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「幼年期の終わり」読書感想文

著 アーサー・C・クラーク
訳 福島正実
ハヤカワSF文庫

これ読めばエヴァもFGOの二部シナリオも理解できるという、SFの名作にして原点。
あらすじは昔から知ってるけど、ちゃんと読んだことがなかったのでこの度ようやく読んでみた。
まだ何度も読み直すと思うけど、初読の感想を記録しておく。

この本は感想、といっても一言でまとめるのがとても難しい作品だ。面白かった、不思議と感動した、という当たり障りのない言葉でふんわりとまとめてしまうか、事細かに分析を並べて解説するかしかないような作品だ。くれぐれも学生はこの本で読書感想文を書こうだなんて思わないように。書くなら「都市と星」の方にしておこうね。

とはいえ、言語化して少し整理をしておきたいので、各部ごとに分けて思ったことや好きな文を引用していこうと思う。ネタバレの配慮など微塵もないので気をつけてね。

【プロローグ】

あらすじ
物語はアメリカとソ連、二人の開発者の視点から始まる。当時アメリカとソ連は第二次世界大戦以降、宇宙開発競争の只中にあった。
かつては同じ国の仲間でありながらアメリカとソ連、二つの対立する国に所属することになった二人の開発者はスペースシャトル完成間近の夜、空に浮かぶ巨大な宇宙船を見る。

ここで読んでアレ?となった。先に読んでいたNHKの「100分de名著」のムックでは、火星探査ミッションのシーンからはじまると書いてあったんだけど、こっちはどう読んでも月面着陸ミッションだ。
調べてみるとこれ、どうやら後年に加筆されて月→火星に変更されていたらしい。私が読んだ訳は加筆される前の版だった。
クラークはなんで火星に変更したのだろう?三部にでてくる描写を踏まえても、月の方がいいと思うんだけど。想定より現代すぎたせいで、現実と照らしあわされるのが嫌で、出版後に時代を変えたのかしらね。

 生涯を賭けた仕事が一瞬のうちに潰え去っていくのを見ながらも、彼は悲しみは感じなかった。彼は人類を星々へ到達させるために汗を流した。そして、まさにその成功のまぎわに、星が、―冷やかな、超然とした星が―逆に彼のほうへ降りてきたのだ。これこそ、歴史が息をひそめる一瞬であり、現在が過去から断ち切られる瞬間なのだった。あたかも、氷山がその凍りついた母なる大絶壁を離れて一人孤独を誇りつつ大海へ乗り出していくように……。過去の世代が達成したことは、いまやすべて無にひとしい。ラインホールドの頭の中には、ただ一つの思いだけがくりかえしくりかえしこだましていた。
 人類はもはや孤独ではないのだ。

う、美しい~~~!
クラークの小説はこの時点で一冊読んだだけですが、この人はチャプターを締めくくる表現がとにかく雄大で詩的で美しい。最高。
ソ連側の技術者は宇宙船を見て絶望を感じ、アメリカ側の技術者は同じものを見て達成感を感じたってところがまた対照的でいいんですよ。
この「人類はもはや孤独ではないのだ」がこの話の根底になるキーワードだよ、というわけです。だからバッドエンドじゃないよ、と明示してるんですね。まあ読者はそう思わないかもしれんのだけどね。

【第一部】地球とオーバーロードたち

あらすじ
主人公は国連事務総長ストルムグレン(60)。宇宙より来訪したオーバーロード代表カレルレンと交流ができる唯一の人類である。オーバーロードの来訪により、地球上にあった国境や戦争や虐待や貧困やその他多くの問題は解決された。しかしそれを不満に思う一部の人類は、交渉役であるストルムグレンを誘拐してその正体・真意を探ろうとする。
ストルムグレンは己の好奇心に従い、カレルレンの姿を見ようとするも失敗。しかしカレルレンの友情により、ほんの一瞬だけその姿を垣間見ることに成功する。しかし彼はその姿を誰にも教えることなく亡くなる。


