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内緒、を共有するゆるい大人。

誰しも日々色々あって、その事象に対して感じることがあって、それを声に出すか、出さないか、適量吐き出すか、吐き出しすぎてしまうのか、それもまたそれぞれ。

けれど、日々心が動いていることは、きっと、共通しているんだろう。

その心の動き気に折り合いをつけて、自分の中にしまい込むことも多いかもしれない。
大人だけでなく、子どもと呼ばれる年代も。


話を聞いてほしいことがあって、友人を誘って共感カードを広げてみた。
偶然居合わせた小6の子と交互に話して気持ちや欲していたことをカードで確認し合う。

「お母さんには内緒」なひととき。

我が子でも、生徒でもなく、こちらが何もしてあげられない距離感が、心に溜まったものをポロポロ吐き出すのにちょうどよかったのかもしれない。

いろんな場とつながって、いろんな人と出会うことの模範解答を見たような気分だった。


日常で感じたことを、家族とか友人とか同僚とか、生活圏にいる身近な人に話して、共感や応援をしてもらえるのが、いいことだと思っていた。

けれど、その話題の中にある人間関係にあまり話したくないな、と思うことが今の私の中にある。
そのコミュニティの誰かを批判したりするわけでないのに、話しにくいと思うこと自体が不思議なんだけど。

私自身、色々な属性を持っており、その属性での付き合い方をしている。そんなに器用じゃないけれど、見せている面が違うはず。
だから、そのコミュニティで言っていいこと、言わないほうがいいこと、考えて動いている。

コミュニティを超えて、安心安全が担保される第3者がいるほうがいいのかなと思った。
それも時々で変わってくると思うけど。

真っ向勝負、どっぷり関係性を作ってきたこれまでと比べると、ドライで物足りなさはあるけれど。

話してもどうにもならないこともある。
でも、心が軽くなることも、スッと手放せることもある。
私は、話しを聞いてもらって軽くなったら、そこから色々思うことが出てきて、こうして書き出してみた。





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