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とわ子とか、コントとか、人生とか

2021年の春のドラマは、「伏線回収」が話題だった。
中でも『大豆田とわ子と三人の元夫』と『コントが始まる』のふたつは、私も一週間の糧となるほど楽しみにしていた。ふたつとも、伏線回収が見事な作品、とSNSを賑わせていた。「その通り!」と思うものの、どこか少しだけ違和感がある。

「伏線回収」と言えば、ポッドキャストの『東京ポッド許可局』の2年前の「伏線回収論」を思い出す。

この論の中で、リアルな人生の中での伏線回収について、「回収されないであろう」という前提と、それが回収された時の喜び、伏線から回収までの月日に対する肯定的な気持ちが感じられる、と話されている。

むしろ伏線回収って実際に生きている中で自分で「ああ、これ伏線回収だな。俺、生きていて良かったわ。10代の頃の俺に教えてあげたいわ…」って。

でも、『大豆田とわ子と三人の元夫』も『コントが始まる』も、それほど浮世離れした伏線回収劇でもなかったし、むしろヒリヒリとしたリアルさが感じられた。だからこそ毎話、心を動かされ、胸を打つ思いで見てきた。

と思っていると、YouTubeの『大豆田とわ子と三人の元夫』の考察動画で、このドラマで行われているのは「伏線回収」ではなく「サンプリング」と言っているものがあり、膝を打った。

伏線回収はラストから逆算して作るものだが、劇中の小ネタや大ネタをサンプリングして次の展開へとつなげていく。

より日常的な言葉を使えば、「些細なきっかけをしっかりと掴んでいる」ということになるのかもしれない。日々の一コマで見たもの、感じたことが、自分に影響を与え、行動を変化させていく。私の場合は、テレビで見かけた食べ物を無性に食べたくなる、ということがよくある。

『コントが始まる』では、人生を左右する大きな決断の「きっかけ」があまりにも些細なことで驚く場面がある。きっかけとは、意外と「その程度」のものなのだ。
誰の人生にもある、このような「サンプリング」の考え方が、ドラマのリアルさを生んでいたのかもしれない。
そして、それが翻って見る人の毎日の日常にも反映され、自分の人生をより美しく、よりドラマチックに感じさせてくれていた。

つまり、この二つのドラマは、日常に散りばめられた「きっかけ」の中から、丁寧に必要なものを掬い上げる過程を覗き見させてもらえるものだった。中には、おそらく拾われず、サンプリングされなかったものもあっただろう。回収されたことに、主人公や見る人が気が付かないものもあっただろう。

きっと、人生とはそんなものなのだろう。

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