一部から三部まで主人公が違うんだけど、一番好きなのがこのストルムグレンのおじいちゃん。
国連事務総長としての仕事もさることながら、カレルレンとの会談は忍耐が必要だし、オーバーロード関連の反対勢力の対処もしなきゃいけないし、もう毎日忙しい!というおじいちゃんだが、決してオーバーロードの言いなりになっているわけではなく、カレルレンの秘密主義をどうにかしてこじあけたいと思っているし、それはそれとしてオーバーロードが諸問題を解決してくれたことにも感謝している。そういうバランス感覚に優れた人物。
誘拐されたときも冷静で、そしてちょっとの茶目っ気も忘れない。カレルレンが救出しにきたとき、ポーカーの負債を誘拐犯に返してご機嫌なおじいちゃん、とても可愛い。
このとき一緒にいた?カレルレンは彼の行動を理解できていな風なんだけど、終盤になってストルムグレンが仕掛けた罠に対して似たようなユーモアを返してくるんだよね。
ほんの少しだけ、ドアの向こうに去るのを遅らせる。そのほんの少しが、カレルレンがストルムグレンへ贈った答えであり、誠意だったというのが良い。しかもそれをきっちり墓まで持っていくのが良い。
異種間友情としては本当にささやかなんだけど、お互いが個人的に誠意を持って接していた証なのが、第一部の終わりの爽やかさに繋がっている。

 そしてストルムグレンは望んだ―いつの日にかふたたび自由に地球上を歩きまわれるようになったとき、カレルレンがこの北国の森林を訪れてくれることを。そして、彼の友となった最初の人間の墓の前にたたずんでくれることを。

衝撃から始まった物語がこうやって穏やかに締めくくられるところ、好き。クラークのこういうとこ好き。締めがほんと美しい。絵画的。もうこの文だけで画が浮かんじゃう。
夏休みの読書感想文には絶対向かないけど、読書感想画には向いてると思う。


第一部で印象に残ったのはこのシーン

「わたしは必ずしも世界連邦を目の仇にしているのではない―あるいはわたしの支持者の中には、それを不服に思う者もいるかもしれないが―ただ、わたしは、それは内から盛りあがるものではなくてはならない―外から押しつけられたものであってはならない、こういっているだけなのです。われわれはみずからの手で行く道をきめなければならない。人間の問題に、これ以上他の容喙(横からの口出し)があってはならんのです!」

反対勢力であるウエインライトが言った、いかにも御尤もな意見。しかしこれに対してストルムグレンはこう反論する。「人はパンのみにて生くるにあらず、だがしかし、以前はそれさえ確実に手に入らなかった。オーバーロードが来て与えてくれたものと比較して、人類がいったいどんな自由を失ったのだ?」と。貧困や戦争や差別や虐待という問題に直面してきたストルムグレンからしてみれば、どれだけ立派なことを言っても人類は解決できなかったのに、それらを解決してくれたオーバーロードを批難できるのかと考える。一部の序盤に登場するこの議論は、第二部、第三部でも出てくる。
「問題は自分で解決するべきだよ!」
「でも解決できるなら他力でもええやろがい!」
「やだー!人類は家畜じゃないんだー!」
「そこまで言ってないだろ!」
というのが、作品内外で繰り返されるわけです。天が与えた答えに縋りつつも、それに反抗もしたいというのが人間というものです。厄介だね。

第二部 黄金時代

あらすじ
スタジオ設計士のジョージは獣医ルーパートが開催したパーティへ、女友達のジーンと共に参加する。そこでラシャヴェラクというオーバーロードと出会う。ラシャヴェラクはルーパートが蒐集していた心霊・超心理学関連の本に興味があるらしかった。パーティの終わりに参加者達はヴィジャ盤を使い、不可思議な預言の数々を得る。ルーパートの義弟、ジャンはそこでオーバーロードの母星を知り、そこへ行ってみたいと思うようになる。
ジャンはオーバーロードの母星へ向かう船に忍び込むことに成功し、彼らの星へと旅立つ。彼はすぐに送り返されるだろう。しかしそれは地球時間で八十年後のことになるのだ。

