ジオンである。
>  この、宇宙に浮かぶ円筒形の建造物の中に人々の生活空間がある。すなわち、円筒形の直径は6キロメートルあまり、長さにいたっては30キロメートル以上ある。その中には人工の自然が作られて、人々は地球とまったく同じ生活を営んでいた。
>  今、ジオン軍宇宙攻撃軍司令ドズル・ザビ中将が、前線基地から帰国する。

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 全て現在形で書かれています。「浮かぶ」「ジオンである」「生活空間がある」、最後は「ドズル・ザビ中将が前線基地から帰国する」というように。

 「帰国した」とか「そういうのがあった」という過去形ではなくて、全て現在形です。

 アニメのナレーションで、こんなに現在形を使うのは、大変珍しいんですね。今度、ナレーションを聞く機会あった場合、意識して聞いてみて欲しいんですけど、ほとんど過去形で説明しています。

 過去形の方が、耳に入って来た時に、すんなりと「ああ、そういう話なのね」となるんです。現在形で話されると、どこでこの話が途切れるのかわからないから、すごく落ち着かないんですよ。

 「月のむこう、地球から最も離れた宇宙空間に数十の宇宙都市が浮かぶ」というふうに、「宇宙都市」という言い方をしてるんですね。「コロニー」でも「宇宙ステーション」という言い方でもなく、「宇宙都市が浮かぶ」と。

 「人々の生活空間がある」の後に、「すなわち、円筒形の直径は6キロメートルあまり」と続いています。この「すなわち」というのは、実は日本語の文法上、前の部分を説明する接続語なんですけど、ここでの「すなわち」は、そういうふうに繋がっていません。

 どちらかというと、講談に近いんですね。パンパンと机を叩いて「すなわち! それは~」っていう時は、別に前後関係に関わらず、弁士と言われる人達が言葉の勢いだけで繋げてるんですけど。それにわりと近いような言葉の使い方してます。

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 そして、初のジオン本国の描写です。

 以前の講座で「あの親子は生まれ故郷に帰れたんだろうか」とアムロが言っている時に、ホワイトベースの窓にカメラが多段階で寄って行くと、僕は言ったんですけども。

 今回もそれと同じです。富野流の多段クローズアップとモンタージュですね。とりあえず、クローズアップを多段式に使うことと、モンタージュという、いくつかの絵を並べて見せることによって意味を作っているんですね。

 「イセリナ、恋のあと」というタイトルコールの後、「月の向こう、地球から最も離れた宇宙空間に数十の宇宙国家が浮かぶ」という時は、まず、月面だけ見せます。

(パネルを見せる)

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【画像】月面 ©創通・サンライズ

 これ、実は、最初、カメラはもっと上の方にあって、月面のクレーターだけが映るところから始まって、それが段々と下の方に降りてくるんですね。

 この辺も、富野さんの映像感覚の上手いところで、普通「月の向こう」と言う時は、オーバーで描くものなんですよ。オーバー・ムーン。オーバー・ザ・レインボーみたいに「超えていく」というイメージがあるから、ついつい月の上側を描いちゃうんです。まあ、横側でもいいんですけど。

 ところが、ここでは、あえて月の下側を描くことによって、画面の不安定さを狙っている。

 「地球を自らの独裁によって治めようとする~」というところまで、かなり長いセリフの間、月の表面をカメラが舐めるだけ。そして、いよいよ見えた月の向こう側には、四角い板と、何かポコポコと浮かんでいるものが見える。

 この四角い板は何かというと、ジオンの太陽光受信パネルですね。

 発電するための太陽電池のパネルと、あとは宇宙都市国家がすごく小さく浮かんでいるのが見えるんですけど。「そこに数十の宇宙都市が浮かぶ」ということで、「実はアムロ達が相手にしているのは、こういう国なんだ」ということがわかります。

 カメラが、月から下へゆっくり下がって行くと宇宙都市国家が見え、さらに、その宇宙都市に向かってカメラが寄って行くと、カットが変わり、ようやっと小さい宇宙船が見えて来ます。

(パネルを見せる)

