見出し画像

小田付の「水」をテーマに四季を追いかけた映像「水流の小田付 〜四季巡編〜」


暮らしには水が欠かせないが
小田付の発展・繁栄を支えた影には、やはり水の存在があった。


喜多方市は人口4.627万人の小さな町ですが
9つの酒蔵があることからもわかるように、美味しい水、米に恵まれた豊かな風土です。


三方山々に囲まれ、川が流れ込む扇状地であることから
地下水が豊富で
ほんの50年ほど前は、その辺りを掘るとすぐに地下水が溢れ出すような場所であったと、町衆会の星 宏一さんが語ってくれました。
江戸時代には酒、味噌、醤油の醸造が盛んになり発展しますが、とても自然な流れのように感じます。


小田付は平成30年度に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されましたが、選定基準には3つのカテゴリがあります。

重要伝統的建造物群保存地区選定基準
伝統的建造物群保存地区を形成している区域のうち次の各号の一に該当するもの
(一)伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの
(二)伝統的建造物群及び地割りがよく旧態を保持しているもの
(三)伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示している もの

文化庁(昭和50年11月20日文部省告示第157号)

小田付は、選定基準の(二)に相当し、特に、「水路」や「中堀」が当時の形をよく残しているということが後押ししてくれました。

「中堀」というのはあまり聞き慣れないかもしれないですね。
明治初期に作成されたと思われる古地図を見てもらうと分かりますが、小田付は中央に表通り、その東西に裏通りが配置されています。表通りから裏通りまで、短冊型に敷地が区切られています。その敷地の真ん中を流れるのが中堀で、主に生活排水を流すように作られました。

岩代国耶麻郡小田付村絵図(推定明治4年)一部


ちなみに、小田付は1582年に町割されていますが、当時、全国的に同じような町割りがされており、会津六斎市が開かれた、会津坂下町、会津高田町も同じように地割りがされています。

「和飲蔵」入口下を通る中堀

上の写真にあるように、大きな丸石が一段積まれたものが古い時代に作られたもので、現在も西側の中堀が生きており、生活の一部として使用されています。

夏の夜に聞こえてくる水流の音は、とても涼しげで、気持ち安らかに眠りにつくことができます。我が家には3歳の男の子がいるのですが、道路の目の前にある水路を覗いては、生き物がいないか見てみたり、葉っぱを船に見立て流してみたり、時には石を放り投げて怒られたりしていますが、水路の蓋が空いていることで、アスファルトの道が憩いの遊び場になるのですから!

実は、喜多方に引っ越してきた理由の一つに、この水路があるんです。
幼少期、夏休みには母の実家がある喜多方で過ごしました。知らない土地の公園で、ラジオ体操に混じるのですが、公園までの道のりで、水路のある裏路地を歩くのがとても楽しかったんです。
喜多方市内には、くねくねと曲がった多くの「蓋のない水路」が残されており、そういった場所で子育てをしたい。と思っていました。


この「水流の小田付」は
言葉も音楽もなく淡々と、小田付の「水」を追いかけていきますが
だからこそ、視聴する人と繋がる「水」に訴えかけられ
見る人によって、様々な見方、感じ方がありそうですね。

近日、喜多方市公式Youtubeに、完成版が公開される予定です。ぜひこの動画を活かして、まちづくりや町のPRに役立てていただければと思います!


感想などもぜひこの記事のコメントや、小田付プロジェクトHPにあるお問い合わせフォームからお聞かせいただけると嬉しいです!
嬉しい感想は、監督・撮影を担当してくださった、飯田さんにもお伝えしていきます!

水流の小田付 〜四季巡編〜
監督・撮影:飯田 将茂(いいだ まさしげ)
映像作家。玉川大学芸術学部非常勤講師。主にプラネタリウムを媒体としたドーム映像作品の制作と発表を続ける。舞踏を中心とした踊りの撮影や、舞台の映像演出等も手掛ける。長野県塩尻市で木曽の街や職人を追った《木曽漆器》の撮影をきっかけに、本プロジェクトの映像制作に参加。
https://masashige.com/


令和2年の冬から始まった撮影・・・・!
何回来てくれたのだろうか・・
冬の撮影で、手が悴んでしまうから、ホッカイロをポケットに忍ばせて
かろうじて動く指先で撮影していたことを思い出しました。
思い起こせば、あれだけ時間をかけて撮影したものがこんなにぎゅううううっと凝縮されてしまうのですから・・・!
飯田さんの人柄もとても素敵です。撮影の様子なんかも、まとめたいですね。
熱が冷めないそのうちに・・・!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?