ジャンとジョージとジーンという、ジではじまる名前が三人も同時でに出てきて実に紛らわしい。この章は黄金時代というだけあって、あらゆるものが便利に、快適に、自由になっていて、世界は楽園になっています。人種による差別はなくなり、宗教の対立もない、土地の奪い合いもない、そういう理想的な世界。しかしそうなると人間って不思議なもので、不安になってしまうんですよね。ぬるま湯の中で溺れているような気分になってしまう。

 しかし、こうしていまや歩一歩と巨大な遊園地への道を歩みつつあるかに見えたこの惑星にも、おびただしい娯楽や気晴らしの間隙を縫うように、ときおり、ある古い、しかしついに答えられることのない質問をわれとわが心に投げかける者が、まだいくらかはいた。その質問とは―
「われわれはこの先どこへ行くのだろうか」

満たされると何やっても暇で退屈になっちゃって、漠然とした不安に浸ってしまう。というのは「都市と星」でも書かれていて、その不安や危機感が、外へと向かおうとする勇気(あるいは蛮行)へと繋がるんだ、というのがクラークの考える主人公像なんだと思う。ここではジャンという学生が登場し、彼はついに密航を実行してしまう。しかしこの章では密航が成功したこと自体はさしたる出来事ではなくて、それよりも人類に突きつけられた事実のほうが衝撃的だ。
カレルレンは演説の中で、人類は広大な銀河の中においては砂漠の中の蟻のような存在でしかなく、オーバーロードはそんな無力で非力な人類を、銀河に数々ある力から守っているのだと語る。そして

「これはつらいことかもしれないが、しかしあなたがたはそれに直面せねばならない。惑星はいずれあなたがたのものになるだろう。だが、恒星は決して人類のものにはならないのだ」

これ、他の訳だと「宇宙は決して人類のものにはならないのだ」と訳されているらしい。でも物語冒頭ですでに火星調査にまで到達しようとしている(私の版では月面だが)のに、「宇宙は」なんてスケールを出されても納得できないだろうから、ここは「恒星は」と訳す方が人類の限界をよりはっきりと突きつけられていると思う。
愕然とする人類を背に、カレルレンだけは、この黄金時代の終わりを予感するところで第二部は終わる。

 彼らは、自分たちがいかに幸運であったかを決して知ることはないだろう。もうかれこれ七、八十年ものあいだ人類はいかなる種族もかつて知らなかった快楽を貪ってきたのだ。いうなればそれは、<黄金時代>であった。だが、金色とはまた落日の色、秋の色でもある。そしてまだカレルレンの耳だけが、冬の嵐の最初の啜り泣きを聞きつけることができるのだった。
 そしてまた、ただカレルレンだけが、この<黄金時代>が一挙に終末までつっ走ってゆく、その動かしがたい速さを知っていたのである。

 美しい文章と不穏な未来の暗示……中盤の締めくくりに相応しい文章。かっこいいなぁ!こういうの書けるようになりたいな……と思わせる1ページ。

第三部 最後の世代

あらすじ
黄金時代を終えた人類はゆるやかに衰退に向かいつつあった。それを危惧した者達は孤島に芸術者の集落「ニュー・アテネ」を作り出し、オーバーロードの干渉を避けて生活していた。二部に登場したジョージとジーンは、子ども二人を連れてここへ移住する。
数年後、ニュー・アテネは津波に襲われる。彼らの息子ジェフリーはオーバーロードによって救出されるが、両親はそれを幸運とは思っていなかった。二人は我が子がオーバーロードに監視されているのではないかと思い、オーバーロードに問いかける。
ある日、ジェフリーは不思議な夢を見る。それ以降ジェフリーと妹ジェニファは人間の知覚を超えた世界を見るようになり、やがて個としての人格を失っていく。世界中の子どもに同じ現象が起こり、ついにオーバーロードのカレルレンは真実を告げる。ジェフリーたちは人類からオーバーマインドへ変容しており、種としての人類は親世代で終焉する、と。
絶望した人類はそれぞれ自殺や穏やかな終末を生き、覚醒した子供達は一箇所に集められ、オーバーマインドになる準備をしていた。
そこへ、オーバーロードの母星から送り返されたジャンが帰ってくる。ジャンは消滅していく地球の姿を語りながら、最後の人類として死ぬ。
カレルレンは地球の消滅を見届け、地球で得た友人達を悼んだあと、太陽系を去っていった。