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【画像】宇宙船 ©創通・サンライズ

 こんな宇宙船が浮かんでるんですけど。この宇宙船の位置はそのままで、背景の宇宙都市群が、今度は上から下へと流れていく。

 さっきの下から上へと月の表面を舐めたカメラ方向とは逆に、背景のはるか向こうに見える宇宙都市国家達が、ざーっと上から下へ流れて行くんですね。

 「月の向こう、地球から最も離れた宇宙空間に数十の宇宙都市国家が浮かぶ。これこそ地球を自らの独裁によって治めようとするザビ家の支配する宇宙都市国家ジオンである」というところまで。

 ここで、1隻の宇宙船の背景に、すごく大きい宇宙都市が映り込んできます。何か大きなものが段々と画面に入ってくるんですけど、これが背景にある宇宙都市と同じ形のものだということが、ここでようやっと見ている人にわかり、「この宇宙に浮かぶ円筒形の建造物の中に人々の生活空間がある」という、さっきのナレーションに繋がるんですね。「すなわち、円筒形の直径は6キロメートルあまり」というところで、この「6キロメートルあまり」の宇宙都市がフレームの中に入ってきます。

 そして、「人々は地球上と全く同じ生活を営んでいた。」という説明ナレーションで、またカメラ切り替わって、今度は、それまで映っていた宇宙船を正面側から撮ったカットに変わります。

 つまり、さっきのカットでは奥にあった巨大な直径6キロの宇宙コロニーと、この宇宙船の間にカメラ位置が移り、正面からの構図になるんです。

 ほぼ正面からの構図で、ドズル・ザビ司令が乗っている、ちょっと改造した形の宇宙戦艦が見えます。「今、ジオン軍宇宙攻撃軍司令官ドズル・ザビ中将が前線基地から帰国する」という、ナレーションの最後の部分がこれです。

 ここでの注目ポイントはどこかというと、ここに影の境があるのわかりますか? これ、影が段々とこちら側に寄ってきて、最後はこの宇宙船全体を覆うんですね。

 これは何かというと、「巨大な宇宙ステーションのようなスペースコロニーの影の中に、この宇宙船が入って行く」という描写です。

 これ、『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』とかでの、スター・デストロイヤーや、デス・スターの見せ方と同じなんですね。『スター・ウォーズ』系の映画というのは、巨大なものを見せる時に「まず巨大な宇宙船を見せて、それが段々とさらに巨大な何かの影に入っていく」という見せ方をするんです。例えば、ダース・ベイダー専用のエグゼキューターという巨大宇宙船の影に入るとか、デス・スターの影に入ることで、巨大さを見せているんですけど。

 これも同じで、もう『ローグワン/スター・ウォーズ・ストーリー』がこれを見せた35年以上前に、富野演出では、宇宙空間で巨大なものを見せる際に「巨大な宇宙船がさらに巨大なものの影に入って行く」という描写をしてみせているんですね。

 「ドズル・ザビ中将が前線基地から帰国する」と言ったあとは、ナレーションは何もなくなって、宇宙船の音だけになり、次に宇宙船がゆっくりとコロニーの中のドッキングベイと言われるところに入って行きます。

(パネルを見せる)

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【画像】ドッキングベイ ©創通・サンライズ

 このカット、なんで切り出したのかというと、わりと思い切った作画をしているんです。

 影の部分を真っ黒に潰している。おかげで、この宇宙船の形がわかりにくくなっちゃてるんですけど、本来、宇宙空間では宇宙船って、こんなふうに見えるものなんですね。つまり、光が当たっている部分は模様なりディテールが見えるんですけど、影の部分は真っ黒で何も見えない。

 『機動戦士ガンダム』って、第1話からこれをやろうとしてたんですけど。こういうのって、子供にわかりづらいんですね。やっぱり、暗いところは、暗いなりの色で塗って描かないとわかりにくい。「影の部分は真っ黒に潰す」というのが、宇宙空間では当たり前なんですけど、富野さんでも、それを思い切って出来なかったんです。

 それを、ようやっとこの第11話でやったんですね。ずーっと地上の話をやって、カメラが宇宙空間に帰って来たからこそ、この「あえて真っ黒に潰しちゃう」という表現が出来たんですね。

 ここも、無言で絵だけが映ります。「ドズル・ザビ中将が前線基地から帰国する」というナレーションで、プツンと声が途切れているから、見てる人間の意識は「帰国すると言ってるんだから、この宇宙船にドズル・ザビが乗っているんだろう」と、注意が引かれて行きます。

