服屋さんは初めて。でも不思議と怖くなかった。

おおたごふくてんの店長、池ノ内慎平です。
親戚の子どもには「しんぺい」と呼んでもらっています。

僕が地元に帰ってきてから何をしていたのかを少しだけお話しできたらなぁと思っています。

道内から道外へ、高校から大学へ

僕は15歳の時に地元、芭露から飛び出しました。札幌の方にある高校に進学したからです。
僕が通っていた地元の中学校は全校生徒36人。
かたや進学した高校は一学年300人以上。僕が所属した1年C組は37人くらい。

当時の僕からすると完全に別世界だったなぁと今でも思います。

中学生の僕は生徒会長を務めるようなタイプで、小さな町の、小さな学校で、お山の大将を気取っていました。

かなり調子に乗っていた僕ですが、その伸びた鼻はキチンと折られることになります。
ちゃんと壁がある辺り、人生って不思議だなと思います。

かくして都会の学校でそこそこ洗礼を受けたのですが、まぁそのあたりは特に面白い話でもないので省略します。

無事高校を卒業した僕は、関西の大学へ。
4年間を京都で過ごしました。
大学にはたくさんの地域、東北から九州、さらには海外からの留学生まで。
本当に色々な人達が通ってきていました。

すっかり鼻っ柱をへし折られていた僕ですが、大学時代はどことなく自分らしさを取り戻していったような気がします。

もちろんそれだけでなく、ここでも色んな苦い経験や、楽しい経験、思い出がたくさんできました。

そして4年間の大学生活を経て、無事卒業。
小学校から数えると16年間という学校生活を終えた僕は、


気付けばフリーターになっていました。


え、なぜ?と思った方もいるかもしれません。
ちょっとした行間のうちに、何か大切な説明を省いているように見えると思います。

はい。
省いてます。
ここに関しては結構僕のパーソナルな部分というか、そのうち話したいなぁと思っている部分で、結構長くなりそうなので今回は書きません。

まぁ、みんな色んな人生があるし、そういうこともあるよね!くらいに思っていていただければ、、、
いずれ、というか近いうちに書けたらなぁ。


7年ぶりに地元へ戻ってきて、僕は。

僕は地元芭露に帰ってきてすぐに、地元のコンビニでアルバイトを始めました。
店長さんもとても良くしてくれたので、本当にすぐ始めました。

さらに1ヶ月ほど経った頃、親戚の土木会社で解体作業の手伝いを始めました。

朝から夕方は土木仕事、夜はコンビニ。夢を追いかけているみたいでちょっとカッコいいかもしれません。ただ別に夢とかは追いかけてなかったです。

あの頃は色んなことを考えたくなかったのだなぁと思います。
忙しい時間に身を置いて思考を巡らせないようにしていたんだと思います。

そんな風にして地元に戻ってきてからの1年が経ちました。

その後、コンビニでのバイト時間が増えて土木の仕事をしばらく辞め、
コンビニのバイトをしばらくした後、
また土木の会社へ戻り2年くらい正社員として働いていました。

コンビニでのバイトは実は結構好きです。初めてだったのですが、業務内容というより、芭露という小さな地域にいてもたくさんの人と話す機会があるから好きです。

僕は接客業が結構好きなんだなと漠然に思ったのはこのときだと思っています。

そして土木仕事。
僕は、一生関わることのない業界だと勝手に思っていました。単純に自分には向いていない仕事だと思っていたし、何年間か土木仕事を経験した今、やっぱりあんまり向いていない仕事だと思っています。

ただ土木仕事をしていた数年間の経験は僕の中ではとても大きなものだと感じています。
めちゃくちゃ説明が難しいのですが、僕にとってはすごく必要なものだったと思います。

そんな毎日だったのですが、頭の片隅には

「このあとどうなっていくんだろう」

「60歳になったらどんな自分になっているんだろう」

と想像していました。いくつかの仕事を経験することで、消去法的に今の仕事に辿り着いたということになるのかなー。

初めての仕事は別に怖くなくなっていた。

気付けば実家の呉服店を継ぐ決心をした僕ですが、案外一大決心だなと思っていなかったりします。

「ダメな時はダメだし、そんとき考えよう」

と思って始めました。
これは今でもそんなに変わりません。もちろん環境も少しずつ変わっていくので、そのうちまた変わっていくかもしれませんが。

実はいま文章にして気付いたことでもあるのですが、初めての環境に何度か自分の身を置いてみたことで、その辺りの感覚が図太くなったんだなと。

今までは初めての挑戦に、ビビっていました。
高校に進学した時、道外の大学に行った時、地元に帰ってくるとき、初めての仕事に就くとき。

いつも心の中でブルブル震えていました。運動会や、学芸会のときのお昼ご飯は全然食べられませんでした。

ただ、新しいことに挑戦することはずっと前から変わっていませんでした。
それをいま文章にして確認しました。

僕はいま、まぁまぁ僕らしく生きてるんだと。

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