バッドエンドじゃん!と言いたくもなる人類終了、地球消滅のお知らせ。おもんなかったとレビューされるのも仕方ないね!
しかもここで突然オカルトがぶっこまれてくるからね!オカルトパワーこそが人類がオーバーマインドになれる要素であり、オーバーロードには持ち得ない力なのだ!とか言われてもわかんねえよと思っちゃう。覚醒した子供達はもう人間ではない何か不気味で恐ろしいモノみたいな描写されちゃってるし。
子どもという種の未来を失ってしまった絶望は淡々と描かれていて、もうあとは凪のように穏やかに絶滅していくわけだけれど、地球そのものの終焉はドラマチックに描写されている。

「ぼくのまわりの建物、地面、遠くの山々――すべてがガラスのようだ―ぼくはそれを通して見ている。地球は溶解しつつある。ぼくの体重はもうほとんどなくなってしまった。あなたのいったとおりだ――彼らは玩具をもてあそぶ時期を卒業したのです。
 おそらく、もうあと何秒もないのだ。ああ、山がなくなっていく、さながら一筋の煙のように。さよなら、カレルレン、ラシャヴェラク――ぼくはあなたがたを気の毒に思います。たとえ理解はできないにしても、ぼくはぼくの種族が到達したものを見た。ぼくらがこれまでに達成したことは、すべてあの星々の中へ昇っていったのです。あるいはこれが、かつて多くの宗教の秘密だったのかもしれない。しかし彼らは、完全にそれを誤解していた。彼らは人類をひどく重要なものに考えていた。だがぼくらは、たんなる一種族でしかなかった。多くの種族――あなたがたはそれがいくつあるか知っているのか?けれどもいま、ぼくらはあなたがたが決してなれないものになったのです。
 河がなくなっていく。しかし空にはなんの変化もない。もうほとんど息ができない。月がいまだにあそこで輝いているなんて、なんだか変な気がする。彼らがあれを残していってくれてよかった。これからは、あれも淋しくなるだろう――
 光だ!ぼくの下から――地球の内部から上へ向かって噴きあげてくる――岩も、地面も、何もかもを貫いて――だんだん明るくなる、明るく、ああ、目がくらむ――」

悲壮だけど美しい終末シーン。その最後の最後までを実況するジャン。この時点でジャンは旧人類でありながら、オーバーマインドの一部でもある充実感をも得ている不思議な状態になっているわけですが、これを気味悪いと受け取るか、それとも感動と受け取るかでこの作品への総合評価が変わると思う。
私はこれを美しいと思った。人類は結局オーバーマインドの一部になったし(アンコウ的伴侶になったと言い換えることもできる)、地球は覚醒するためのエネルギーをすべて吸い尽くされて消滅して、あとには月が残るだけ。でも最後の人類代表は「自分の種の到達したものを見た」と満足しているのだから、これはバッドエンドではなかった。人類は残らなかったけど、人類が存在した意味はあったね。という自負こそが、オーバーロードが求めているものなんだ。これに現代の幸福の価値観を当てはめてはいけない。
「幼年期の終わり」で大切にしなければいけないポイントはそこなんだと思った。

長々と感想を書いたが、読了後の満足感を完全に書き表せたかはわからない。でも、これはたしかに後世の作品が影響を受けまくる理由もわかるなぁというスケールの壮大さは実感できた。
ところでこの作品、2015年にドラマ化してたらしい。あらすじを読む限り、だいぶミニマムに(一般受けしやすいところにまで下げて)改変したせいで解釈違いが起きてそうだなと思った。

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