 この宇宙船、一番最初は月の向こうに小さく見えているところから始まって、次にコロニー群の手前に小さく見えていて、その次に宇宙都市国家の手前でゆっくりゆっくりコロニーの影に入っていき、ドッキングベイに入って行くところを見せた上で、ようやっとアップになります。

 「富野の多段ズーム」って言ったですけど、富野さんって、こういうふうに多段式に、ゆっくりゆっくり寄って行くのが好きなんですね。

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 次のカットで、やっとチラッと見えていた、宇宙船のブリッジに立ってるおっさんに、ゆっくりとカメラが寄って行きます。

(パネルを見せる)

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【画像】ブリッジ ©創通・サンライズ

 ここでも、まだセリフがありません。ようやっと次のカットで、ドズル・ザビがドーンとアップになります。

(パネルを見せる)

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【画像】ドズル ©創通・サンライズ

 ドアップになって、憎々しげにドズルは呟きます。

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> ドズル・ザビ:ふん、半年前と同じだ。何の補強工事もしておらん。

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 「ドズル・ザビ中将が帰国した」とナレーションで言ってから、ずーっと、ためて、ためて、宇宙船が段々ドックの中に入って行って、宇宙船の一部分をアップにして行って、ブリッジにカメラが近づいていって、ようやって正面から撮ったアップになったと思ったら、いきなり文句を言うんですね。

 「半年前と同じだ。何の補強工事もしておらん。」というこのセリフ、僕、すごく良いセリフだと思うんです。このセリフ一発で、ドズルの性格とか立場がわかるんですよ。

 なぜ、僕がこれを話すのかと言うと。

 『機動戦士ガンダム』のキャラクターというのは、TVシリーズが公開されたときから、本当に多様的な捉え方があるんです。その後も、いろんな形でマンガになったり、劇場版になったり、ゲームになったり、あとは安彦さんの視点である『ORIGIN』という作品になったりと、いろんな人が自分独自のことを言うんですけど。

 そのどれもが、ほぼ同じような視点でキャラクターを捉えちゃっているんですね。

 例えば、ドズル・ザビに対するみんなの視点というのは「身内に甘くて、軍人としてはそこそこ優秀なんだけど、やっぱり、それほど大したことがない人だ」と考えられているし、ギレン総帥というザビ家の長男は「すごく頭がキレる人だ」と捉えられているんですけども。

 僕ね、この第11話を改めて見た時に、そうではない面白さというのを発見するんですよ。

 「半年前と同じだ。何の補強工事もしておらん」というセリフは何かというと、「ドズルだけが連邦に攻め込まれた時のことを考えてる」ということなんですね。

 なぜ、補強工事が必要なのかというと、連邦に攻め込まれた時にこのままでは守りきれないからなんですよ。

 じゃあ、なぜ、ドズル以外は攻め込まれることを考えてないのかというと、半年も前からジオンは戦争に勝ち続けているからですね。

 地球に対して、攻めて攻めて、連邦軍を降伏させるところまでは行ってないものの、現状のところ十分に勝ち戦が進んでいるんですよ。「地球から宇宙に上がって来るためにはロケット燃料を大量に消費するから、こんな中で地球連邦がジオンに攻め込んで来ることなんてない」と考えているんですね。

 でも、一般の人は、そういうふうに考えたり油断したりするのもいいかもわからないんですけど、軍人というのはそういう考え方をしないんですよ。とりあえず勝つことだけを考えるのは素人なんです。

 なぜ、補強工事が必要なのかというと、補強工事さえしておけば、連邦軍側も「これだけ守りが堅いのだから、今、ジオンを攻めても無駄だ」と諦めるんですね。地球連邦の軍人が諦めれば、それだけ和平も近くなるし、降伏交渉も上手くいくと考える。

 こういった政治家的な軍人の考え方をするのはドズルだけなんです。

 ドズルの「半年前と同じだ」という言葉は、補強工事をしろとずっと言っているのに、全ての国力が、新兵器の開発とか、いかに地球を攻撃するのかとか、新型モビルスーツみたいに、攻撃一方の発想に行っていることに、文句を言ってるんですね。

 僕は、このドズルという人を、かなり優秀な軍人だと思います。

 実は、ギレンとかキシリアというのは、将軍と名乗ってはいるんですけども、偽軍人なんですよ。ギレンは作戦が好きだし、キシリアは謀略と言われる裏工作が好きなだけの人間で、実はこのドズルだけが、たぶんザビ家の中で純粋に軍人的な発想をする人なんですね。

 だから、ドズルが生き残っていたならば……この人、後にソロモンの戦いで死ぬんですけど。ジオンは戦争に負けなかったかもと、僕なんかは妄想しちゃうんですよね。

 よく、戦国モノのifで「信長が本能寺で死ななかったら、どうなったのか?」みたいなことが書かれるじゃないですか。それは「信長というのはすごいやつだ」と、後世の人間なり、僕らなりが考えているから「信長がもし死ななかったらif」とか「異世界に転生したらif」という、ifがある。

 それと同じように、ドズルがあの戦闘で死なかったら、たぶん、和平交渉も全く違う形になっていただろうし、連邦軍の艦隊をジオン本国のすぐ近くにある宇宙要塞ア・バオア・クーまでおびき寄せて、自分達の正面で叩くなんて愚かなことはしなかったはずなんですね。

 ソロモンというのは、僕はガンダム世界における本能寺みたいなものだと思ってます。そう考えて、ガルマ・ザビが総帥をやって、ドズルが将軍をやった世界というのも、面白いなと思います。

 あとね、ガルマも、やっぱり評価が低すぎる。

 シャアの視点で「馬鹿だ」とか「坊っちゃんだ」と言うもんだから、みんなやっぱりそういうふうに考えちゃうんですけど。ガルマとランバ・ラルとマチルダさん、この3人だけが『ガンダム』の世界の中で、死んだ後に仲間が復讐を誓うんですね。

 この3人の周りから見た人望というのは、それだけ高いということなんですよ。

 これは「視聴者から見た人望」ではないんです。視聴者から見た人望で言えば、おそらく、ランバ・ラルだけが高くて、マチルダさんは「なんでみんな、そんなにムキになるのかわからない」というものですから。

 でも、マチルダさんって、よくよく考えてみたら、連邦軍の中で、レビル将軍から命令されているとはいえ、補給部隊だけで最前線を移動するっていう、めちゃくちゃリスキーなことを自分個人の才覚だけでやってるような人なんですよ。実は「ジオン軍にランバ・ラルがあるのならば、連邦軍にはマチルダ・アジャンあり」くらいの人材なんですよね。そこら辺が見えてない。

 これもやっぱり、ガンダムファンがテレビ放送後に勝手に作っちゃった視点だと僕は思ってるんですけども。「マチルダさんというのは、アムロの初恋の人で、それが死んだから、みんな悲しい。ランバ・ラルは男の中の男」と考えてるんですけど、そうじゃないんです。

 「この3人だけが、周りの人が復讐のために戦った」というのは「ランバ・ラル、ガルマ、マチルダという3人はそれだけ周りの人間に評価されていた」ということなんです。そういうことを富野由悠季は、ちゃんと演出で作っているんですね。

 なのに、このガルマさんの評価がすごく低い。みんなもう、安彦さんのマンガに騙されてると思います。

 ちょっとそこら辺は「ガルマとドズルの生き残った世界というのを、ちょっと同人誌で描こうかな?」と思うくらいです。

(本編中断)

休憩と構成について

 はい、お疲れさまでした。今日は無料はここまでです。

 ここまでで、もう20分以上あったんですけど、ここからもまだ20分くらいあるので、一旦、コーヒーを飲みながら休憩しますけども。

 僕も、この2年前の講演映像を見てビックリしたんですけど、エラい太ってたよね? あの座り方とあの服もよろしくないんだけど、エラい太ってたよね(笑)。

 たぶん、今と同じくらいじゃないかと。あの後、ちょっと絞って、また戻ったという感じなんですけど。

 もう、今回は、冒頭のナレーションとドズルのセリフ一言だけで10分以上喋ってますから。この「イセリナ、恋のあと」は、前・中・後編の3部作になって、1時間半超えするのも、まあ仕方がないんじゃないかと思います。

*「月の満ち欠け」(コメント)*

 そうですね、月の満ち欠けだと思いますけど。

 ではでは、今日はこれからも長いので、さっさと後半の方に行こうと思います。

 すみません、YouTubeや無料放送で見ている方はここまでです。ここから先は会員限定放送、有料放送になります。

 準備はいいですね? それでは、限定放送の方をよろしくお願いします。

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